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2018年11月

2018年11月30日 (金)

近況雑感

 妹とその亭主が久しぶりに来て、色々あった我が家の昔話を語ると、二人は何も知らないという。そこで少し話をしたが、自分の人生を振り返ってみると、まあ、色々あることあること。

 私は19才の頃から歌を歌っていたけれど、それは米軍基地内のクラブのショーでだった。グアムに行ってくれと言われて小さな島の基地すべてを回り、退役黒人兵におんぼろのキャデラックのオープンで、当時観光地化もされていなかった島中を案内してもらったこともある。
 
 私には妙な予知能力のようなものがあると言う話は以前書いたけれど、その時、日本兵が島に住んでいて出て来るなと、島内をドライブしながら何故か思った。
 
 

親父に「グアムには日本兵が隠れている気がする」と語ったのは帰って来たその年の暮れ。年が明けたら、私の予見通りに横井庄一さんが出てきた。
 
 
親父が「お前が言ったとおりだったなぁ」と驚いていたけれど、そのおやじの死について、今日は妹夫婦に少し話が出来た。

 
驚いた様子だったけれど、我々も老人だ。知っても良いだろう。

2018年11月29日 (木)

寄付集めの広告

 インターネットを覗くと、またぞろ寄付集めの広告を見る。なんで広告を打つのか、その神経が私には理解できない。

 私のボランティアの始まりは、青少年赤十字団(JRC)に入団して、高校の時に団議長などを務めたことに始まる。そんなことは偉いことじゃなくて勝手な事だけれど、それ以来色々やった。

 やらなかったことはただ一つ、お金集め。赤い羽根を含めて寄付を募ること。理由は、使い道が明確でないことに他人様の金を集められないというただ一点。金を使えないなら別のことをすればいいのだから、色々やった。

 広告を打つには制作費やらなにやらと経費が掛かる。ホームページの制作だって同じ。それをボランティアですれば全てが寄付に回る。ボランティアや人を救うための寄付集めなら、そうするのが当たり前だと私は思う。経費が掛かるなら節約する。例えば事務所を持たなければならないなら、金のなるべくかからないところにする。ちっちゃなアパートの一室で何が悪い。港区青山のビルを借りるなんてのは以ての外だ。

 寄付をするのは勝手で自己責任だから、するなと云うわけじゃない。しかし、人に勧めるものじゃない。それが、私が言いたいこと。

 私は広告代理店のようなこともやったからよくわかるが、寄付金で広告費が出るなんてのはおいしい仕事。そんなことに他人様の善意を利用することは、私には出来ません。

 という、長い独り言なり。

 
 追伸
 私はJRCだったけれど、日本赤十字の寄付金対応は素晴らしいと思う。そのかわり、ホームページの報告もそっけないほど金が掛かっていない。それでいいのだ。

<義援金は ”全額” 被災された方々へ>
http://www.jrc.or.jp/contribute/gienkin/?fbclid=IwAR2tEz92y4uvk5_H8bq14x1LkQOmYYJVUjWzwFfd90xB0HBsLPQNz0TFZKM

2018年11月27日 (火)

冬夜独居 大木実

冬夜独居

              大木実

悲しくはないといふ
辛(つら)くはないといふ
晴衣や肩掛けを失くしてしまつたことも
祝福(いはひ)享(う)けぬわたし達であることも
ちひさなひとつの部屋で
鍋で飯を炊(た)き
味噌汁をすする
ままごとのやうな生活(くらし)を幸(しあは)せだと喜ぶ
妻よ
おまへは本当に幸せなのか
おまへの笑ひがあどけないほど
おまへは泣いてゐるのではないか 哀しみを
おまへは包んでゐるのではないか

 

あすの朝餉(あさげ)の
買物に出ていつた妻のゐない部屋で
湯の沸(たぎ)る音を聴きながら
わたしはおもふ
これが生活(くらし)といふものか
幸福とはかうも静かに悲しいものなのか――

 
 
 

 大木さんは大正の初めに生まれ、28歳で結婚して3ヶ月で招集されて4年間の兵役について復員。戦後大宮市役所に27年間に勤めながら詩を書いた人。
 平凡の反対側に居る私が、「こんな私と一緒になって苦労させているね」と柄にもなく妻に言った今朝。この詩が身に染みる。

2018年11月25日 (日)

足利のソースカツ重

 最近、大腸の調子が劇的に良くなってきたと思い込んだ。そこで、横浜の「揚子江」には行けなくとも、足利なら良いだろうと、お昼を食べに、息子と二人で出張ってきた。
 

 場所は「きよ水」。通り2丁目、足利のど真ん中。

 

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 ソースかつ丼と言えば桐生の「志多美屋」で、それも「相生支店」が良いと私が言ったら、わざわざ相生に行った友人が、「私は足利の『きよ水』の方が合う」とFBに書いたので、いつか行こうと思っていた小料理屋さん。いかにも足利らしい、落ち着いた良い雰囲気のお店。
 入った途端に、「ソースカツ重がお勧めですよ」と女将さん。こちらも直ぐに、「それをお願いします」ととんとん拍子。


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  感想を云へば、美味かったなぁ。

 肉(ヒレ)も良し、上げ具合もこれ以上は無いというほどにカラッと揚げられて、ご飯も炊きたてで、お味噌汁はしっかりと出汁がとられていて三つ葉も良い香りで、漬物はぬか漬けの上物で、その上に素晴らしいのはお茶が美味しかった。ただ、ソースが少し甘い。それが良いという人が多いらしいけれど、それは好みの問題ですから、云う事なしの美味しいカツ重でした。吉谷さん。

 さて帰り道、足利に行って食事をとるのは無理だという事態になって、苦しみながら帰宅。それから今まで苦しんだ。夜になってもう大丈夫だけれど、まだ早かったな。もう少しだな。

2018年11月24日 (土)

藍染めの悩み 雑感

 昨日は、10時間ほどかけて藍染めをしている方々が我が家にいらした。それだけ悩みが深いのだろうが、私と同じことをしようとするから悩むんじゃないかなと、一晩経って考えるようになった。「いいじゃないの 幸せならば」という歌が昔あったけれど、今の自分のやり方を変えなきゃならないと、なんで思うんだろうか。

 出来るだけのお話しをしたけれど、彼らが自分のことを私に正直に話をしているとは限らない。それが難しいところ。だから疲れ切った。でも、来られたら仕方ない。

 石灰を使っていたある紺屋が、いつの間にか貝灰を使っていると、弟子から聞いた。そう言う染め師は多い。しかし彼らには、何故貝灰を使うのかという理由が理解されていないようだ。灰汁も、なぜ使うかという理由が分かっていない。だから使い方を間違えるし、分からない。そして、悩む。

 こういう根本的な事は、人間は当たり前のようにしてきたことで、それが伝統として伝わってきた。だから、伝統工芸をしている人たちには当たり前のことなのだが、新しく始めようとする人達には伝統がないから悩む。

 それを10時間かけて我が家に来て、数時間の話しで理解するのは大変だと、つくづく感じる昨今也。

Hanadanoru                    写真は縹縷(はなだのる)

          日本に現存する最古の藍染め。およそ1300年ほど前のもの。
          http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000014723

2018年11月23日 (金)

藍染と天然

 昨日入らした染め師と名刺交換の際、「一応、天然の藍染めをしています」とその方はおっしゃった。よせばいいのに、「私は天然という言葉は使いません」と私は言った。何故使わないか。

 ある著名な藍染めの工房は、苛性ソーダと石灰で醗酵させて染め液を作っています。維持管理には還元剤(ハイドロサルファイト)も使うし、色が無くなれば合成藍を足している。これは、周知の事実です。そして「天然藍染め」と称し、某県の伝統工芸にも指定されている。

 その周辺には、本藍染と称している人たちも居て、彼らは石灰を使うにしても、灰汁を使って藍を建てている(私には醗酵ではないとわかるけれど)。彼らは自分たちを本物と思うから、その某著名な工房の藍を、「あれは割建て(合成藍を使う染め)だ」と陰で非難しています。

 非難の声は、その工房の染師にも聞こえている。やましさは感じるにしても、なす術はない。他に方法も知りませんから。そして「石炭も天然だ」と開き直る。
 
 その染め師は間違ったことを言っているわけではない。確かに石炭も天然です。だから、私は「天然」という言葉を使いません。

 もう一つ使わない理由がある。天然であることなど言わずもがなだからです。当たり前の事。

2018年11月20日 (火)

淡路島の弟子と「芭蕉」と

 淡路島で、藍草の栽培、すくもづくり、藍建て(本建て)、藍染め(正藍染め)を一貫してしている五期生の根岸君が来工。私の元気そうな様子を喜んでくれた。

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 五期は、昨年の4月の終わり、手術直後に開催された。癌のステージ4と言われ、死ぬ覚悟で臨んだ講習会でしたから、他の講習会とは趣が異なります。私の言葉は、いわば遺言だった。

 小さな染め場にマイクを持ち込まなければ、私の声は聞こえなかったくらいに弱弱しく、終始車椅子にすわり、疲れると2階で休むという体たらく。体重は46㎏で骨川筋衛門。生気もなく、死相が現れていただろうと思う。

 講習会の最後に、私は力を振り絞って講話をした。内容は今と変わらないだろうけれど、そんな状態で遺言をしているようなものだったから、みんな泣いていました。
 あれから1年半経って、ちゃんと話せる私を初めて見て、「あぁ、先生はこんな声をしているんだなぁ」と思ったらしい。無理もない。

 2期生の齋藤さんが付き合ってくれたけれど、話の流れで桐生市の「芭蕉」というレストランで夕食。



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 その雰囲気はクリエイターにはたまらないもの。フルーティストの赤木りえを連れて行ったときは「1日中ここで作曲していたい」と言わしめた。デニムの齋藤さんも、相当刺激を受けたことだろう。

 5期生の皆さん、私はこんなに元気になりました。

2018年11月19日 (月)

染め液の維持管理とpHについてなど

 私の所には、海外からも全国からも藍染めをなさっている方がいらっしゃいます。そう言う方々から様々な情報を頂いて、藍染めの世界の今が見えるようになりました。このインターネットの世界もまた、藍染の現状を教えてくれています。
 思う事は色々ある。だから、書いているわけですが、藍建てについていうと、どうも余計なことをやり過ぎているのではないかと思えるのです。
 
 例えば「灰汁醗酵建て」という染め液の作り方があるそうですが、それを見ると、藍建ての時に、灰汁は使うけれど、日本酒やふすまを入れ、その上に石灰をいれて強アルカリ性にして藍建てをしているようです。しかしこれは、醗酵するかもしれないけれど、灰汁の力ではなく、その他の有機物と石灰の力で醗酵させているので、たぶん、直ぐに醗酵が止まってしまうだろうと想像できるわけです。だから、維持管理に悩む。「灰汁」は使っているけれど、灰汁の力で建っているわけではないからです。
 
 そういう藍建てを教える人は居るようです。本もある。しかし、維持管理は教えていないようで、最近お見えになる方々は、その悩みを抱えていらっしゃる方ばかりです。それも、遠くからわざわざいらっしゃる。

 よくよく聞くと、皆さん、何かの還元剤を使ってしまっている。先日入らした方は蜂蜜を使っていました。蜜はいけません。基本は藍建てと同じく、灰汁です。

 まず知るべきは、灰汁は微生物の餌だという事(アルカリ性なのは結果に過ぎません)。藍染めにpHは関係ない事。石灰は餌にならないという事。貝灰も餌ですから微生物がみんな食べてしまいます。ふすまも餌。そう知ると、それらの扱いが出来るようになります。
 
 pHを測って藍建てをして維持管理するのは、醗酵とは無縁です。藍染めは長い歴史を持つけれど、その歴史の中にpHという概念も無ければpHメーターもあるはずがありません。
 pHにとらわれると、藍の染め液と語り合うことは出来なくなります。それは子育ても同じ。赤ちゃんがお腹を空かせて泣いているのに、何故泣いているかを測る機械があって、それで計ったらおむつを替えろと答えが出てきたので、おむつを替えたけれど、いっこうに泣き止まないという様なものです。
 

 灰汁は、藍の染め液の命の元です。だから、良い灰汁を使わなくてはなりません。その為には良い灰が必要ですが、良い灰は作るのです。しかし、灰の作り方も伝わっていません。


Aku

 

 

 

2018年11月14日 (水)

死は一種の幸福である(ソクラテス)

ケ・セラ・セラ

 
私がまだほんの小さな娘だったとき、
私はママに私の将来を尋ねた。
私はきれいになるかしら。それともお金持ちになれる?
そしたらママは答えた。
 
気にしなくていいの。
なるようになるんだから。
将来のことは、人間にはわからないの。
 
私が大きくなって恋に落ちたとき、
私は恋人に私たちの将来について尋ねた。
私達の未来は、ずっと明るいと思う?
すると恋人は言った。
 
気にしなくていいんだよ。
なるようになるさ。
先のことは、人間には分からないんだから。
 
今、私は自分の子供を持っている。
すると彼らは私に聞くのだ。
僕はハンサムになれるかなぁ。お金持ちになれると思う?
そこで私は、彼らに優しく話してやる。
 
心配しなくていいの。
ちゃんと鳴るようになるわ。
将来のことは誰にも分からないのだけれど。
 
  
 曽野綾子が「私の『死の準備』」というエッセイの中で、ドリス・デイのこの歌を意訳して書いたもの。
 
 曾野は、子供の頃に二度死を自分の体験として前方に見たと語る。それ以来、死について始終考えるようになったが、それによって私は私らしくなっただけだと書いて、この歌が本当に好きだったと。
 「私たちの未来はほんとうにすべてにおいて、一瞬先の保証もない。その中で、たった一つ確実なことがある。それが死なのである」と。
 
 ソクラテスに死刑の判決が下された。そして彼は「今私の身に降りかかったことはきっと良いことであると思われる。それで私たちの中で死を禍であると信ずるものは皆確かに間違っているといわねばならぬ。」と言った。(ソクラテスの弁明)
 つづいて「「死」とは幸福なものだ」とソクラテスは言い、それは何故かとも語っているわけで、これもまた、深いお話しだ。

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 ソクラテスは、特に曲がったことをしようとする時に、それが極めて瑣細(ささい)な事であっても、決まって神霊の声の予言的警告があって私を諫止(かんし)してきたが、死刑となるかもしれない今日は、何をしても何を言ってもそれがない。だから、今私の身に降りかかったことは善い事だと思われる、と語る。「私の出逢おうとしているものが幸福なものでなかったならば、例の警告の微が私を諫止しないわけがないのである」と。

 《また、次のように考えて見ても、死は一種の幸福であるという希望には有力な理由があることが分かるであろう、けだし死は次の二つのうちのいずれかでなければならない、すなわち死ぬとは全然たる虚無に帰することを意味し、また死者は何ものについても何らの感覚を持たないか。それとも、人の言うが如く、それは一種の更生であり、この世からあの世への霊魂の移転であるか。またもしそれがすべての感覚の消失であり、夢一つさえ見ない眠りに等しいものならば、死は驚嘆すべき利得と言えるであろう。というのは、思うに、もし人が夢一つさえ見ないほど熟睡した夜を選び出して、これをその生涯中他の多くの夜や日と比較して見て、そうして熟考後、その生涯の幾日幾夜さをこの一夜よりもさらに好くさらに快く過ごしたかを自白しなければならないとしたら――思うに、単に普通人のみならずペルシャ大王といえども、それは他の日と夜とに比べて容易に数え得るほどしかないことを発見するであろうからである。それで死がはたしてかくの如きものであるならば、私はこれを一つの利得であるといおう。その時永遠はただの一夜よりも長くは見えまいから。これに反して死はこの世からあの世への遍歴の一種であって、また人の言う通りに実際すべての死者がそこに住んでいるのならば、裁判官諸君よ、これより大なる幸福があり得るだろうか。》(岩波文庫「ソクラテスの弁明」)

 こうしてソクラテスは、死を免れる方法をあえて取らず死んだ(クリトン)。
 
  
 曾野は自分の小説の中で、犯してもいない虐殺の罪に問われて死刑判決を受ける学徒兵に、母あてに次のような手紙を書かせている。
 
 「私が死ねばたった一度だけ、他の人にはできぬ孝行が出来ると信じています。それは、母上に、この世に深く絶望して、そして、意外にも心軽く、死んで頂けるかもしれない、と思う事です。しがみついて、生きていなければならぬようなこの世ではありませんでしたね、お母さん」。
 
 さて、簡単じゃないな。

 

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