紺邑のホームページ

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2017年10月

2017年10月12日 (木)

ソースかつ丼

 数日前、桐生に所要があり、志多美屋本店でソースカツどんを食してきました。午後1時を過ぎていたので、かろうじて並ばずに済みました。 20171006134041_2  相変わらずの美味さで、ソースかつ丼は志多美屋に限るというくらいなものですが、私はやはり、志多美屋相生支店派だな。  本店は美味いけれど、支店は幸せを感じるほどに美味い。 P1010594  きれいになりました。  分かり難い所にありますが、その分並ぶこともありません。  

2017年10月11日 (水)

遠方からのお客様

 紺邑には、日本全国から見学者がいらっしゃる話は以前書きました。徳島や久留米など、藍染めが盛んだといわれるところからもお見えになる。
 
 昨日は小笠原の父島から、うら若き女性が二十何時間もかけてわざわざお見えになった。藍建てと藍染に悩みがあるからです。
  
 藍はどんな方法であれ、建たせる(染め液をつくる)事は出来る。しかし、醗酵建ての場合は、維持管理が難しいのです。直ぐに色が出なくなります。彼女もそんな悩みを抱えて紺邑にいらした。
 
 手ぶらでは返せませんから、紺邑に来なければ伝えられない事を語りました。たぶん、彼女の悩みは解決すると思います。
 
 藍師の所にも行って話を聞き、作っている途中の“すくも”も見られたし天地もさせてもらいました。
 
 ものすごく濃い一日になったでしょうが、講習生に交じって一泊。この経験も、役に立つに違いありません。
 
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※写真は講習会の一コマ。埼玉在住の卒業生も見学に来ていますが、彼の悩みも解消するはずです。

2017年10月 9日 (月)

佐野の藍

 栃木県佐野市は、昔から藍の産地でした。藍草の栽培から藍染めの原料づくり、それを扱う藍問屋があって紺屋も沢山あった。

 藍草は市内各地(旧安蘇郡を含む)で作られていました。組合もあった。

P1020794        (復活させようとした頃の佐野市内にあった藍畑。小さく始まりました)

 染めの原料を作る人を藍師と言いますが、その代表格が田中正造です。
 品質は、阿波の資料に「佐野の藍は中藍なり」と書かれていて、つまり中っくらいだった。

 藍問屋も数件あって、ある染料店の女性会長とお話をした時、「うちは絶対に藍問屋だった」とおっしゃっていましたが、さもありなん。大店だったことでしょう。

 紺屋は秋山川沿い赤坂町にずらりと並んでいました。それは、つい最近までです。古老によれば、「秋山川は藍を洗う川だった」というくらいなものです。

 もっと言うと、堀込町では藍甕まで作られていて、藍染めに関しては全て、佐野で完結できていたくらいに盛んな土地でした。

 滅びたのは明治39年。それを復活させて新しい産業化を図っているのが「佐野藍復活プロジェクト」です。

2017年10月 8日 (日)

佐野の藍 足利の紺屋

 栃木県佐野市は藍の産地だった。藍農家が沢山あり、藍(すくも)も作っていた。その代表的人物が田中正造。
 
 幕末、彼は父親に反対されながらも藍師(すくもを作る人)となり、3年間で300両の大金をつかみ、それを束脩(学費)として社会という学校に打って出たと自伝にある。
 
 田中正造たちの作った藍(すくも)を買うお客は、もちろん地元にもいたけれど、その多くは足利の紺屋だった(市史)。
 
 織物の産地として足利・桐生は有名だけれど、佐野も同じなのになぜ名が出てこないかというと、足利の組合に属し、下請けのような存在だったから。藍もまた、おなじか。

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※写真は向田邦子の「はめ殺し窓」という短編。
「足利は、タカの実家である。タカは大きな紺屋の娘だった。」

2017年10月 4日 (水)

足利の藍染め

 足利で本染めの藍染めが始まったことは書きましたが、足利の藍染めと言えば「藍愛工房」です。染め師は私の父、大川仁。
 
 父は日本中の百貨店で藍染めの実演をして藍染めを広めた。私の家内は「日本に藍染めを広めたのは父だ」といって憚りません。そして、それなりに有名でもあった。
 
 亡くなったのが平成13年だから、もう16年も経ちます。ですから、若い人は知らないかもしれませんが、当時、足利がテレビで紹介されると、必ず父の藍染めが出ていました。
 
 藍染めは本来醗酵です。醗酵の藍染めは、今でも簡単には出来ません。だから、職人仕事。
 
 父はその「醗酵」にこだわった。そのおかげで今の私の本染めがあるし、それが足利で受け継がれようとしている。私が「ありがたいことだ」という理由です。
  
 実は藍染めは、誰でも簡単にできる方法があります。それが現在、日本中で行われている藍染。
 
 その違いを知ることこそ、藍染めの意味・意義を知ることでもある。
 
Omata 
 写真は藍愛工房のあったところ。この川で藍染めを洗っていました。なぜか、ちと寂しいな。

2017年10月 2日 (月)

阿波藍 「手板法」

 以前、「正藍染」という本をご紹介したけれど、記述全てが信頼に足るというわけではありません。私は藍染に限っては専門家だから、記述の内容が解ることもあるのです。
 
 例えば、草木染めから見た藍染には誤解があるし、現在と同じように、臭いにも色落ちにも色移りにもそれはある。
 昭和52年だからといって、そこに正しい記述があるなんて事は決してありません。
 
Img007 
 それはそれとして、面白いと感じるところを参考にしながら書いてみますと、佐藤平助さんのところに「手板法」というのがある。出来上がったすくもの、質の良し悪しを見る方法です。
 
・まず、少量のすくもを掌にとってみる。
・それにほんのわずかな水を加え、小さなヘラでよく練る。
・その作業の間に、感触、色、ねばりなど、さまざまな角度から染料としての適度を見て行く。
・最後に、そのすくもを手板紙と呼ばれる加賀和紙にすりつけ、日射しにかざして、藍の色相を観察する。
・良質のすくもは赤味をさしていて、手板紙にすりつけると、茶色にしかならない。
・逆に、質の落ちるすくもは青くなる。
 
 書けば簡単だけれど、当然のことながら、経験と熟練、勘が必要となる。
 
 これを書いているルポライターの中谷寿志氏は、「不思議なことだが、赤味のあるすくもほど、鮮やかな藍色に染まり、青いすくもほど藍が落ちやすい」と書いていますが、藍染めの液も、全く同じです。
 
 そして佐藤平助さんはこういった。
 「苦労させた藍がすくもになると、その汁は赤黒い青味になるわの。ほんなすくもは糸を染めて、すぐに水で洗うても、落ちんがの、藍が。ほんでも無理に温度を上げて、日数をけちったすくもは、紙につけると真っ青で美しいが、糸を染めると、水に落ちて染まらんわの。藍に問うんだの、水を食いきったときに。そのとき、藍は答えてくれる。水が多かった、少なかった、というように」。
 
 藍は、作り手の心を現すと、佐藤さんはおっしゃる。作り手が不機嫌なら、出来たすくもも不機嫌だと。母上が亡くなり、心乱れたとき、郡上八幡の渡辺庄吉さんという紺屋さんに「今年のすくもはいつもと違う」と言われたと言います。
 
 渡辺さんは、我々紺屋にとっては大先輩ですが、「すくもを藍甕の中に入れるとき、無造作に放り込んだときと、大切に入れたときとでは、染め上がりが違う」とおっしゃったそうな。
 
 紺屋として、肝に銘じなければいけません。

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