青山二郎と民芸運動
青山二郎をご存知だろうか。装丁家として、小林秀雄、河上徹太郎、中原中也、三好達治などの本は彼の手になり、また陶器の目利きとして名が轟いているけれど、弟子のような白洲正子さんは彼を、「美の目利き」と呼んでいる。
そんな青山二郎が、民芸運動をどう見ていたか、実に興味があったのだが、たまたまバーナード・リーチを書いている随筆に、民芸運動のことが書いてあった。(芸術新潮昭和28年4月)
曰く「民芸運動は陶工に一つの理論を与えた。彼らはその理論の上にあぐらをかいて銘々の作品を失ったのである」と。表現は複雑だから誤解されるかもしれないけれど、あえて続ければ、「工芸の本格的な仕事を仕事としている事で、充分彼らは満足していたのである」。
青山は民芸の人たちを「抽象的になった」という。その彼らが作る「抽象化した物」は、一つ見れば皆分るという滑稽な欠点を持っているとも書き、「古い陶器や木工品にしても、どれが民芸だの『げてもの』として取り上げられると、一つ見れば皆分るという抽象性がそこに現われる」。
「こういう仕事に必要なものは見物の量である。沢山なファンがいけにえとして手なずけられた」と書いているけれど、そうだろうなと思う。それは、今の「手づくり」の世界に矮小化されて現れている。みな同じようなスタイルで生きていることがそれだ。
「リーチ始め彼らは我々の期待を裏切ったのである」と青山は言う。僭越ながら、胸のすくような言葉だ。
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