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2018年6月

2018年6月30日 (土)

日本のサッカー 雑感その2

 「過去を知らないで、何故未来を語ることが出来るのか。そう若い人たちに言いたい」トニー・ベネット

【日本のサッカー 雑感その2】

 本来の日本サッカーの曙は、戦前のベルリンオリンピックで優勝候補のスウェーデンを破ったことだった。これで日本のサッカー文化が始まると思った矢先に、戦争がはじまり、予定されていた東京オリンピックは中止された。 
 再び日本でサッカーが思い起こされるには、戦後の東京オリンピックまで待たなければならなかったという長い道のりがある。

 そしてメキシコオリンピックで銅メダルを取るという偉業がなされた。

 何故日本サッカーが今に生き延びてきたか。勿論、サッカーに携わった人々の熱意があったからだろうが、何故彼らに熱意があったかと言えば、ベルリンオリンピックの選手たちの奮闘や努力があって、そこに感動があったからに違いない。

 日本人は過去を振り返って生きてきたが、現代の日本人は振り返ろうともしない。だから、今、何故サッカーが日本にあるかということも知らない。そこに、数々の感動があったことも。

 事やモノにある大切なことは何か?
 「大切な事」とは、万物に通じるものだと私は思う。子育てにも、もちろん藍染めにも、サッカーにも、諸々にだ。

 対ポーランド戦の戦い方が罪深いのは、この「大切なこと」を失ったことだ。日本に今サッカーがあるという理由、先人たちの築いてきた歴史を、感動を失ったことだ。それこそ「大切な事」ではないか。

2018年6月29日 (金)

日本のサッカー 雑感

 日本のサッカーは東京オリンピックで曙を迎え、1965年に日本リーグが出来、メキシコオリンピックで一度頂点を迎えた。三菱対ヤンマーなどの人気カードでは、国立競技場が満員になるくらいで、正月元旦は、毎年天皇杯決勝で盛り上がった。

 しかし、銅メダルを取ったメキシコ五輪後、選手の育成に失敗。オリンピックにもワールドカップにも出場できず、人気も長い間低迷した。

 ジーコが住金(現鹿島)に入るなどして機運が高まり、ようやくプロリーグのJリーグが出来て日本のサッカーが注目されるようになるけれど、ワールドカップにも出場できず、どうしてもメジャースポーツになり切れなかった。活躍してきた日本リーグの選手たちも高齢化して、難しい時代が続いた。

 小野伸二の世代が19歳以下のワールドカップで準優勝した。これがいわゆる黄金世代(日韓ワールドカップでベスト16)。しかし、この世代の育成にも失敗。この大会で注目されだした選手は、例えばマラドーナがそうだし、スペインの黄金世代は日本が準優勝した時の優勝メンバーでもある。このスペインと同じレベルの選手を持っていた日本は、今をもってマイナーだし、レベルも高くない。

 サッカーを良く知るファンは、これを何とかしたいと思う。日本を一流のサッカー国にしたい。日本人選手にその素質があることを、黄金世代で知った。
 だから、ワールドカップでは勝つことに拘って欲しくない。レベルアップを目指してほしいのだ。その為にも、選手の育成をしてほしいのだが、今回も、日本サッカー協会は、昔のように裏切っている。

 残念でならないが、その象徴が対ポーランド戦に現れているから、批判があるわけだけれど、サッカーを知らない人たちは、そんなことは思いも及ばないだろう。

 南アのベスト16も、日本サッカーの発展を妨げた。それを説明するのも面倒だが、サッカーの内容と質を重要視しなかったからだ。そして、三浦和の落選は子供たちから夢を奪った。

 JFAの会長や日本代表の監督に、日本人のプロ選手経験者がならないと、日本サッカーのレベルアップは出来ないのかもしれない。人材の育成も。

2018年6月26日 (火)

藍染が存在する理由・意味などについて その2

 ある日、高校の古文の先生で、剣道も教えている方と出会いました。教士七段。
 彼は、「剣道を教えるとき、私は生徒たちに『君たちは、ただ剣道をしているわけではない。藍染の道着を身に着けることによって、同じものを身につけていた江戸時代の人と会話をしているのだ』と教えています」と、染め師の私に語ってくれました。
 
 さすがに古文を教えている先生の言葉だと、僭越ながら思いました。古典と親しむことは、その時代に身を置き、その時代の人と語り合い、己の来し方行く末を知り、自己を失わ無いようにすることでしょうから。私が昔ながらの藍染めに拘るのも、同じ理由です。しかし、残念ながら事はそう単純ではありません。
 
 植物からとる藍は、含有量が3~4%ときわめて少ないものです。
 そこで人類は、19世紀の終わり頃、石炭からコークスを取るときに出来る副生成物のコールタールから、100%の純粋な藍を発見しました。
 純粋(ピュア)な藍(インディゴ)だから、インディゴ・ピュアと呼ばれます。これが、人造藍です。

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(詳しくはこちらを参照)

 人造藍によって藍染めは革命的に変わり、簡単に染め液が出来るようになり、大量生産が可能になった。そして、植物を原料とする伝統的な藍染めは、壊滅的な打撃を被ることになります。
 
 では、伝統的な藍染めと人造藍のそれは何が違うのか?
 
 藍染めの液は、伝統の藍染めは堅木を燃やした木灰から取った「灰汁(あく)」を使って来た。しかし、木を燃やして灰を作ることも、それから灰汁を取ることも、手間がかかって面倒ですし、灰はそれほど沢山作れるわけではありません。
 
 それを化学的に分析すると、強アルカリ性だった。 
 そこで、人造藍の藍染めでは、苛性ソーダや石灰を使い、強アルカリ性の溶液を作ります。これで、手間を省くことが出来た。
   
 藍染めは、酸化発色です。空気や水に含まれる酸素と結合して青くなる。ですから、染め液の中には酸素はありません。つまり、無酸素状態なのです。
 
 伝統的な藍染めは、醗酵という手法で時間を掛けて無酸素状態を作り出してきた。しかし、雑物の無いピュアなインディゴは醗酵しませんから、無酸素の液は作れません。
 
 酸化したものを元に戻すことを、還元作用と言います。そこで化学は、還元剤というものを作り、簡単に無酸素状態の液体を作ることが出来るようになりました。
 
 苛性ソーダや石灰で作った強アルカリ性の溶液に、その還元剤を適量入れて無酸素状態の液体を作ることによって、簡単に藍染めの染め液が出来るようになったのです。
 
 この溶液は、藍の成分を持ったものなら、何でも染め液にすることが出来ます。石炭由来の合成藍でも、植物由来の生葉でも、乾燥葉でも、蒅(すくも)でも、沈殿藍でも、簡単に藍染めの染め液ができあがるのです。
 
 この建て方(藍染めの液を作ること)を、化学建てと呼びますが、今の藍染めの大凡がこの建て方です。
 
 化学建ての染め液に酸素が入って藍が溶け難くなってしまった場合、還元剤を加えて酸素を取れば良いし、アルカリ性の強弱も簡単に調整できますし、藍の色が無くなれば人造藍を足せば良い。
 
 大量生産が出来る理由が、お分かりだと思います。
 
 さて、剣道着は、そのほとんどが人造藍を使った化学建ての藍染めで作られています。それがなんなのだ!っというお話は、長くなりましたので次回といたします<(_ _)>
 
Photo_4伝統の藍染めは、はじめ茶色で染め液から出てきます。
茶味の濃淡は、染め液の年齢によります。
写真の染め液は初老くらいかな。
化学的に薬品を使った藍染めは、原料が何であれ、緑色です↓。
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2018年6月23日 (土)

栗原彦三郎と日本刀と

 伝統文化を守るのは、結局は人。人を如何に育てるか以外にない。何故伝統文化が必要かと言えば、それこそ日本人のアイデンティティの問題だからだと私は思う。
 
 日本刀は、明治維新で滅ぼされようとした。この辺りが明治の一大問題。それを復活させたのが、栃木県佐野市閑馬町の栗原彦三郎。かの田中正造の弟子でもある。今や、佐野市民、栃木県民、日本国民の話題にも上らないが、それで、真の日本刀の文化など守れるのだろうか。
 
 栗原彦三郎は、佐野は閑馬の人。

 田中正造を慕い、若くして上京。大隈重信にも支持して衆議院議員を3期務め、勝海舟所縁の東京赤坂氷川町に日本刀鍛練伝習所を設け、刀匠の育成に尽力した刀剣界の功労者。

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 群馬県太田市の刀工大隅俊平(人間国宝)の師匠宮入昭平(人間国宝)は栗原彦三郎門下。だから大隅俊平は彦三郎の孫弟子となる。

 その宮入の兄弟子で、日本刀鍛練伝習所師範代として宮入昭平を指導した石井昭房は、彦三郎の三十三回忌にあたった昭和63年、栃木県佐野市閑馬町に「刀聖鉄火入道栗原彦三郎の像」を私費を投じて建立した

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 日本刀の歴史には、上記したようなことがある。栗原彦三郎昭秀は、滅びようとした日本刀を守った人。

 その「守った人」を思い起こすこのがないのも日本。
 地元佐野市も然り。

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