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2018年4月 5日 (木)

ジャパンブルーのその後

 日本を「美しい青の国」と表現した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に、「大阪にて(In Ōsaka)」という随筆があります。1896(明治29)年の大阪の様々を書いたものですが、そこに次のような記述がある。
 
 《私が初めて日本に来た頃、男性の服装は濃い色、中でも紺色が主流であったので、男性が集まるとそこには大抵この色の集団が出来上がったものだった。しかし今日では、色合いが明るくなり、灰色が優勢のようである。またその他にも、例えば黄褐色、金茶、抹茶色など、変化に富んだ色合いもいろいろあって目を楽しませてくれる。それに比べて女性の服装がもっと多様であるのは言うまでもないが、大人の服装は男女とも、良い趣味の原則を固く守っていて、決してそれを外れることがない。》(講談社学術文庫 小泉八雲「日本の心」)
 
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 1890(明治23)年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が日本に初めて来たときに書いた最初の随筆に、《着物の多数を占める農紺色は、のれんにも同じように幅を利かせている。もちろん、明るい青、白、赤といった他の色もちらほら見かけるが、緑や黄色のものはない。》と書いた日本の面影は、この頃既に薄れ始め、日本人の服装に様々な色が使われだしていたことが分かります。

 日本の藍染めの世界では、「ジャパンブルー」という言葉がもてはやされ、それが世界に広まっていったかのごとき記述がみられますが、事実はこの後、日本人は藍染めを忘れ使わなくなり、日本は「青の国」ではなくなって今に至ることを知らねばなりません(もちろん、「美しい青の国」だったには違いありませんが、それは百数十年も前までです)。

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