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2018年5月 8日 (火)

徳島と貝灰

 伝統工芸は、長い年月を経た人間の技ですから、結果的に合理的に出来ています。藍染めも同じ。突き詰めて行くと、実に合理的でシンプルです。

 貝灰を使うのも、その合理性にある。だから、日本の紺屋は貝灰を使って来た。

 

 三重県桑名は「それは桑名の焼き蛤」と言われるほどに蛤の産地。その他にも貝がたくさんとれたといいます。明治14年、その桑名で貝灰が作られ徳島に送られていたという史料が三重県のホームページにあります。

 題して【貝殻と藍がとりもつ三重と徳島-桑名の蛤など染色に再利用】

Photo貝灰の製造法や生産高等が書かれた「明治十四年第二回内国勧業博覧会解説」(左)と「明治十五年水産博覧会解説書」(右)

 《三重県庁文書の中に残る『明治十四年 第二回内国勧業博覧会解説』と『同十五年 水産博覧会解説書』には、当時桑名郡小貝須村の高松源兵衛が自宅で製造した貝灰を出品したときの解説書がある。これによれば、原料は主に蜆を用いているが、開業の沿革の欄には、百年ほど前、祖先高松源兵衛が発明したこと、かつては大坂あたりにも多く運搬していたことが記述され、『久波奈名所図会』の内容を裏付けるものとなっている。しかし、十二,三年前から輸送費がかさみ価格が高くなり、その後需要が減ったとも記されている。<BR>高松源兵衛が生産した貝灰の産出高は、明治14年約4000俵(1俵3斗入り)で、その約74パーセントに当たる2,950俵が徳島県(阿波国)へ移出されていた。》

 徳島県が特別に藍染めの産地であったという事はありません。藍(すくも)の一大産地ではありました。それでも、紺屋があったには違いありませんから、貝灰を使っていたのでしょう(徳島県を良く知る人は、「すくもとセットで売っていたのではないか?」と、もっともなことをおっしゃっていますが、そうかもしれません)。 

 藍の染め液に貝灰を使うとどういう事が起きるか?と言いますと。色が良くなることがあげられます。
 この史料にも、《解説書の「効用」欄の冒頭には「藍色ノ宜シカラサルヲ美ニシ」とあり、貝灰は藍染めに不可欠なものであった。》とあるように、藍染めの色を美しくするのです。

 先日、私の弟子のような人から「何故石灰を使うのでしょう?」という質問があった。石灰を使うと、色が悪くなるし、藍(すくも)を痛めるし、染物も痛めて良いことがないからです。

 私がどう答えたかと云へば、化学建てが輸入され、アルカリという概念も輸入されて、安価な石灰が使われるようになったのだろうというのが一つの答えです。

 それについては次回の予定

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