父のことなど(藍の醗酵について)
手元に、父が産経新聞に連載していた「私の物語」という記事があります。平成9年11月10日から平成10年3月17日まで掲載されました。いわば父の人生の履歴書みたいな物ですが、当然、藍染のことが書いてあります。
当時(昭和50年代)、日本で藍建てを教えてくれる人も無く、父は独学のように藍建てを始めました。
卒業した群馬大学には染色科もあり、卒業生には大手染料会社に勤めている人もいましたので、彼らに相談すると、必ず化学式を持ち出して化学建ての話になる。それなのになぜか、父は醗酵にこだわった。
藍が建たない(醗酵しない)で父が考え込んでいると、化学式で藍建てを教えてくれていた人が私に、「親父(おやじ)はなんで醗酵にこだわるんだろうな。還元させれば簡単なのに」と言っていたものです。
父は随分苦労を重ねて、醗酵の藍建てが出来るようになった。父が醗酵にこだわっていなければ、今の私はありません。
醗酵は面倒です。まして藍は、パンやワインや日本酒などと違って菌が売っていたり育てることが出来るわけじゃありません。すくもの中の菌で醗酵させるわけですが、アルカリ性でもあるから面倒なことばかりです。
だからか、醗酵の専門家と藍建てと染め液の管理について語り合うと、皆さん驚くし面白がる(実は、今帰ったお客様も醗酵をよく知る方で、「実に面白い」と言っていました)。
藍建てよりも面倒なのは、染め液の維持管理です。
染め液の中にいる菌(バクテリア)は、いつも同じ状態でいるわけではありません。それを生かすには、その液ごとに対応が違う。それは、気温や湿気や灰汁や水やもろもろの条件や環境がいつも違うからです。だから、本当は答えがない。
pHを測り還元剤を使う化学建てには、答えがある。だから、化学建てをしている人は答えを求める。
しかし、醗酵には答えがありません。だから、父のように苦労をして苦しむことになる。
それが経験です。
醗酵には1+1=2という答えはないけれど、経験を積むことによって勘が働くようになる。勘は養うもの。養うとは修業です。
経験を修業にするには、よくよく藍と語り合うことが大切。
それは「考えること」ですが、以前、どこかに書いていることですので、後ほど、記事が見つかればご紹介する事にいたしましょう。
写真は私が修行をした父の工房です。テレビでもよく紹介されましたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。この川で染物を洗いました。冬場は凍り、軍手の上に厚いゴム手袋をしても手が痛かったものです。先人の苦労が偲ばれます。今は、この工房はありません。
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