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2019年4月13日 (土)

藍と渋沢栄一

 新しい一万円札の顔に渋沢栄一が選ばれ、話題になっているようですが、ここ数十年、日本人は渋沢栄一を思い出さなければならないと云いながら、藍と渋沢栄一との関係などを語ってきた私としては、実に感慨深いものがあります。

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私が藍染めを説明する時のスライド資料です。

 何故日本人が渋沢栄一を思い出さなければならないかというと、現在の金儲け主義、金が命の風潮に、渋沢の精神と実践は警鐘を与えてくれると思うからです。渋沢は二宮尊徳とともに、道徳と経済の一元を説いた人でもあり、実践した人でもある。

 渋沢栄一は、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎を凌ぐ経済人でありながら、三菱や三井や住友のような財閥は作らなかった。岩崎弥太郎は日本の経済を牛耳ろうと、渋沢栄一に連携を呼びかけ、話し合いの場まで設けたが、渋沢栄一はこれを拒否している。何故か?経済とは、岩崎や渋沢の為にあるものじゃないからです。国家国民の繁栄、豊かさの実現のためにあるもの。それが、渋沢栄一の基本です。

 そんな渋沢栄一の活動の大元に、藍があります。

 栄一は、武州(埼玉県)で藍を商う渋沢家に生まれ、子供の頃から商才を発揮して、藍草の栽培方法からすくも作り、販売までを手掛けていました。

 その辺りは、渋沢栄一の地元、埼玉県深谷市のホームページに詳しいですから是非お読みいただきたい。

 江戸時代から明治の終わりまで、藍の栽培が盛んだった武州利根川沿いの藍作も、ご多分に漏れず、合成藍の輸入とともに滅びました。
 しかし農家は何かして食わなきゃなりません。藍畑の後に植えたのがネギ。つまり、今の深谷ネギです。

 渋沢栄一が思い起こされることによって、日本の金儲け主義が是正され、藍についての認識が深まることを願っています。

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