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2019年7月17日 (水)

隋書俀国伝と大化の改新(乙巳の変)そして忌部氏の事

 (隋とは、聖徳太子が遣隋使を派遣したという中国大陸の帝国の事。そう書かなければわからない人たちが増えているらしい。)
 
 7世紀初めに編纂された「隋書・俀国伝」に・・・
 《新羅百濟皆以俀為大國多珎物並敬仰之恒通使往來》
 「新羅 百済 皆 俀ヲ以ッテ大国 多珍物ト為シ並ビニ之ヲ敬仰シ恒ニ通使往来ス」という記述がある。

 つまり当時、「新羅と百済は、どちらも倭は大国で珍しい物が多いと考え、敬い見上げている。常に使者を通わせて往来している」ということが書かれている。
 7世紀当時も、朝鮮半島から見て倭(日本)は大国だった。これも歴史。
 
 我々の世代が教わった「大化の改新」は今、「乙巳(いっし)の変」というらしい。

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 日本に三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢の使者が来日した時のイベント(三国の調の儀式)の最中に、蘇我氏を中大兄皇子と中臣鎌足が滅ぼした事変だけれど、これも「隋書倭国伝」の記述を裏付けている。そして、白村江の戦いから律令制度による国家運営に繋がり、延喜式がそこにある。
 
 これによって中臣氏は藤原氏となって栄えるが、同時期に居た忌部氏は中臣氏と争い敗れ、衰退して行く。その争いごとは「日本後記」に記述されている。

《卷十四大同元年(八〇六)八月庚午【十】》○庚午。先是中臣忌部兩氏各有相訴。中臣氏云。忌部者。本造幣帛。不申祝詞。然則不可以忌部氏爲幣帛使。忌部氏云。奉幣祈祷。是忌部之職也。然則以忌部氏爲幣帛使。以中臣氏可預祓使。彼此相論。各有所據。是日勅命。據日本書紀。天照大神閇天磐戸之時。中臣連遠祖天兒屋命。忌部遠祖太玉命。掘天香山之五百箇眞坂樹。而上枝懸八坂瓊之五百箇御統。中枝懸八咫鏡。下枝懸青和幣白和幣。相與致祈祷者。然則至祈祷事。中臣忌部並可相預。又神祇令云。其祈年月次祭者。中臣宣祝詞。忌部班幣帛。踐祚之日。中臣奏天神壽詞。忌部上神璽鏡劔。六月十二月晦日大祓者。中臣上御祓麻。東西文部上祓刀。讀祓詞訖。中臣宣祓詞。常祀之外。須向諸社供幣帛者。皆取五位以上卜食者充之。宜常祀之外。奉幣之使。取用兩氏。必當相半。自餘之事。專依令條。 
 
 忌部氏の祖先は、天日鷲尊(あめのひわしのみこと)。日本武尊の東征に参加、今の関東に、大麻や楮などの産業を伝え、私達は尊を鷲宮神社に祀り、その偉業をお酉様としてお祭りしている。
 
 こうやって連綿と続く物語が歴史。面白いと私は思うけれど、どうだろうか。

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