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2018年12月13日 (木)

染色の存在理由

 「同じような色は合成染料で再現できると思うけれど、草木染めというとそれだけでありがたみを感じさせることができる現代におけるマジックだと、個人的には思う」という記述に出会った。そう思うのは無理もないと私は思う。
 
 「草木染め」という言葉は日本には無かった。これは、昭和の初めに山崎さんという方が登録なさった商標です。何故日本に草木染めという言葉がなかったかと言えば、植物を原料とした染めは、余りに当たり前だったからでしょう。つまり人類にとって日本人にとって、「染め」と言えば植物を原料としたものだった。そこに合成染料を原料とした、植物由来の染ではないものが現れた。そこで、山崎さんが考えた言葉が「草木染め」なのかもしれません。
 
 言葉は歴史や伝統との対話の手段です。染めの歴史とて同じ。そこには技術・手法という伝統も含まれる。「草木染め」という、人間の世界に無かった言葉で歴史をたどることは出来ませんから、技術と手法を新しく考え出さねばなりません。そこに「媒染材」なるものの存在がある。
 
 「媒染材」という言葉も、日本語にはなかった。だから、この言葉でも歴史を振り返ることは出来ません。そこで山崎さんは、金属という媒染材に出会う。または作り出した。「金属」という言葉でも歴史は振り返れませんから、これによる新しい手法・技術が生み出された。それが今の「草木染め」です。 
 
 歴史を振り返れない言葉による技法では、歴史上の色は再現できません。歴史が真実を語ってくれませんから。だから、「再現した」と自分で語るしかない。染色の本に日本の古代色が表されているとしても、それが説得力を持つか持たないかは、本来歴史が語ってくれるはずですが、草木染めの世界はその言葉を持ちませんから、歴史は沈黙するしかありません。
 
 10世紀初めに表された「延喜式」には、植物を原料とした染めで、様々な色を出すための素材が大雑把に示されています。何故大雑把かと言えば、何をどの位使ってどうするかという方法は、当たり前のことだったからでしょう。または、職人の専門領域だったから。
 この「当たり前」や「職人の専門領域」をどう考えるかと言えば、伝承されてきた植物を原料とした染めの方法から考えるしかありません。それが、伝統工芸と言われるものの存在意義でもある。 
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 「草木染め」にはそれがありません。言葉を作ってしまったがために、物の持つ本質から離れてしまった。藍染でいえば、「生葉染め」などという、意味もないあり得ない染めを考案なさったのも、山崎さんです。
 
 染めのもつ本質とは何かと言えば、存在の意味です。何故赤があり青があるのかという理由です。人間は色を何故必要としたのか。それはどんな色なのか。そういう本質的な問題から離れているのが今でしょう。
 
 冒頭の「草木染めというとそれだけでありがたみを感じさせることができる現代におけるマジック」という記述を、「無理もない」と私が思う理由です。

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