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2019年1月24日 (木)

地獄建て 生きる喜び

 草木染めで名をはせた某氏は、地獄建てについてこう書いている。「出藍の誉れというように、藍建ては難しいのである。古くからの手法による藍建ては、灰汁水のみを用いた方法で、それを地獄建てなどといっているが、その方法は非常に困難なのである」と。
 
 さて、何故「非常に困難」とこの方は書くのだろうか。私は、困難だと言っているだけなんだろうと思う。何故かと言うと、この方は、技術的な面から藍建てを見ているからだし、書いてあるものを読んでも、藍染の職人として、私には共感はない。つまり、藍建てを知らないのだろうと。
 
 草木染めの基本は煮出しだから、それ以外の、例えば媒染剤の在り方などの技術的な面が先に走るのかもしれない。人に教えるのも、技術を伝えることになるだろう。「あれをこうして、これをああすれば、こういう色が出る」というようなことだ。
  
 しかし、灰汁だけで建てる「地獄建て」は、使うものは蒅(すくも)と灰汁だけだから、技術的な事は問題にならない。そこには媒染剤も還元剤もない。「あれをこうして、これをああすれば、こういう色が出る」というようなことがない。
 
 私が「地獄建て」のことを書くと、藍染の人は、材料に目が向く。灰汁だ石灰だふすまだ日本酒だ苛性ソーダだソーダ灰だブドウ糖だ水飴だ蜜だハイドロサルファイトだと。だから、例えば私が「石灰は使うな」と書けば、貝灰に変える。だけど、そこに理由が無い。いや、理由が分かっていない。だから、石灰を貝灰に変えるだけのことになる。一事が万事だろう。
 
 地獄建てが何故難しいと言われるかといえば、そういう事じゃないからだ。では、どういうことか。
 
 地獄建ては、蒅(すくも)と灰汁だけという、これ以上ないシンプルなものだから、使う材料の質の問題がまずは出て来る。これが厄介でもある。
  
 まずは蒅(すくも)の質の問題がある。それは当然、藍草の質の問題となる。これには種、土、肥料、水、天候など、神羅万象が関わって藍草が育てられ、その上に、藍草の刈り取り、天日干し、土間の作り方、藍草の積み方、水打ち、切り返しなどなど、これもまた神羅万象のことがあって蒅(すくも)が出来る。野に出て、染めの材料の草木を刈り取ってくるわけではないのだ。
 
 次に灰汁だ。これには良い灰が必要だ。その上に、灰をより良くする作業が加わる。次に、水。良い水を良い灰に加える事によって、良い灰汁が作れる。そして、それらの良し悪しの見分け方と作る方法の問題も出て来る。
 
 次に、蒅(すくも)に灰汁を加えて行くのだが、さて、どうやって加えれば良いのか。ここで大切なのは技術的方法ではない。良い方法とは、良い心、気持ち、考え方から生まれるのだ。
 
 これを私は伝えているのだが、伝えられるようになるまでに、私は修行を必要とした。「良い心、気持ち、考え方」を伝えることが、藍建てを伝えることだからだ。
 
 講習生達から藍が建ったという報告が次々に入ってきている。地獄建てによる本染めが日本中でも海外でも始まっている。中には藍が建って「こんな喜びが人生のなかにあるとは思いもしませんでした」という人がいる。私が伝えているのは、実はこういう「喜び」なのだ。

 地獄建てとそれによる本染めには、こういう「人が生きる喜び」がある。きる人が生きる喜びにも通じるっていう喜びにも通じるっていうが生きる喜びにも通じるっていう

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