朱子学入門
夕べ、朱子学、陽明学、伊藤仁斎、荻生徂徠を解説している動画を見た。酷い内容だから、紹介もしないし批判するに値もしないけれど、解説者は悪びれず、遠慮もせずに堂々と解説していて、「とても分かりやすく参考になりました」という感想まであった。
分かりやすく簡単なことが、理解を深めることになろうはずがない。それは、ただ「知る」ことでしかない。朱子学の「格物致知」とも陽明学の「知行合一」とも、遠く離れて行くだけだろう。
困った風潮だと僭越ながら思うけれど、教育の大切さをつくづく思う今日この頃。
では、「お前はどうか?」と問われれば、「勉強中」と答えるのみ。
分かりやすく簡単なことが、理解を深めることになろうはずがない。それは、ただ「知る」ことでしかない。朱子学の「格物致知」とも陽明学の「知行合一」とも、遠く離れて行くだけだろう。
困った風潮だと僭越ながら思うけれど、教育の大切さをつくづく思う今日この頃。
では、「お前はどうか?」と問われれば、「勉強中」と答えるのみ。
しかし、何故勉強しないのか?と思うことが度々ある。物事は簡単には分からないのだ、という事が分からないのだな。だから、答えなんか容易く出てこないのに、答えに出会ったと勘違いする。
勝海舟が語った、「知行合一」という陽明学の言葉がある。それはどういうことか?
彼は「正心誠意」とも語った。それはどういうことか?
「格物窮理」「格物致知」という朱子学の言葉がある。それはどういうことか?
朱子学とは何か?陽明学とは何か?
それを知りもせずに朱子学も陽明学も語れるはずもなく、「知行合一」も「格物致知」もあったもんじゃない。
そしてそういう学問は、日本の江戸時代から今に生きてある。
「鑑みる」とは「歴史をみる事」だけれど、その歴史の中に朱子学も陽明学もある。だから、我々は知らねばならない。
今、私は「大学」を読み返している。「小人閑居して不善を為す」というのがそれ。二宮金次郎が薪を背負いながら読んでいる書物が「大学」。それを学んだ二宮尊徳によって、数知れない農村が救われた。飢饉にも耐え、餓死者も出さなかった。
学問を「大学」から始めろと言ったのは、朱熹だ。大学、論語、孟子、中庸の順に学べと。では、朱熹とはどんな人で彼が始めた朱子学とはどんな学問か?その批判としてあった陽明学は?と学ぶことは、大切な事だろうけれど、さて、どうやって学ぶか?
私はこれを読み返している。
勝海舟が語った、「知行合一」という陽明学の言葉がある。それはどういうことか?
彼は「正心誠意」とも語った。それはどういうことか?
「格物窮理」「格物致知」という朱子学の言葉がある。それはどういうことか?
朱子学とは何か?陽明学とは何か?
それを知りもせずに朱子学も陽明学も語れるはずもなく、「知行合一」も「格物致知」もあったもんじゃない。
そしてそういう学問は、日本の江戸時代から今に生きてある。
「鑑みる」とは「歴史をみる事」だけれど、その歴史の中に朱子学も陽明学もある。だから、我々は知らねばならない。
今、私は「大学」を読み返している。「小人閑居して不善を為す」というのがそれ。二宮金次郎が薪を背負いながら読んでいる書物が「大学」。それを学んだ二宮尊徳によって、数知れない農村が救われた。飢饉にも耐え、餓死者も出さなかった。
学問を「大学」から始めろと言ったのは、朱熹だ。大学、論語、孟子、中庸の順に学べと。では、朱熹とはどんな人で彼が始めた朱子学とはどんな学問か?その批判としてあった陽明学は?と学ぶことは、大切な事だろうけれど、さて、どうやって学ぶか?
私はこれを読み返している。
<朱子学を知ることは、私たちの過去・現在・未来を見つめなおすことだ>と帯にある。まさしくその通りだと思う。ご一読をお勧めしたい。
ちなみに著者は明治大学文学部の教授だけれど、私の藍染めのヘビーユーザーでもある。
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