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2018年5月

2018年5月25日 (金)

天然灰汁醗酵建て

 「父が百貨店で藍染を実演しながら紹介しだした35年ほど前、日本人のほとんどが藍染めを知りませんでした」と、10年くらい前、高松三越に出展していたとき、40代とおぼしき男性にそう申し上げると、気色ばって「それは都会の話しでしょう。地方には藍染があったはずです」と、反論されました。
 そういえば香川県は徳島県のお隣ですから、藍染があったと思われるのかもしれませんが、事実なのですから仕方ありません。徳島県のすくもの生産量の話などをしますと、御納得いただけたようです。

20180516_3      江戸時代から明治時代の徳島県の藍の生産量(資料:徳島県統計書)

20180516_2_2          昭和の徳島県の藍の生産量(調査:阿波藍生産振興協会)
 
 
 20年以上も前、徳島市の百貨店で藍染を展示販売したことがあります。驚いたことに、お客様のほとんどが藍染を知らなかった。藍師の一人は、「藍畑で仕事をしていると、子どもたちが『おじさんなにやってるの?』と聞くから、『藍を育てているんだよ』と答えると、『へえ、藍っていうんだ』と、誰も藍を知らない」と嘆いていらっしゃいました。そんな程度でした。
 
 
 戦後、徳島県には藍染が無かったと、栃木県繊維工業試験場の小此木照明技師が語っています。
 
 群馬県と栃木県は、日本一の繊維の産地でした。桐生市にある群馬大学工学部に染色科などの繊維関係の学科があったのはその為です。ですから、お隣の栃木県では、西の端の足利市に、栃木県繊維工業試験場がありました。
 
 終戦直後、群馬大学工学部を卒業し、試験場に入った小此木照明技師は、場長に「徳島に行って藍染を調べて来るように」といわれて派遣されました。栃木県小山市の結城紬の保存の為です。しかし、徳島県内を調べても調べても藍染はなく、藍建ての方法もわからなかった。疲れ果てて関東に帰って来て、藍染めにようやく出うことが出来た。藍染は、地元の関東に残ってたのです(ちなみに小此木さんを徳島に派遣した場長は、私の祖父大川英三です)。
 
 そんな徳島県ですが、実は映像と書物に、戦後の徳島の藍建ての記録が残されています。
 
 映像は、1961~69年ごろの日本の染め織りの技術を記録した伊勢丹・三越で販売されている「日本の染と織り」DVD
 
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 本は、昭和52年(1977)に発行された泰流社の「正藍染」です。
 
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 双方に、全く同じ方法が紹介されています。
 
●蒅の溶解
 《たとえば、徳島県の例では鉄製の蒅溶解釜を用い、水と苛性ソーダを加えて蒅を煮て、蒅の粒状を溶解させ、泥状のものにします。徳島県工業試験場技師・米川孝宏氏の報告によると、その釜の容量は二百リットルで、水を約百リットル、蒅一・五俵(約八十五キロ)、苛性ソーダ一・五キロ入れ、攪拌しながら九十度以上で約一時間煮る、ということです》(p165)。
 
●蒅の仕込み
 《徳島県で行われている方法によると、あらかじめ藍甕(一石五斗=約二百七十リットル入りのもの)に苛性ソーダを入れておきます。そこに水を半分くらいまで入れ、泥状に溶解したすくもを四個の藍甕に等分に仕込み、これをもう一度行うということです。》(p165~p166)。
 
 伊勢丹のDVDには、鉄製の蒅溶解釜からすくもを別の容器に移し、それを天秤棒で担いで藍甕に移す作業風景が映し出され、書物の記述そのままのナレーションが流れています。
 
 これが、戦後の徳島県で行われていた藍建て方法です。
 
 ところが突然のように、徳島県から「天然灰汁醗酵建て」という言葉が藍染の世界に現れてきました。江戸時代から徳島県に続いている方法だと。しかし、徳島県に続いていた藍建は、上記したようなもので、天然も灰汁も醗酵もありません(私の知る限り、どんな文献にもその言葉は出てきません)。
 
 天然灰汁醗酵建てでなければ本物ではない!、といわれた時期もあります。その言葉が無い時代から藍染をしている我々はどうなんだろうかとは思った(今でも1%くらいだといわれているようです)。
 その中には、友人の国指定重要無形文化財技術保持者会会員の藍染(もちろん、本物です)も入っていないし、藍染の世界でただ一人の人間国宝である千葉あやのさんの藍染めも入っていない(それを文化庁では「正藍染」としています)。
 
 最近、この言葉が定着してきて、だれもが一般名詞のように「天然灰汁醗酵建て」とお使いになる。私の藍建ても、天然灰汁醗酵建てと言われるようになった。調べてみると、私たちの「本建て」とはずいぶん違いますから、私は「天然灰汁醗酵建て」とは言いません。「本建て」と言っています。
 
 
 我々正藍染の世界は、「偽物」と云われる筋合いはありませんから我が道を行きますが、日本の藍染の本場が徳島県になったり(本場はありません)して、藍染が妙な世界に入っているという印象はぬぐえません。

2018年5月22日 (火)

もっとも人間らしい行為

 「意味への意思」を持つことが、最も人間らしいことである。何を考え、何を行動するにも、意味・意義を考える。それでこそ人間である。生活・行動に意味・意義を感ずれば感ずるほど、感激し、感激を持つことが、その意味・意義を得ることの一番真剣で、情熱的な事である。
 
安岡正篤
 
 
 
 藍染めするにも意味・意義を考えること。私の長年の主張です。意味・意義の無いものは、人間らしいものでは無いと。

2018年5月21日 (月)

「藍染」その偽物と本物という問題と現状

 全国の百貨店を回っておりますと、時折、藍染をなさっている方に出会います。その中には、生葉染めをなさっている方もいらして、いつぞやは、「私は本物の藍染をやっているの。ちゃんと生葉で染めています」とおっしゃった。それで、どうしたら退色しないように出来るかを、専門家の私に聞きにいらしたのです。
 そういう方々は、染色の教室やカルチャーセンターで藍染を習ってくるらしい。それはそれで、楽しみ方の一つなんでしょうけれど、私たちの伝統文化としての藍染と同じに考えてしまうと間違えると、私は考えています。
 
 伝統文化というのは、人間の知恵の継承であり、その中には様々な意味が含まれています。生葉をミキサーでなにかした染めには、その知恵はないし、もっと言えば、苛性ソーダを使い、ハイドロなどの還元剤で建てた藍も同じ事です。さらには、インディゴ・ピュアー(人造藍)を藍甕に加える割り建てなども、我々伝統工芸の世界とは全く縁がありません。
 しかし、残念ながら世界中のほとんどの藍染が、そういうものとなって久しいことなのです。
 
 では、ハイドロ建てや割り建てで染めた藍染は偽物かといえば、けっしてそうは言えません。
 
 正藍染の私の染め液も、コールタールから抽出した合成藍を苛性ソーダと還元剤で建てた染め液も、化学的に分析すると、同じ式で表されます。だから、「合成藍は、天然藍と全く同じ物質だ」と、化学者は云いますし、化学的にはその通りなのでしょう。
 
 染め液を作る方法についても、私たち伝統の世界では、灰の灰汁を使って醗酵させるわけですが、「醗酵とは、微生物による物質の変化を伴う現象で、物質の変化とは化学変化(反応)であり、藍はアルカリ性の液で、発酵か還元作用によって可溶性の物質に変化するのだから、現代は、醗酵の代りに還元剤を使い、人造藍の発見により、簡単に藍染めが出来るようになった」と、これまた化学反応式を持ち出して化学者は説明する。ですから化学的には、合成藍も化学建ても、同じ藍染であって偽物ではありません。
 では、これらは正藍染と何が違うかと云えば、色と性質と本質(意味・存在理由)が違います。つまり、結果が違うのです。私が化学藍は偽物ではないが、正藍染めとは似て非なる物という理由はそこにあるのです(このお話は別の機会に致します)。
 
 この問題は植物から色を取る染め、所謂「草木染め」にも及んでいる。つまり、媒染剤の問題です。
 
 古来のそれは、灰の灰汁で色を出していた。今は、灰がありませんから、それを金属でまかなっている。金属は分解しませんから、河川を汚す。
 原料は自然の物かも知れませんが、現在の植物をつかった染めも藍染めも、その工程に問題があるのです。
 
  
 日本の植物を使った代表的な染めに、黄八丈があります。黄八丈の特徴は、島の中で原料から仕上がりまで、全てまかなうことが出来るところにあります。
 染めの原料は、イネ科の一年草のコブナクサ(刈安 カリヤス)を乾燥したものを使います。 これを束にして朝から晩まで煎じるのです。

 こうして得られた煎汁を「フシ」と呼び、この煎汁に漬け込んで染めることを「フシヅケ」と呼びます。淡い煎汁に回数を多くつけた方が渋みがのり、染め上がりが美しいと云われています。
 
 一綛(わな)づつ糸を軽くねじり、染め桶の中に一列に並べ、熱い煎汁を平均にかけ、よく染みわたらせます。
 糸の量が多ければ、さらに積み重ね、糸が浸る程度に煎汁をかけ、上部を布で覆い、糸が直接空気に触れないようにして、そのまま翌日まで漬け込みます。
 
 翌朝取り出した糸は、よく絞って屋外の干場で竿にかけて夕方まで乾燥させます。乾燥中は幾度もたたき、糸が一本一本ほくれるようにします。
 夕方、完全に乾燥したら、前日と同じ方法で新しい煎汁に漬け込みます。乾燥が不十分だと、糸に染めむらができるので、雨や曇りの日はいけません。
 
 このような「煎汁づけ」を、15回から20回繰り返したあと、灰汁づけ(アクヅケ)を行い、黄色に染まるのです。
 灰汁づけに使用する灰は、ツバキとヒサカキ(八丈島ではサカキという)の焼き葉です。小枝のまま切り混ぜて燃焼すると、白く美しい極めてこまかい粒子の灰ができます。
 この灰を、湿気を吸収しないように貯蔵して置きます。
 灰汁はかめに灰を入れ、水を張って、1週間以上静置したときにできる上澄みを手桶にすくい取っておきます。
 
 次にそれをたらいのようなものに少量ずつ移し、糸に手早くしみこませます。すると、糸にしみこんだ煎汁が、灰汁の力で鮮やかな黄色を発色するのです。この灰汁づけは一回だけ。黄色の良し悪しは、このたった一回の灰汁づけによって決まるといいます。
 灰汁づけが終わった糸は、しばらくそのまま寝かせてから、強く絞って天日で乾燥させます。
 
 如何でしょうか。大変手間が掛かるものですが、植物から染料を取る染めは、すべからくこうあるべきだと、勘が私に語りかけて来てはいましたが、この黄八丈の染め方を知り、実に納得しました。
 
 草木染めは染色堅牢度が弱いから、着物や帯びに向かないという人がいますが、それは、今時の草木染めの事なのでしょう。
 染め物は、直ぐに色が褪せるようでは、人は着ることもしないし使いもしません。色が汚ければ尚更です。だからこそ、作り手は工夫し、それが知恵として伝わってきた。
 
 最近は、「私もカリヤス(黄八丈の原料)で染めているの」という人がいると聞きます。それはそれですが、伝統と人間の知恵が生かされてきた色と、媒染剤を使って簡単に染めた色の区別が、今の人達には出来ないのです。
 
 藍染めも、同じ「すくも」を使ってはいても、灰汁で醗酵させたものと、苛性ソーダや石灰やソーダ灰を使って発酵させたものとでは、色も染色堅牢度も違うし、ましてやハイドロなどの還元剤で建てれば尚更ですし、原料が違えばさらに尚更です。

2012年8月5日

2018年5月19日 (土)

pH・アルカリと還元

 藍染だけじゃないでしょうが、「感じる力」は肝心な事だというお話しです。それを阻害するのは、化学的な言葉。
 
 
 藍の染め液は、強アルカリ性だと言います。計ればpH11前後だから、それに合わせてpH調整するらしい。
 藍は還元だという。還元とは酸化したものを元に戻すこと。つまり、酸素を奪うこと。藍の染め液には酸素が無い。液から酸素を奪うために、還元させるという。だから「還元菌」なる言葉も誕生した。
 
 藍染めの歴史は何千年と古いけれど、その歴史の中に、pH、アルカリ、還元という言葉はありません。それでも人類は、藍染めをし続けてきた。
 
 「藍染めを科学する」という講演会の講師をなさった化学者が、藍染めをしている人たちに「石灰をなぜ使うのですか?pH調整ですか?」と問うた。私以外は皆さん、そうだと仰る。その先生は続けて、「pH調整するなら石灰は使ってはいけません」と語った。なぜなら「水に溶けないから」と。続けて「pH調整するなら苛性ソーダをお使いなさい。石灰より余程良いです」と。
 
 お分かりだろうか。pHを考えるなら、石灰よりも苛性ソーダの方が良いのです。
 
 染め液がアルカリ性だとは、結果的にそうだと言うことに過ぎません。それよりも大切なことは、染め液が今、何を求めているか、または何も求めていない十分な状態かを理解することです。そして、なぜアルカリ性が強いのかも考えるべきだと。
 染め液を舐めるのもの方法の一つでしょうが、私は舐めません。染め液と普段から親しくつきあっていれば、感じ取れるからです。
 
 この「感じる力」を、pHやアルカリや還元と言う言葉が阻害している。何でも計って、調べて対応する。
 
 pH、アルカリ、還元と言う言葉を藍染めの世界から無くせば、藍を深く理解することが出来ると、私は思います。

2018年5月14日 (月)

藍染の染め液の色

 藍染の染め液は茶色。
 
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 それが酸化して青になる。
 
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 だから、「青は藍より出でて藍より青し」!。
 
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 化学的な藍染めは、緑色で染め液から出きます。ですから、醗酵建てか化学建てかという見分けは、割合単純で簡単です。
 
 
 ご紹介する動画は、建ててから一年六ヶ月経った染め液の色合いを見ているところ。使っているのはティッシュペーパーです。

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 茶色が青に変わり、立派に染まっていますが、美しいと私は感じる。どうすればこういう染め液が出来るか?そこが、プロのプロたる所以。
 
 第一には、しっかりと醗酵を持続させること。その上に、様々なことがある。だから、美しくも強い藍染になるのです。


2018年5月12日 (土)

ウールを藍染めに

 ウールを藍染めなさりたい方が沢山いらっしゃいますが、皆さん、お困りの様子。
 染まっても色落ちが激しかったり、濃く染められなかったり、染め液のpHや温度を調節したり中和したりと、面倒なことが多い上に、感触を損なうといいます。

 本染めの藍染めの場合、綿を染めるのと何ら変わりなくウールを染めることが出来ます。ずいぶん昔にそんなことをこのブログに書きました
 それを読んだウールを扱う専門家が、喜び勇んでお見えになり、ウールを染めていかれました。

 なんと、ニュージーランドまで行って原毛を仕入れて来るのだそうな。それを、ご自分で帽子などをお作りなのだそうです。

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 ご主人は綿のパンツを藍染め。すっかり高級品になりました。大喜びです。
 母上は、綿のストールと手袋。私好みの良い色です。
 ご自身は、ウールの原毛と、ご自分でお作りになったウールのベレー帽とシルクストール。

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 これらがどのような作品になるかは知りませんが、時間の無い中、良く染まりました。

 楽しいひと時でしたが、これから、ウールの世界が広がることを願っています。




2018年5月10日 (木)

藍染とアルカリ性

 藍は、水に溶けません。そこが、煮出して色素を取る草木染との大きな違いです。
 
 水に溶かさなければ染めにならないから、溶けるようにします。つまり、可溶性にする。それを、藍染めの世界では「建てる」と表現します。
 
 物の本やネットの藍染の解説によると、「強アルカリ性の溶液に、藍は溶ける」と書いてある。だから、染め液をアルカリ性にしなければならないというわけです。
 
 さて、藍染めは何千年もの昔から染められてきました。例えば江戸時代に、アルカリ性という概念が存在したでしょうか。室町時代はどうでしょう。あるはずもありません。

 ですから、藍染の世界でアルカリ性というのは、明治になって化学建てが入ってきてからの概念なのです。

 では、「化学建て」とは如何なるものか。

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(このチャートは私が作ったもの。無断転用はお断りいたします。責任が取れませんから)
 
 伝統的な藍染めの染め液を化学的に分析すると、強アルカリ性だった。
 伝統的な藍染は、灰の灰汁を使っていたけれど、化学はそれを、苛性ソーダやソーダ灰や石灰を使用した。

 染め液のもう一つの特徴は、醗酵をさせていること。これを調べてみたら、染め液を無酸素状態にしていた。
 化学は、無酸素状態にするためには還元させれば良いと考え、還元剤を使用した。

 これによって、簡単に染め液が出来るようになりました。強アルカリ性で無酸素状態の液を作れば、藍の色を持ったものなら何でも可溶性にすることが出来るようになった。
 合成藍(インディゴ・ピュアー)でも生葉でも乾燥葉でもすくもでも沈殿藍でも、何でもです。

 だから化学者は、「人類は藍染めをするのに醗酵という面倒な手段を使って来たが、化学はアルカリ溶液を作り、還元剤を使用することによって簡単に藍染めが出来るようになった」とするのです。
 
 だからpH調整が必要だと、化学的な発想をする染め師たちは言います。
 私は、pHは関係がないと言い続けてきた。実際、計ったこともありません。しかし、藍染めは出来るし、し続けてきました(そもそも、昔の染師が、pHを測っていたはずもありません)。
 
 石灰や苛性ソーダを使用するのは、アルカリ性にするためです。
 灰汁と貝灰を使うのは、微生物の餌としてです。それは結果的にアルカリ性だというだけの話で、アルカリ性にするために、灰汁と貝灰を使うわけではありません。

 だから私は、pHを測る必要がないのです。

2018年5月 8日 (火)

徳島と貝灰

 伝統工芸は、長い年月を経た人間の技ですから、結果的に合理的に出来ています。藍染めも同じ。突き詰めて行くと、実に合理的でシンプルです。

 貝灰を使うのも、その合理性にある。だから、日本の紺屋は貝灰を使って来た。

 

 三重県桑名は「それは桑名の焼き蛤」と言われるほどに蛤の産地。その他にも貝がたくさんとれたといいます。明治14年、その桑名で貝灰が作られ徳島に送られていたという史料が三重県のホームページにあります。

 題して【貝殻と藍がとりもつ三重と徳島-桑名の蛤など染色に再利用】

Photo貝灰の製造法や生産高等が書かれた「明治十四年第二回内国勧業博覧会解説」(左)と「明治十五年水産博覧会解説書」(右)

 《三重県庁文書の中に残る『明治十四年 第二回内国勧業博覧会解説』と『同十五年 水産博覧会解説書』には、当時桑名郡小貝須村の高松源兵衛が自宅で製造した貝灰を出品したときの解説書がある。これによれば、原料は主に蜆を用いているが、開業の沿革の欄には、百年ほど前、祖先高松源兵衛が発明したこと、かつては大坂あたりにも多く運搬していたことが記述され、『久波奈名所図会』の内容を裏付けるものとなっている。しかし、十二,三年前から輸送費がかさみ価格が高くなり、その後需要が減ったとも記されている。<BR>高松源兵衛が生産した貝灰の産出高は、明治14年約4000俵(1俵3斗入り)で、その約74パーセントに当たる2,950俵が徳島県(阿波国)へ移出されていた。》

 徳島県が特別に藍染めの産地であったという事はありません。藍(すくも)の一大産地ではありました。それでも、紺屋があったには違いありませんから、貝灰を使っていたのでしょう(徳島県を良く知る人は、「すくもとセットで売っていたのではないか?」と、もっともなことをおっしゃっていますが、そうかもしれません)。 

 藍の染め液に貝灰を使うとどういう事が起きるか?と言いますと。色が良くなることがあげられます。
 この史料にも、《解説書の「効用」欄の冒頭には「藍色ノ宜シカラサルヲ美ニシ」とあり、貝灰は藍染めに不可欠なものであった。》とあるように、藍染めの色を美しくするのです。

 先日、私の弟子のような人から「何故石灰を使うのでしょう?」という質問があった。石灰を使うと、色が悪くなるし、藍(すくも)を痛めるし、染物も痛めて良いことがないからです。

 私がどう答えたかと云へば、化学建てが輸入され、アルカリという概念も輸入されて、安価な石灰が使われるようになったのだろうというのが一つの答えです。

 それについては次回の予定

2018年5月 5日 (土)

藍染の色落ちと色移り

 数十年言い続けていますが、本来藍染めは、いわゆる染色堅牢度に優れたものですから、色落ちも色移りも全く心配いりません。他のものと一緒に洗濯して、なんら差支えがないもの。

 しかし、大抵の藍染めが色落ちして色移りする。だから、洗濯表示には、単独で洗えとか他のものと一緒に洗うなとか書いてあります。

 「本藍染め」と称して「色移りしない」と言っている藍染も、よく読むと「最初は単独で手洗い」などと書いてあるものもある。

 それらは、本来の藍染めではないという事になります。

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(上記の表は、某所で私の藍染めの堅牢度を抜き打ちで検査したものです。「全ての堅牢度で当社基準以上のもの」という結果でしたが、担当者は「信じられません」と言っておりました。)
 

 何故色落ちと色移りの心配はないかというと、それが藍染めの本来の性質だからです。その「本来の性質」を、素直にそのまま生かす染め液の作り方をすればよいのです。それが「本建て」です。

 色落ちをしないようにするには、本来の藍染めの性質を生かす染め方をすればよい。それが「正藍染」です。

 これが世の中にあまりありません。だから、藍染が勘違いされる。

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