フォト

紺邑のホームページ

  • 紺邑のホームページ
    職人の手づくりのホームページです。 紺邑について、藍染めについての情報は、こちらをご覧ください。

ネットショップ

  • G.i-Japan
    藍染を始める方。藍染をなさりたい方もお訪ねください。藍に関する資材とノウハウを提供します。 藍染の製品もあります。 その他にも、沢山そろえて行きます。

他のアカウント

« 2018年7月 | トップページ | 2018年10月 »

2018年8月

2018年8月10日 (金)

朱子学入門

 夕べ、朱子学、陽明学、伊藤仁斎、荻生徂徠を解説している動画を見た。酷い内容だから、紹介もしないし批判するに値もしないけれど、解説者は悪びれず、遠慮もせずに堂々と解説していて、「とても分かりやすく参考になりました」という感想まであった。
 
 分かりやすく簡単なことが、理解を深めることになろうはずがない。それは、ただ「知る」ことでしかない。朱子学の「格物致知」とも陽明学の「知行合一」とも、遠く離れて行くだけだろう。
 
 困った風潮だと僭越ながら思うけれど、教育の大切さをつくづく思う今日この頃。
 では、「お前はどうか?」と問われれば、「勉強中」と答えるのみ。
 
 しかし、何故勉強しないのか?と思うことが度々ある。物事は簡単には分からないのだ、という事が分からないのだな。だから、答えなんか容易く出てこないのに、答えに出会ったと勘違いする。
 
 勝海舟が語った、「知行合一」という陽明学の言葉がある。それはどういうことか?
 彼は「正心誠意」とも語った。それはどういうことか?
 「格物窮理」「格物致知」という朱子学の言葉がある。それはどういうことか?
 朱子学とは何か?陽明学とは何か?
 
 それを知りもせずに朱子学も陽明学も語れるはずもなく、「知行合一」も「格物致知」もあったもんじゃない。
 
 そしてそういう学問は、日本の江戸時代から今に生きてある。
 
 「鑑みる」とは「歴史をみる事」だけれど、その歴史の中に朱子学も陽明学もある。だから、我々は知らねばならない。
 
 今、私は「大学」を読み返している。「小人閑居して不善を為す」というのがそれ。二宮金次郎が薪を背負いながら読んでいる書物が「大学」。それを学んだ二宮尊徳によって、数知れない農村が救われた。飢饉にも耐え、餓死者も出さなかった。
 
 学問を「大学」から始めろと言ったのは、朱熹だ。大学、論語、孟子、中庸の順に学べと。では、朱熹とはどんな人で彼が始めた朱子学とはどんな学問か?その批判としてあった陽明学は?と学ぶことは、大切な事だろうけれど、さて、どうやって学ぶか?
 
 私はこれを読み返している。
 
Img_20180809_0004               【朱子学入門】垣内景子著 ミネルヴァ書房

<朱子学を知ることは、私たちの過去・現在・未来を見つめなおすことだ>と帯にある。まさしくその通りだと思う。ご一読をお勧めしたい。
 
 ちなみに著者は明治大学文学部の教授だけれど、私の藍染めのヘビーユーザーでもある。

2018年8月 3日 (金)

天職

 《天職という言葉がある。若し天という言葉を、自分の職業に対していよいよ深まって行く意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。今日天職という様な言葉がもはや陳腐に聞こえるのは、今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を身附けることが大変困難になったので、多くの人が職業のなかに人間の目的を発見する事を諦めて了ったからです。これは悲しむべき事であります。》小林秀雄 昭和24年10月「私の人生観」
 
 私の生まれる前の年の小林秀雄の講演の中の言葉だけれど、この頃から「人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を身附けることが大変困難」になっていたとすれば、やはり悲しむべき事。これは、今に続く戦後問題だろう。
  
 小林秀雄は「職業を探求していると、職業の秘密が現れてくる。それは公開したくないというものではなく、公開が不可能なもの、人には通じようもないもの」と語っています。小林はそれを「あらゆる専門家の特権」と言い、「生きる流儀の感得」だと語る。その上で「天職」を語った。
  
 昨日、お客様に話したことだが、藍染めについて沢山語ったけれど、こういうこともあるのだとご承知おきください、ということだったんだろうと思う。

« 2018年7月 | トップページ | 2018年10月 »