紺邑のホームページ

  • 紺邑のホームページ
    新しいホームページがオープンしました。紺邑について、藍染めについての情報です。

ネットショップ

  • G.i-Japan
    藍染を始める方。藍染をなさりたい方もお訪ねください。藍に関する資材とノウハウを提供します。 藍染の製品もあります。 その他にも、沢山そろえて行きます。

イベント情報

他のアカウント

フォト

« 冬の藍建て講習会参加者募集のお知らせ | トップページ | 2018年 年末の近況雑感 »

2018年12月29日 (土)

「守破離」のこと

 ちょうど一年前の今日、ネット上の某所に・・・

 《「すくもで藍を建てるのはコストもかかるうえに難しい」と、乾燥葉を糖分と石灰で還元(けっして醗酵ではない)させて藍を染めるなんざ、正しい道からの逃避に過ぎません。藍染に全く意味がない。意義もない。
 ところが世間は惑わされ騙される。正しい道だと。問題は、それが善意、勘違い、功名心に覆われている事。現代日本は、真偽の見分けがつかない時代だということ。それが自然を語り、神を語る恐ろしさ。》
 
 と書いた。

 一年経つが、何も変わらない。蒅を使う人が出てきただけのことだ。
 
 最近、他の工房で藍染めをしている染め師が、何人も私の所に来て藍染めをして行く。何かを確かめに来ているのだろうけれど、私は語れるだけ語っている。そしてまた、次のようにも書いた。
 
 《他の工房の染め師が、私の所に染めに来ている話は書いた。今、ある人の工房で藍染めしている動画がアップされていたので見たけれど、何といったらいいのか、訓練されていないんだなぁという印象。教えている人がだ。これは仕方ないのだな。
  

 今日来た染め師にも話したことだけれど、伝統工芸の世界には共通したものが伝わっている。それらは、伝統の世界では当たり前のことなんだけれど、新しく始めた人たちは教わっていないから知らない。だから、藍染に取って当たり前のことが出来ていないのだ。その意味で、仕方がないというわけだ。
 
 
だけど、それを「本当の藍染め」と言ってはいけない。なぜなら、誤解が広がるだけだからだが、修正はもう無理だろう。誤解したまま終わるしかない。》

 

  
 さて、
「守破離」という言葉が、武道や能楽や茶道などの芸事にある。「守」とは基礎とか型、「破」とは「守」を基にした個性、「離」とは「破」の上の客観、とでも言いましょうか。

 
 「本当の藍染め」と主宰者が自ら称している工房で染めている動画を見て、「訓練されていないんだなぁ」という印象を持ったのは、「守」がないという事です。「守」が無ければ「破」という個性も実は無い。「守」のない人は「破」を発揮する力も見分ける力も持ちません。だから、ものの見分けが出来ない。判断が出来ない。
    
 日本の戦後文化は、ある面では薄っぺらなものになっていると思われるのは、「守」をおろそかにしているからだろうと私は長く考えてきました。そして、なにか仰々しく、重々しく、偉そうな振舞や態度に惑わされる。それが嘘でまやかしで破廉恥であることに思いも及ばない、気づかない。
  
 それがこの頃、気が付く人が出てきた。私の弟子もそろそろ100名を越し、全国に、海外にと広がりつつある。彼らに私が教えているのは「守」です。これから彼らの個性が培われて発揮されるでしょうが、正藍染めを知った人たちはもっともっと多い。それは、染め手も使い手も、上記したような、嘘やまやかしに気づくこと、破廉恥に気づくこと。
  
 <「意味への意思」を持つことが、最も人間らしいことである。何を考え、何を行動するにも、意味・意義を考える。それでこそ人間である。生活・行動に意味・意義を感ずれば感ずるほど、感激し、感激を持つことが、その意味・意義を得ることの一番真剣で、情熱的な事である。>安岡正篤
 
 藍染めするにも意味・意義を考えること。私の長年の主張です。意味・意義の無いものは、人間らしいものでは無いと。

« 冬の藍建て講習会参加者募集のお知らせ | トップページ | 2018年 年末の近況雑感 »

藍染め」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/194328/67534384

この記事へのトラックバック一覧です: 「守破離」のこと:

« 冬の藍建て講習会参加者募集のお知らせ | トップページ | 2018年 年末の近況雑感 »