「灰屋」のお話し
灰について書きましたが、日本人と灰の関係は縄文時代にまで遡ります。それは、土器と縄文人のライフスタイルが語ってきます。
室町時代には木灰を扱う「灰屋」という商売が成り立っていました。それも、大きな商いだった。それは、藍染や、いわゆる草木染や陶芸に欠かせないものでもありました。
【「灰屋」のお話し】
正藍染めにとって、灰汁を使うことは絶対です。その藍建て方法は、室町時代に確立されたと思われます。
灰と油をあつかう「灰屋」という商売も、室町時代にはありました。特に紺屋(藍染屋)が使う灰を「紺灰(こんばい)」と云いますが、それを室町時代からあつかっていた大店が京都にあって、屋号も「灰屋」。江戸時代初めのその家の主人灰屋紹益(はいやじょうえき)は、井原西鶴が書いた好色一代男の主人公世之介のモデルだというくらいの粋人だった。紹益の家は紺灰をあつかって大儲けをしたと言われています。(若い人たちにこの話をしたら、井原西鶴も好色一代男も知らなかった。日本の教育はどうなっているんだろうか。)
遠藤周作の最晩年の歴史小説、「反逆」「決戦の時」「男の一生」は、信長の周辺を扱い、その大元は、「武功夜話」という灰屋の物語です。
「武功夜話」は、今の愛知県にあった前野家の歴史を書いたもので、信長たちは、灰と油を扱う豪商生駒家に出入りしていた。その家の出戻り娘の吉乃に惚れた信長が、足しげく通い、吉乃は信忠、信雄ともう一人三人の子をもうけます。その家にいたのが秀吉。その兄貴分が蜂須賀小六。という物語。
この灰屋は、信長のスポンサーとなり、彼を支えた。後に阿波藍を栄えさせる蜂須賀公がこの家にいたことも、因縁を感じさせます。(遠藤周作もまた、若い人たちは知らなかった。映画「沈黙」の話をしたら、少し理解したようです。)
「武功夜話」に真偽論争があるのは承知していますが、ドラマとして実に面白い。そして、灰屋という商売があったということはわかります。
灰屋は灰を買い集め、売る。
灰からは灰汁がとられ、紺屋が醗酵の元に使い、植物染めでは、今でいう媒染材として使った。
灰汁を取り切った灰は、焼き物やが釉薬として使った。
「かまどの下の灰までも」という言葉がありますが、その灰も灰屋が買ってくれましたから、家計の支えにもなっていたわけで、日本人の生活は、まったく無駄がありませんでした。
もう一つわかることがある。それは、「江戸時代に入り、綿の文化が栄えるとともに藍染が盛んになった」と巷間言われていることの勘違いです。麻にも絹にも良く染まる藍染は、江戸時代以前からも盛んに染められていたということです。
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