佐野の藍
栃木県佐野市は、昔から藍の産地でした。藍草の栽培から藍染めの原料づくり、それを扱う藍問屋があって紺屋も沢山あった。
藍草は市内各地(旧安蘇郡を含む)で作られていました。組合もあった。
(復活させようとした頃の佐野市内にあった藍畑。小さく始まりました)
染めの原料を作る人を藍師と言いますが、その代表格が田中正造です。
品質は、阿波の資料に「佐野の藍は中藍なり」と書かれていて、つまり中っくらいだった。
藍問屋も数件あって、ある染料店の女性会長とお話をした時、「うちは絶対に藍問屋だった」とおっしゃっていましたが、さもありなん。大店だったことでしょう。
紺屋は秋山川沿い赤坂町にずらりと並んでいました。それは、つい最近までです。古老によれば、「秋山川は藍を洗う川だった」というくらいなものです。
もっと言うと、堀込町では藍甕まで作られていて、藍染めに関しては全て、佐野で完結できていたくらいに盛んな土地でした。
滅びたのは明治39年。それを復活させて新しい産業化を図っているのが「佐野藍復活プロジェクト」です。
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