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2016年8月17日 (水)

徳川家のご先祖様

 徳川家康の先祖は新田義貞の新田氏だと、家康の祖父清康が言ったらしい。

 足利尊氏の「足利氏」と同じように、「新田氏」は源氏の直流で、いわば武家の本家筋。だから、源頼朝と同じように、足利尊氏も徳川家康も征夷大将軍になれた。一方、天下を取ったように見える秀吉は、氏素性がハッキリしないから征夷大将軍になれず、関白となった。

 では、新田氏はどこの人かというと、今で云う群馬県太田市。尊氏の足利市とは、渡良瀬川を挟んで隣同士。

 そこに、世良田東照宮がある。

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 門のある不思議なたたずまい。

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 本殿は、やはり東照宮です。

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 新田氏の始祖の義重の子新田義季(よしすえ)がこの辺りを治め、利根川沿いの「押切」を開拓して徳川と称し、名も「徳川義季」とした。

 徳川家は、南北朝時代に徳川郷を追われ、流れ流れて岡崎にたどり着き、松平と名を変えた。その七代目が家康。

 家康は、三河を統一したとき、新田義季にならって徳川家康と称した。

 これが、松平が徳川になり、家康が征夷大将軍になれた物語。

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 この辺りは落ち着いた雰囲気のある良い場所ですが、私は初めてお参りさせていただきました。

 太田市は新田義貞だけれど、その終末は悲劇。確かに義貞を滅ぼした足利尊氏は天下を取ったけれど、新田の子孫の徳川も天下を取った。

 太田市は、その辺りをもっと面白く語っても良いと思うけれど、もう一つ、太田市は藍草の産地でもあった。利根川の向こうは渋沢栄一の深谷という、これもまた藍草の一大産地。面白そうです。

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