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2019年5月

2019年5月27日 (月)

マンゴー栽培と藍染

 私の工房のある町の近くに、群馬県太田市がある。其処で南国の果物・マンゴウを育てている若者がいる。その農園を「やなぎた園」という。
 全くの無農薬栽培。農薬を使っていた頃は、虫との闘い。体が農薬まみれになって悩んでいた時に、漢方農法に出会った。
 今は草もめったに刈らず、生え放題だが、虫の害はない。殺すのではない。虫が来なくなるのだ。虫は下の雑草にたかっている。
 土はフカフカ。ミミズや有益な虫がいっぱい。だから余計な堆肥もいらない。
 
 一番大切なことは、味と収穫量。
 
 評判良くて直ぐに売れ切れるようになった。レストランのシェフなどのプロにも喜ばれている。収穫量は、無農薬にしてから木を増やさずに、今年は1000個は増えるだろうと言う。
 
 その「やなぎた園」がホームページを作った。「やなぎた園について」をクリックするとその下に「お世話になっている専門家の方々」とあって、私が出てくる。
 
Yanagita
 「やなぎた園」では、マンゴウ栽培に藍染の廃液を利用している。
 
 私の染め液は、手入れをするときに、時々間引くことがある。それが藍の廃液。それを500倍くらいに薄めてマンゴウの木に塗ったり掛けたりすると、病気に強く、虫が寄らず、紫外線を防ぎ、土が豊かになる。
 
 藍染の染め液なら何でもよいというわけではない。石灰を使わず、余計な有機物も使わず、昔ながらの正藍染の染め液ならではの効果があるのだ。
 
 こういう事実が、これからの農業にヒントを与えて呉れるはずなのだけれど、慣行農法の化学肥料と農薬を使い慣れた人たちは、感じる感性に乏しいようで(いわゆる有機農法の人達も同じ)、事実さえ理解できない。漢方農法の星野先生も私も、それに直面してそろそろ30年になる。

2019年5月26日 (日)

ライブのお知らせ

 ラテン界の重鎮岸のりこ、日本を代表するフルーティスト赤木りえと私大川公一という、珍しい組み合わせのライブ。

<You've Got a Friend>

日時:令和元年6月21日(金)
   開場18:30開演19:30~(2ステージ)

場所:下北沢ボデギータ 世田谷区代沢5-6-14前田ビルB1F

料金:3000円

予約:03-5432-9785

キューバ料理のコアなお店で小さな箱ですから、是非、ご予約の程をm(__)m

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2019年5月25日 (土)

民藝運動の事 その2

 志賀直哉に、昭和十六年に発表された「早春の旅」という作品がある。そこに民藝運動のことが出てくる。

 後藤眞太郎(古美術品や陶器の蒐集家)が訪ねて来て、鉄斎の大きな牡丹の繪を手に入れたという。所用を済ませ、日本橋の鉄斎を預けている五葉堂という店に行く。その店の看板は、武者小路実篤が書いたもの。この主人は、座敷に高価な古美術品を無造作に並べて色々と見せてくれた。鉄斎の絵は十五号くらいの桐板に描いたもので、その美しさをサラッと志賀は書いている。(()内は筆者)

 そのまま志賀達は関西に旅立ち、途中京都に寄って河井寛次郎を訪ねた。棟方志功の描いた襖絵の話になって、河井は「鉄斎以上ですよ」という。「そんな筈はない」と志賀は思ったが、本物を見ないで反論もできないと黙っていた。これからある庭を見に行くつもりだというと、河井は言下に「それはいい筈はないですよ」と云った。

 そして志賀は

 《自分は棟方志功の「鉄斎以上」に遠慮して損をしたと思った。柳(宗悦)が前に木喰上人の仏像の微笑を推古仏の微笑以上だと云った事がある。一つの運動を起こす者の心理で、嘘とは思はないが、さりとて一緒にさう思ふわけには行かない事も時々ある。日蓮上人の「禅天魔、真言亡国」の類である。自分は柳達の民藝運動は後になれば今の人が考えている以上に大したものになる事は認めているが、自分の性格からいへば如何なる運動も縛られるのは閉口だ。》

 と書いている。

 河井寛次郎は、民藝運動に殉じた人だとは言えるかもしれない、終生肩書は無く、職人である事を目指して終わったようだ。しかし、これを読むと、なるほど精神は民藝運動家だと思う。

 青山二郎は、「彼らが抽象的になったと云いたい」と書き、「『抽象化したもの』は、一つ見れば皆分かるという滑稽な欠点を持っている」とも書いている。

 《だから民藝の理論を鵜呑みにしたファンは、民芸館のような家を建て、下手物(げてもの)の食器なぞを並べて、井戸の茶碗も元をただせば「げてもの」だと論じ去る始末になった。》

 と手厳しい。

 民藝と云われる物には、独特の匂いがある。青山はそれを「臭ちゃい臭ちゃい」と揶揄するが、本来、受け継がれてきた職人仕事にそんなものはない。なぜなら、彼らが言うように「用の美」だからだ。こんなことは自明の理。

 志賀は、「後になれば今の人が考えている以上に大したものになる事は認めている」と書いたが、職人仕事を「民藝」と名付け、それを運動にしてしまい、中心的な運動家は、河井を除いてみんな偉くなり、結局は現在、見る影もない。民藝運動なるものが、存在価値を失い、説得力を持たなくなって久しいが、一部にファンがまだいることが、今の人のものを見る目を表しているのだろう。

Photo_91群馬県桐生市にある洋食屋「芭蕉」にある、棟方志功の壁画。
先代は民芸に理解が深く、絵馬の収集家としても有名な人。
「店に合わない」といって塗りつぶしてしまったもの。
そういう人もいた。

 私は時々小林秀雄のことを書くけれど、武者小路実篤が「小林君と鉄斎」という小文の中で、「鉄斎の画には人類を教え導こう言う精神があった」と書き、「小林秀雄はこの精神に接して歓喜し、自分の感じた事を如実に自分の言葉で表現する。彼は世界中の芸術を味わった知識と経験を生かしてみて鉄斎の画の内に人間の真生命にふれるものがあることを経験し、其処に純朴な喜びを感じた。」と続けている。

 いかがだろうか。ここには河井寛次郎のような軽々しい批評はない。人生をかけた批評がある。

 詩人の中谷宇吉郎も「小林秀雄と美」と題して、鉄斎と小林について書いているが、どう読んでも、河井寛次郎や柳宗悦の軽さが際立つ。結局、彼らは人生をかけていなかった。だから鉄斎の精神も美も見ることがなかった。

2019年5月24日 (金)

民藝運動のことなど

 ここのところ、志賀直哉を読んでいる。そこに時折、柳宗悦の名前が見える。白樺の仲間として親しいのは、もちろん知ってはいる。

 柳宗悦と云えば「民藝運動」。無名の職人の仕事を取り上げ、彼らの仕事を「民藝」として意義を見出し、広め、存続を図った。それを「他力の美」として、芸術の「自力の美」と分けた。

 しかし、参加した職人たちは戦後、みんな偉くなって芸術家となり、人間国宝などに認定されて「民藝」からすっかり「藝術」の世界に行き、今や民藝運動は、絵空事、理屈、権威の世界になったように私には思える。

 白洲正子さんが「美の目利き」と呼んだ青山二郎は、民藝運動について、「民芸運動は陶工に一つの理論を与えた。彼らはその理論の上にあぐらをかいて銘々の作品を失ったのである」と書いている(芸術新潮昭和28年4月「バアナード・リーチ」)。この「理論」というのが私の言う「理屈」。少なくとも職人は、理論理屈で仕事はしない。その意味で民藝運動は、存在意義をなくして久しいように私には思える。

 日本民藝館が今に存在する。職人の私は、実は全く興味がないし行ったこともないし行こうとも思わない。理由は前記したように、存在に何の意味も持たないところだからだ。 
 其処である人の藍染展があったらしく、行った生徒が報告をしてきた。曰く、「自力の幾山川を越えた先に他力の浄土がある。」との一文を目にして感銘を受けたと。そして、私の云う「普遍の美」を思い出させてくれたと。

 これは「普遍の美」に対する誤解。そこで、次のように返事をした。

《私はこの人を知らないのです。耳にしたことがある程度。それでも藍染めは出来る。そんなものです。
 藍染は、手拭いだった。いや、布でありさえすればよかった。何故?そこに、存在の意味や意義や本質的な事があるわけで、技法はその後。普遍的な美しさや感動は技法にあるのではなく、藍にあるからだというのが職人の私の考え。だから、この人を知らなくても、藍染は出来るわけでね。
 「自力の幾山川を越えた先に他力の浄土がある》などという言葉に、未だに昔からのものを受けつく職人を良く知る私は、皮肉しか感じないのです。藍染で肝心なことは、技法じゃありません。それを言いたかったのが長くなりました。》

 分かっていただこうと書いたわけじゃありません。私の考えを述べたまでの事。しかし、独学で覚えたようなことを、人に伝えちゃいけません。罪作りってなもんです。

 

2019年5月23日 (木)

醗酵と還元との勘違い

 私の父は、何はともあれ醗酵の藍建てに拘った。そのお陰で、今の私がある。

 父の工房に、少し離れた山間にあった染め織の学校から、生徒たちが大勢、藍染めの糸染めをしに来ていた。1980年代のお話し。主宰していた方は、当時東京の大学などで染め織を指導していた有名な方。

 しかし、お貸しした後、染め場が荒れて、染め液も傷んだので、お断りすることにした。

 その学校は、藍染めが出来なくなったわけで、そこで仕方なく、ハイドロサルファイトを使った化学建てを取り入れて、自分たちで藍染めを始めたと、風の便りに聞こえてきた。

 しばらくして、生徒たちのニュースレターが父の工房に送られてきた。そこに《ハイドロサルファイトを入れると、ブクブクと醗酵が始まり、厳粛な気持ちになった。》と書いてあった。

 これは、一言でいえば「勘違い」に過ぎない。つまり、還元という化学変化を、醗酵と勘違いしているわけだ。藍の醗酵は、こんな短時間には起こらない。蒅(すくも)だって、醗酵させて出来上がるまでに、サザンが九十日から百日掛かるように、染め液も、一週間から二週間、またはそれ以上の時間が掛かって醗酵するように、醗酵は直ぐには起こらない。

 この勘違いが、未だに日本に蔓延っているように、長く藍染めに携わってきた私には思える。

 今までこのブログで述べてきたように、藍を還元させるのは、化学的な還元剤とは限らない。ブドウ糖、水あめ、蜜(廃蜜)なども還元剤と云えるわけで、そこに「化学的なものは一切使わない」という言葉のマジックが隠されている。

 実は、私もブドウ糖を染め液の維持管理に使ったことがある。「人間に使うんだから、藍にもいいんじゃないの」と云って、辞めることになった某病院の点滴用のブドウ糖を持ってきてくれた友人がいたのだ。

 使ってみて驚いたのは、直ぐに染め液が濃くなって藍染めが出来るようになったこと。まるで魔法のようだった。

 しかし、染め物を絞ると、絞り跡がつく、色落ちがする、洗うと色移りがする。こんな経験は初めてだった。
 ひと月ほど経ったら、昨日まで染まっていた甕が、急に染まらなくなった。何をやってもうんともすんとも反応しない。蒅(すくも)を見ると、薄いベージュの色合いもなくなり、まるで砂のようで藍の痕跡もない。これも初めての経験。

 その後「藍染を科学する」という講演会に招待されたとき、講演なさった化学者にお聞きすると、「ブドウ糖や水あめは、還元させて藍を水溶性に変える。作用はハイドロと同じ。だから、色を無理やり蒅から持って行く。だから、色がなくなる」と教えてくださった。

 還元と醗酵との勘違い。これが日本で正されるのは、いつになることか。

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醗酵の藍は写真のように茶色。
染め液が若ければ茶味が濃い。
つまり、こげ茶。
これが青くなるのが藍染め。
化学的な藍染めは、緑色で出てくる。
これについては改めて書く予定。

2019年5月17日 (金)

私の講演会

 福島県須賀川市で、私の講演会が開催された。題して「藍染めについて」。副題に「手作りをする人たちへ」と入れた。気づいてみれば、平日の昼間。よく皆さんいらっしゃいました。

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 遠くは能登半島から、近くはもちろん福島の人たち。宮城、茨城、栃木、群馬、東京などなど、全部伺ったわけではありませんが、色んな所からお見えになった。

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 会場は、「須賀川市民交流センターtette」という、新しい、きれいなところでした。

 須賀川市は、東日本大震災の直接的被害が福島県内で一番大きかったと言われます。ダムが決壊したりして大きな被害があった。そう云うことは、原発事故に隠れて知らされていません。栃木県内の被害も同じ。ゴルフ場一つがつぶれるという被害がありましたが、凡そ誰も知らない。そんな関係があって、新しい建物が出来たのかもしれませんが、調べてみたら、平成30年8月の市長メッセージがありました。

 《tetteは、震災により甚大な被害を受けた市街地中心部の再生、活性化の中核施設として、また市民文化復興のシンボルとして整備を進めてまいりました。今後、図書館の引越作業などを進め、いよいよ来年1月11日にオープンいたします。》

 やはり、そうでしたか。
 
 講演内容は、また二時間ほどお時間を頂ければ語ることにしましょう(笑)

 終わってから、市内にある一軒だけの温泉「おとぎの宿米屋」に家内とお泊り。久々に温泉三昧。夕飯にテーマがあって、「おやゆび姫」だという。ところが無粋な私は、おやゆび姫を知らない。チンプンカンプンで、料理を説明して下さったお宿の方には失礼をしました。

 お部屋に部屋風呂がついていました。源泉かけ流しで53度という熱々の風呂。この温泉をしばらく止めて温度を下げて入る。これが良い風呂。帰る日の朝6時前、風呂につかりながら機嫌よく Over The Rainbow なんぞを唸っていたら、家内に「うるさい!」と怒鳴りこまれた。こりゃまた、失礼しました。

 送り迎えは弟子の齋藤君。心から感謝m(__)m

2019年5月12日 (日)

ブログの事 雑感

 このブログを始めたのは2006年11月10日、竹細工のオンセ・高江さんのお勧めからだけれど、初めは「誰が読むのだろうか?」と思っていたものだ。何故始めたかと言えば、読んでもらいたいことがあるからに違いないから、読者の数は気にかかる。

 最初の内は、職人仲間に「ブログ始めたぞ」と口で宣伝したりしていたけれど、毎日毎日書いていたら、その内読者の数が増えて来て、仲間内で私のブログが知られるようになった。

 フェースブックなどが出てきて、そちらに書くことも多くなったので、毎日書くことは無くなったけれど、ブログにはブログの役割があるという事はわかってきた。

 商工会議所がインターネットビジネスの活用を勧めてきて、コンサルタントを連れて来てくれたこともあったけれど、私のブログやホームページのアクセスを見て驚いていた、なんてこともあった。

 途中からカウンターを設置して、現状883,434だけれど、それ以前に十何万あったから、かれこれ100万を優に超えているだろう。続けるというのは、なかなかにすごいことだなと、パソコン仕事をしながら思う今日この頃。

2019年5月11日 (土)

小荷田さんご夫妻

 宇都宮から、小荷田さんご夫妻がご来工された。

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 お二人は、何度かこのブログにご登場いただいているけれど、ご主人は画家。奥様は絞の藍染師。桐生の大川美術館で、洋画家の松本俊介のアトリエを再現したとかで、それを見に行った帰りにお寄り頂いた。

 藍建ての講習生には、いつも小荷田夫人のお話をする。60歳でお役所を定年退職なさった後、藍染めをはじめ、10年ほど絞を習い、70歳から日本民芸館の公募展に出展して、十数回連続して入選なさっている。藍染や絞を始めるのに、遅いなんてことはないという証拠のような存在。

 時折こうやって私を訪ねて来て、藍建てや、染め液の維持管理や、染めなどについて私の話を聞きにいらっしゃる。私はなるべく、なんでも相談に乗るようにしている。

 今回も、正絹の反物を絞って藍染めした作品をお持ちになった。大作。「こりゃ、体力が大変だ」というと、ご主人が「この人は体力だけはある」とからかった。そうかもしれないけれど、多分御年八十半ばなのだから、大変なことだ。

 私はなんとなく、他人事のように絞の藍染めについての基本を語った。側に講習生が染めに来ていたから、彼らに聞かせるためだ。

 この反物の絞染には、欠点も見えたけれど、これは仕方ない。だけど、それを題材にして対処の仕方を語り、最後の仕上げについてもお話しした。多分、小荷田さんはそれを聞きたかったのだろうと察したからだが、講習生達も、相当な勉強になったことだろう。その他、色々お話をした。今度いつ会えるか分からないからだ(笑)

 ウールの藍染めについても語ったけれど、その一つ一つが、小荷田さんの経験と技術の上のことで、小荷田さんだから話せる事でもある。だから、講習生達は初めて聞くことだし、講習会ではすこし高級な話題だから、私が話したことのない内容だ。聞いていた講習生の一人は編み物の作家だから、それなりに得るところもあったことだろう。

 小荷田さんに対する私のような存在が、私にいるかな?と、ふと考えた。小荷田さんは幸せな人だなと感じないでもないが、これもご人徳のなせる業だろうと、つくづく思う。

2019年5月10日 (金)

藍染の色移りと色落ちについて その2

 手元に「染織と生活」№10(1975年 染織と生活社)があります。その130pに、藍染めの摩擦堅牢度について書いてある。「藍染の最大の欠点は、摩擦堅牢度が弱いことである」と。調べてみた結果、濃色の藍染めの摩擦堅牢度は、乾式で三級、湿式で一~二級だった。

 私の藍染めの堅牢度は、ホームページに表示しているけれど、それは濃い綿地二種類ですが、双方とも、乾燥で五級、湿潤で三級です。摩擦堅牢度に、結果的に強い。

 この違いはどこから来るのだろうか。

(その1から続く)

《藍には色移りする性質がありません。その性質を生かした藍建て、染めをすれば、色移りはありません。
だから
 ・藍染めに色移りは無い。
・色落ちは心配ないし、落ちないように染めるのが職人。》
 
 こう以前書いた。
 
 しかし現在、藍染のほとんどが色落ちして色移りする。私の尊敬する永六輔さんは、亡くなる前ラジオで、「藍染は色落ちがして色移りするものだ。それを承知でどうやって着こなすかが粋というもの」と語っていたくらいなもの。
 
 本来、藍染めに色移りする性質は無い。なぜなら、藍(インディゴ)は水溶性ではないからだ。水に溶けないのだから、水で洗って色落ちするはずもない。色落ちしなければ、色移りもしない。これが道理。

Numai2私の工房で染めたバンダナの藍染。
この柄を、糸や輪ゴムや板など、一切道具を使わないでだす。
色が移らない藍染めだからできること。
ある工房で、私が同じことをやったら、無地になった。


 古来藍染は、醗酵という手段で水に溶けない藍(インディゴ)を水に溶かし、布や糸を染め液に浸し藍を付け、その藍を染め液の外に出して酸化させて、元の水に溶けない藍に戻すことによって藍染めをしてきた。だから、色落ちもなく色移りもない。
 
 しかし、藍の醗酵は簡単ではない。手間も掛かるし、辛抱もいるし、勘もいるし、技術もいる。だから、紺屋という専門の職人仕事だった。
 
 それを化学は簡単にした。藍を還元によって簡単に水に溶けるようにした。つまり、還元剤の使用によって、醗酵させなくても、藍を水溶性に変えることが出来るようになった。
 
 この還元剤なるものは、ハイドロサルファイトでもブドウ糖でも水飴でも蜜でも、なんであろうと染物に藍と一緒についている。だから、水で洗うと藍を還元させてまた水に溶かしてしまう。だから色落ちする藍染めになる。そして、他の染め物に藍が染まる。つまり、色移りする。
 私の父は、何でも試すのが好きで、「おい、藍染めを洗った液にハイドロ入れると、藍染めが出来るぞ」と私に語っていたものだ。
 
 色落ちして色移りする藍染めの極端なものは、合成藍(インディゴピュアー)を苛性ソーダとハイドロサルファイトで還元させて染めたもの。代表例が剣道着。洗っても洗っても色落ちがするし、肌も青くなる。
 私の息子も剣道をしていた。白い道着を私が藍染めしたが、色落ちも無ければ汗臭くもならなかった。なぜなら、それが本来の藍染めの特徴だからだ。
 
 本来の醗酵の藍染でも、藍の定着が悪ければはじめ色落ちする場合がある。だから、色落ちしないように染める必要がある。それが、職人の仕事。しかし還元の藍染めは、定着させることが出来ない。だから、何をやっても色落ちする。色落ちが止まるのは、何度も何度も洗った後だ。
 
 醗酵させているつもりの藍染めが、最近見える。それは、醗酵と還元を一緒にしているからなのだが、その話はまたいつか

2019年5月 6日 (月)

講演会開催のお知らせ

私の講演会が、福島県須賀川市で開催されます。
入場無料です。
藍染とものづくりに興味のある方、是非、お運びください。

植物から織りなす布と手仕事展2019/令和元年特別講演
『藍染めについて』
~ものづくりをする人たちへ~

日時:令和元年5月15日(水)13:00会場 13:30開演
会場:福島県須賀川市民交流センター tette(1階たいまつホール) 
定員:150名(先着・申込不要)
入場無料
問合せ:npo.mirai.fukushima@gmail.com
    ℡090-2791-3546(倭文の会 奥野)

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2019年5月 2日 (木)

一昨年の五月に建てた藍の染め液(色落ちと色移りを書く前に)

 一昨年の五月の講習生たちが建てた染め液が、二年経っても現役で大活躍。今回も皆さん、この甕を使ってガンガン染めています。その内の一コマですが、絹糸を染めているところです。


(動画は写真をクリック

 表面を良くご覧いただきたい。膜が張るのがお分かりだろうか。
 これが、醗酵の印。

 写真のように美しい青色に染まりますが、紺から濃紺にするなら、これを下染めとして、濃い染液に移り、本染めをします。

Photo_87 (写真は一期生の山本有美さんから)

 真に醗酵で建て、維持管理をしっかりして染め方を間違えなければ、染め液の寿命は長いのです。「染め液の寿命は三カ月」という説も散見しますが、それは何かがおかしいという事です。

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