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2018年6月23日 (土)

栗原彦三郎と日本刀と

 伝統文化を守るのは、結局は人。人を如何に育てるか以外にない。何故伝統文化が必要かと言えば、それこそ日本人のアイデンティティの問題だからだと私は思う。
 
 日本刀は、明治維新で滅ぼされようとした。この辺りが明治の一大問題。それを復活させたのが、栃木県佐野市閑馬町の栗原彦三郎。かの田中正造の弟子でもある。今や、佐野市民、栃木県民、日本国民の話題にも上らないが、それで、真の日本刀の文化など守れるのだろうか。
 
 栗原彦三郎は、佐野は閑馬の人。

 田中正造を慕い、若くして上京。大隈重信にも支持して衆議院議員を3期務め、勝海舟所縁の東京赤坂氷川町に日本刀鍛練伝習所を設け、刀匠の育成に尽力した刀剣界の功労者。

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 群馬県太田市の刀工大隅俊平(人間国宝)の師匠宮入昭平(人間国宝)は栗原彦三郎門下。だから大隅俊平は彦三郎の孫弟子となる。

 その宮入の兄弟子で、日本刀鍛練伝習所師範代として宮入昭平を指導した石井昭房は、彦三郎の三十三回忌にあたった昭和63年、栃木県佐野市閑馬町に「刀聖鉄火入道栗原彦三郎の像」を私費を投じて建立した

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 日本刀の歴史には、上記したようなことがある。栗原彦三郎昭秀は、滅びようとした日本刀を守った人。

 その「守った人」を思い起こすこのがないのも日本。
 地元佐野市も然り。

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