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2018年3月

2018年3月25日 (日)

藍草の栽培と土づくり

 わが家の藍草は、無農薬で栽培しています。いわゆる堆肥も使わず、漢方の資材を使っています(これが前提で、以下です)。

Photo  
 江戸時代から、藍は阿波(現徳島県)のものが優れていて良いものだとされてきました。阿波は、吉野川の氾濫による肥沃な土地の存在の上に鰊粕などの、いわゆる金肥と言われるものを使って土づくりをしていたからです(阿波国藍作法)。それは江戸時代の昔から。
 20180327 (この中で作者の吉川祐輝氏は、阿波で使用している肥料を、 ㈠、鰊粕 ㈡、大豆粕 ㈢、人糞尿 ㈣、鰮粕 ㈤、糠 ㈥、菜種粕 と紹介し、「最も普通に施用するは鰊粕なり」として、「(鰊粕は)施用上便利なるのみならず実業家は一般に実験上鰊粕にあらざれば品質の最優秀を期し難しとすればなり」と書いています。)

 

 関東の利根川沿いで生産されていた武州藍(埼玉県)も、江戸時代から良い藍を育てる肥料として、必要な〆粕や干鰯を、利根川の中瀬河岸を利用することで手に入れていました(たぶん、日本中で土づくりが行われていたのだろうと思います)。

 このように、質の良い藍を育てるには、土づくりが欠かせないものでした。

 質とは、藍の含有量や色合いや持続力など。吉野川や利根川の氾濫による肥沃な土地に、金肥などを使って質の良い藍草を育てた。 
 なぜそうしなければならないかと言えば、藍草は肥料食いで土を痩せさせ、連作が出来ないと云われるくらいなものだからです。そして、他産地との競争もあった。
 
 
 藍草の栽培の目的は、藍染の原料作りです(最近は別の目的もありはしますが)。

 近頃は無農薬ばやりで、「無農薬で育てました」という言葉があちらこちらに見えます。私の所に来て藍草を育てているという人たちも、皆さん、無農薬栽培をしている。中には無堆肥という人もいる。

 しかし、無農薬・無堆肥で藍草をつくっても、それが質の悪い草では、つくったところで良い藍染の仕事は出来ません。つまり、元も子もないということです。昔から、日本で土づくりをして良いすくもを作る努力をしてきたには、それなりの理由があるのです。

 紺屋(藍染屋)は、良い藍染という結果を求めます。その為に、良い“すくも”が欲しいだけですから、それが無農薬だろうと何だろうと拘りません。だから、私たちは「無農薬で育てています」という主張はしませんし、無意味ですらある。

 事実を云えば、専業農家のつくる藍草と、私たち素人がつくる藍草では、結果が全く違います。藍草の取れる量も色合いも持続力も違う。だから、私たちは作ってはいるけれど、まだまだ人に誇れるほどのものではありません。

 さて、無農薬で藍草を栽培していると主張して(農薬不使用栽培と彼らは言っている)藍染を始めた地方があります。私が伊勢丹新宿店6階で展示会をしているときに、7階で大きなイベントをしていたので「面白いな」と思い、「何か協力し合えれば良いな」と思って行ってみました。

 展示している藍染を見ると、色合いがどうにも黒い。私には藍染には見えません。
 妙だなと思ったら、会場の壁一杯に化学式が書いてあって、還元剤を使った化学建てをしていました。無農薬で育てた藍草をすくもにせずに、粉末化して藍染めの原料にしているから、醗酵させられないのでしょう。

 これでは、無農薬で栽培した植物を、添加物をたっぷり使い、化学調味料で調理をした料理みたいなもので(本当はもっと酷い)、なにも意味がありません。
 その地方には、私の藍建てをして本染めをしている人が一人います。彼にその藍の話をすると、ちゃんとわかっていました。残念ながら、参考にもなりませんし、協力し合う事もできません。

 

 言葉は便利です。知識のない人は、「無農薬栽培」という言葉に踊らされる。「天然藍」とか「天然藍染」という言葉も然り。その意味と実態と結果はどうかと言うことを知らなければなりません。

2018年3月15日 (木)

五輪エンブレムから「天半藍色」のことなど

 2020年に開催予定の東京オリンピックのエンブレムに、藍色が使われています。私のような小さな紺屋でも、「藍染めが知られて良いですね」などと言われるようになった。
 これで盛り上がっているようなのが徳島県です。藍染めを徳島県の特産と自称して、徳島県の藍染めを広め、販売し、徳島県の産業振興を図ろうとして様々な仕掛けをしています。

 ところで藍染めは、世界的な文化であり、日本だけを見ても古い歴史を持っています。それも、日本中で染められていたもので、徳島県だけが藍染めをしていたわけではありません。ですから、藍染めの産地すらありません。
 それを何故、徳島県というのかと言えば、徳島県は藍染めの原料の産地だからでしょう(現在、日本の藍染めの原料である“すくも(蒅)”を作っているのは、産業としては徳島県だけです)。

 徳島県の行動には、もともと無理があります。なぜなら前記したように、徳島は「藍」(原料)の産地であって「藍染」の産地ではないからです。そこで徳島県は、「藍」と「藍染」を意識的に混同させて、徳島県を盛り上げようとしているように私には見える(例えば「藍とくしま」ロゴマーク及び「組藍海波紋」使用取扱要綱)。

 では、お前は東京オリンピックのロゴマークをどう思うか?と聞かれれば、以前書いたように、あれは藍色を使った印刷物であって藍染めではありませんから、藍染めを想起していただければありがたいけれど、藍染めの色があのロゴで理解できると思ってもらっても困るなというところです。

2020

 

 勝海舟に「天半藍色(てんぱんらんしょく)」という言葉があります。

 阿波の国の藍商三木家の十一代目与吉郎順治が勝海舟に書を乞うたところ、勝は「天半藍色」と書いて、「三木さん、天下の藍玉を一手に握ろうなどと欲張ってはいけませんよ。まあ、腹八分目、せめて半分くらいの目標で、商売はおやりなさい」と語ったと伝えられているそうです。 
 三木家の歴史にはこういう発想が元々あったから今に続くのだと、徳島大学の石踊胤央さんは書いていますが、「藍玉」を「藍染」に変えれば、今の徳島県に必要な言葉だと思います。

 もし徳島県に三木家の発想が残されているとしたら、藍染めを徳島県の特産などにするべきではありません。日本中の紺屋(藍染め屋)を、少しは慮(おもんばか)ってもらいたいものだけれど、結果は阿波藍の衰退につながっていることも、彼らは知らなければならないと私は思います。

2018年3月13日 (火)

正藍染と藍染と天然と

 藍染の世界で人間国宝に認定されたのは、宮城県栗駒の千葉あやのさんただ一人です。その技法を「正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)」と言います。

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 文化庁は千葉さんを、「正藍染」として人間国宝に認定しています。ですから「正藍染」という言葉は文化庁にあり、戦前は伝統的な藍染の職人たちが、化学的な藍染と区別するために使っていた言葉だと、柳宗悦は書いています。

 <誰も比べて見て、天然藍の方がずっと美しいのを感じます。それ故昔ながらの阿波藍を今も用いる紺屋は、忘れずに「正藍染(しょうあいぞめ)」とか「本染(ほんぞめ)」とかいう看板を掲げます。(柳宗悦「手仕事の日本」岩波文庫184p)>
 
 つまり、化学的な技法が入る前の、本来の藍染を「正藍染」というのです。
 
 
 一方「藍染」という言葉があります。化学的に染め液を作っても、原料が合成藍であっても、染め液を調べて化学的に分析して化学式で表すと、結果は正藍染めと同じです。だから偽物ではありません。つまり、石炭から作られた合成藍を原料に、苛性ソーダと還元剤を使って化学的に造られた染め液の藍染も、「藍染」には違いありません。
 
 「正藍染」という言葉は、上記したような、いわゆる「藍染」と区別するために生まれた言葉です。本物だぞ!という、職人の矜持が込められています。
 ですから、伝統的ではない化学的な藍染を「正藍染」と称したならば、それは「正藍染の偽物」となります(「藍染」には偽物はありませんが、「正藍染」には偽物があるというわけです)。
 
 
 藍染の世界では、「天然」という言葉もよく使われています。「天然藍」と。これもまた意味のはっきりとしない言葉です。
 
 ある著名な紺屋は、醗酵はさせてはいますが、苛性ソーダと石灰を使い、維持管理に合成藍を割り(足すこと)、還元剤を使っています。これを「割建て」と言いますが、その紺屋の職人は、人に天然藍かどうかを尋ねられ、合成藍を使っているにもかかわらず、「天然藍」だと答えています。理由を尋ねられて、あろうことか「石炭だって天然だ!」と開き直っている。これもまた、あながち間違いでもないから困ったものです。しかし、還元剤はいけません。
 
 では偽物の正藍染はあるか?っというと、これもまた、困った問題ばかりなりけりなのです。
 
 ちなみに私の藍染は、まごうことなき「正藍染」です。

 (「正藍染めと藍染め」については、こちらを、「正藍染と本藍染」についてはコチラを参考になさって下さい。)

2018年3月12日 (月)

分かるという事 感じる力(本染めを目指す人たちへ)

(2008年11月に書いた記事を一つにまとめ、書き足しています)

 物の良し悪しを、現代は分析をして計って決める。しかし、分析しても分からないことの方が多いのではないか。人間の心なんかもそうでしょう。
 
 分からないことはあってはならないと、現代は考えるようです。元厚生事務次官夫妻を殺害した人間も、何でそんなことをしたか、その理由が分からなくてはならないらしい。そんなことが分からなくて、何の差し障りがあるというのか。 
 もちろん、その理由も大切なことだろうけれど、もっと大切なことは、彼が人殺しだという事実でしょう。事実よりも、理由が大切だなんて事があるのでしょうか。
 
 藍染も同じです。ウールが綿と同じように染まろうが、青い美しい藍染が染まろうが、そんなことは、私の想像力と心の為す事であって、私がその理由を知っていたわけではありません。
 
 分からないなんて事は、たいしたことじゃない。
 だから、分かるなんて事も、たいしたことじゃない。
 
  
 藍染をしておりますと、藍が「日本人は、人間の理解を超えたものの存在を感じ取る能力を持っていたのではないか」と、私に語り掛けて来ます。日本人は「分からないこと」を許容することが出来たのではないだろうか。というよりも、感じ取ろうとしてきたと言った方がよいかも知れません。
 
 藍は水に溶けません。水に溶かさなければ染ものになりませんから、世界中、様々な方法で藍を水に溶かしています。
 
 日本の藍染の原料を「すくも」と言います。藍草の葉を乾燥させて粉々にし、水はけの良い土間に積み、水を打ち、むしろを被せて寝かせ、数日経ったらむしろを剥いでまた水を打って切り返し、また寝かせ、その工程を十何回も繰り返し、100日程かけて堆肥のように醗酵させた物です。
 
 藍の含有量は、3~4%くらいと言われています。それを灰汁でまた醗酵させて、藍を水に溶けるようにすると藍染が出来るようになる。
 
 この方法は、室町時代に確立されたようです。
 
 こう書いて説明したところで、昔の人は、「醗酵」という言葉を知っていたから「醗酵」という手段を用いたはずはありません。何故藍染が出来るのだろうかと、分析してわかったわけでもない。pH、アルカリ、還元などという言葉も知らなかったし苛性ソーダもソーダ灰もなかった(石灰も18世紀中頃以降です)。しかし、感じることは出来たから、「すくも」を作り、保存できる様にして、一年中藍染が出来るようになったのではないかと、伝統の藍は語ってきます。 
 
 日本人は、自然という物と語り合い、または溶け合って生きてきたから、感じる力を持つ。一方、自然を自分と対立する一つの物と考える西欧文明は、分析して分かろうとする。そう云えるのではないか。
 
 
 産業革命は、18世紀の初め、石炭からコークスを取り出すことによりエネルギー効率が上がり、鉄をより効率的に溶かせるようになり、急速に発展しました。そうすると、コールタールという副生成物というかゴミのようなものも出来てしまった。この中に何かないかと分析して調べると、インディゴ(藍)が発見され、人類は19世紀の終わりに合成藍(人造藍)を作った。これの藍の含有量は100%ですから、インディゴ・ピュアーと呼ばれます。
 
 藍が水に溶けないのは、藍草も合成藍も同じです。伝統の藍は、醗酵で水に溶けるようにしてきました。しかし、藍草には雑物があるから醗酵しますが、純粋な藍の塊の合成藍には、醗酵する元がありません。
 
 せっかくインディゴを見つけても、水に溶かさなければ染物になりません。そこで藍の染液を分析すると、強アルカリ性で無酸素の状態だとわかった。
 強アルカリ性にするには、苛性ソーダと石灰やソーダ灰を入れれば良い。
 無酸素状態にするには、液から酸素をとってしまえば良いわけで、還元剤を使えばよい。
 
 こうして、藍染が簡単になりました(これを化学建てと言います)。
 
 染液に藍の色が無くなれば、藍(合成藍)を足せばよい。酸素が入ってしまったら、還元剤で酸素を取ればよい。アルカリ性じゃなくなったら、苛性ソーダか石灰を入れてpH調整すれば良い。
 
 こういう藍染になってから、かれこれ百年を超えてしまいました(この方法は、藍草を原料とする染め液の作り方にも用いられ、それが「本藍染」や「天然藍」として染められているのが現在です)。
 
 
 すくもを灰汁で醗酵させて染めた藍染と化学建てで染めた藍染と何が違うのかと云う問題もある。日本人は、その違いも感じる事ができた。
 
 合成藍は色が黒く、落ちるし色移りするし臭い。それまでの日本の藍染は、青く、美しく、色移りしないし臭いもなかった。見た目も違いますが、使い心地も全く違います。
 だから、明治30年頃、合成藍が日本に入ってきたとき、日本人はそれを藍染とみなさず、使わなくなってしまったのです。
 
 それから百年たち、今や分析の時代となりました。そして、感じる力を失いかけているように思います。
 
  
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※追記
写真は、私の工房のアイロン台。霧吹きを使いながら、無地染めの手ぬぐいをアイロンしたところ。白い布に色移りしていません。洗いながらですが、何年も使っています。


2018年3月 3日 (土)

答え(講習会参加者達へ)

 例えば剣道は、練習(修行)をしなければ強くなれません。ギターもピアノも、練習しなければ弾けるようにはなりません。本染めの藍染め(正藍染)も同じです。
 
 人間は産業革命以来、何事にも答えを求め、便利さを探求してきた。剣を持って一対一で殺しあうのは修行もいるし効率的ではないから、鉄砲を発明し、機関銃を発明し、大砲を発明して一遍に大量の人間を殺せるようになり、ついに原爆を発明した。
 
 藍染めの化学建ても、その一環の中にあることを人類は(大きく出ましたね)知らなければならないと考えます。
 
 
<「答え」(二年ほど前の記事の再録です)>
 
 かれこれ10年ほど前、藍染について「答えがあると思ってはいけない」と、ある人に云ったことがあります。微生物というのは、「答えを見つけた」と思っても、必ず裏切るからです。それが、醗酵の難しさだと私は思う。
 
 例えば、灰汁やふすまや貝灰の使い方は、その時々で違う。ある時、私が貝灰を5kgほど足したら染液の調子が良くなった。しかし、これは答えではないのです。その時に、藍が何をどれくらい求めているかを、私が感じていたと云うだけのこと。この「感じる」という気付きは、修行によるのです。これを「勘」といっても良いかもしれません。勘は養うものですから修行が要る。
 
 答えを求めると、勘は養えません。調子が良くない時に貝灰を5kg入れることを「答え」としてしまうから、5kg入れれば良いと結論付けてしまう。
 しかし、それでも調子が戻らない時がある。それは、染液が別のものを欲しているからです。それを感じ取らなければなりません。
 
 感じ取れなくなるのは、答えがあると思っているからですが、答えがある世界もある。それが、化学建てです。石灰や苛性ソーダでpHを調整し、染液の量に対して還元剤の量を決める。これは、必ず答え通りになります。考える必要がありませんから、楽です。
 楽をおぼえると、それから抜け出せないのが人間です。それは私の短い65年の人生経験が教えてくれること。ですから、化学建てから本建てに移行するのは、別の修行が要ります。しかし、楽をおぼえると、その修行もできません。
 
 ある日、私の工房に藍染の世界では著名な方がお見えになった。ドアを入った途端、首をかしげたので、「匂いだな」と直ぐに解かりました。私の工房には、いわゆる藍染の独特の匂いというものがありませんから。
 藍の染液をお見せすると、「これは建ってないね」とおっしゃった。つまり、色が出ていないということです。染液の表面に、藍の華どころか、泡一粒もなかったからでしょう。布を染めて、色があることをお見せしました。
 
Ai_someeki   
 灰と灰汁もお見せして、私の藍建てと藍染のすべてをお伝えしました。するとその方は、「そんなに私に教えて良いのか」と尋ねましたが、正しいやり方が伝わるなら良いに決まっています。
 
 それから7~8年経ちますが、その方が本建て本染めをしているという話は全く伝わってきません。私はそうなるだろうと思っていました。なぜなら、彼は楽をおぼえた人ですから。
 
 私が「答えがあると思ってはいけない」と云った人も、同じです。

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