言葉は語り合う手段ですが、それはまた、歴史の中の人達とも同じ。だから大切なのであって、戦後教育はそれを疎かにし、教えないようにもされ、日本人は歴史と語り合えることが出来なくされております。
藍染も同じ事で、私は室町時代の職人と同じ手法で藍染をしていますから、歴史の中の藍染職人と語り合うことが出来る。薬品を使って今風の藍染をなさっている方は、古人と語り合うことは出来ません。そこには、共通の体験も言葉もありませんから。
「大和魂」という言葉があります。これもまた、誤読・誤解をされ、利用されてきた言葉の一つでもあります。これについて、少し語ってみたいと思います。
本居宣長は、弟子達に頼まれて、学問について、その学び様について書いた「うひやまぶみ」の中で、「道を学ばんと心ざすともがらは、第一に漢意儒意を、清く濯ぎ去て、やまと魂をかたくする事を、要とすべし」と言っています。つまり、「学問をしようとする者は、先ずは漢意儒意(からごころじゅごころ)をなくし、大和魂をしっかり持つことが肝心だ」と云うことでしょう。
では、「やまと魂」とはいかなるものか。
ボクサーの藤タケシが「大和魂」と叫んだ。
戦争中は、軍人の行動、それが例え蛮勇が如き事でも「大和魂」と呼んだ。
そしてこの言葉は戦後、軍国主義に結びつけられ、現在は使うのを憚られることもある。
「大和魂」という言葉が、日本で最初に文字に表されたのは源氏物語です。「なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強う侍らめ」と「乙女」に出て来る。「才」は学問、「大和魂」は生きるべき「知恵」」ということでしょうが、女の言葉として使われております。
さて、それ(大和魂)は具体的にどういうものなのか、「今昔物語」にも表されておりますが、阿川弘之の「大人の見識」(新潮新書)から引用してみたい。
《清原善澄という学者の家にあるとき強盗が押し入り、家財道具一切合切を盗んで行く。床の下に隠れてそれを見ていた善澄は、どうにも悔しくて我慢ならなくなり、ようやく一味が立ち去ろうとする時、後ろから「お前たち、明日、必ず検非違使に届け出て捕まえてやる」と罵った。怒った泥棒がとって返して、善澄は斬り殺されてしまう。この話「今昔物語」に出ています。作者はこう批判している。
「善澄、才めでたけれども、つゆ和魂(やまとだましい)なかるものにて、かくも幼きことをいひてしせるなりぞ」と。
要するに、なかなか学識のある人だったのに、我が国固有の智恵才覚を持ち合わせず、軽々しく幼稚なことを言ったばかりにむざむざ命を捨ててしまった、と。》
長い引用で恐縮ですが、「大和魂」とはつまり、「我が国固有の智恵才覚」のことです。
阿川弘之は続けて「(大和魂とは)ほんとうは、漢才(かんざい)に対する和魂(わこん)なんです。日本人ならもっていて然るべき 大人の思慮分別なんです」と述べ、この言葉が国体思想と結びついた先の大戦について語っております。つまり、言葉を誤ると戦争にまで行き、国をおかしくしてしまう典型のようなことだと。
「大和魂」とはこのような言葉だけれど、源氏物語を深く研究した本居宣長によって再発掘されたものであって、例えば賀茂真淵などは、源氏は読んでいたでしょうが、それ程気にした様子もない。
「我が国固有の智恵才覚」である「やまと魂」が、何故変えられてしまい、「国体思想」を現すような言葉になってしまったのか。それは、国学の変遷にあるように思われます。
山本謙吉は「いのちとかたち」の中で、大和魂の見方が変えられ、和魂漢才が国体思想と結びついて和魂洋才にスライドしていった原因をつくったのはどのへんかというと、大国隆正あたりだったろうという。大国は平田篤胤の門下生です。」と書いている。
平田篤胤は、本居宣長の弟子と云われることもあるけれど、宣長に会ったこともなく、門弟からは良く思われていたわけでもありません。もちろん、特異な才能の持ち主でもあったでしょうが、宣長の学問の筋を引いている者ではありません。
この人の学問が、その後の日本に大きな影響を与えた。その権威付けのために、宣長の弟子とも、国学の四大大人(うし)とも自称することになるわけです。小林秀雄はそれを、宣長のエピゴーネンと評しております。そもそも本居宣長は、自身の学問を、国学とか和学とか呼ばれるのを嫌ってもおりました。
幕末が生んだ熊本の偉人横井小楠は、国学を嫌い、儒学による「東洋の徳」の政治を説きますが、彼の云う国学とは平田篤胤などの学問でありましょう。
これは歴史です。
しかし、言葉を知らなければ、歴史と語り合うことは出来ません。
私の書いたようなことでさえ、教えることも学ぶこともないのが、戦後の問題でもあると思います。
本居宣長は、「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」と歌った。
日本軍は、この歌から、特攻隊を「敷島」「大和」「朝日」「山桜」の四隊とした。
そして宣長は誤解され、国学も誤解され、日本人の学問も歴史も又、誤解されることになる。
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