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2019年8月

2019年8月31日 (土)

動画 本染め

 《強い藍染にするには下染が肝心です。》と下染の動画の所に書きました。下染して定着させた藍に藍を重ねることによって、染の強さと美しさが増すからです。斑の無い染めにするのも下染あっての事だし、薄い色の藍染も回数が必要なのはその為。

 下染が終わったら、本染めに入ります。

 本染めは下染ほど気を使わなくて済みますが、これで、色の濃さを決める。たとえ水色のような薄い青であっても、下染も本染めもあるのです。

 今回は、少し濃いめに染めたようですが、どうも、もっと濃くするらしい。

 この動画をよく見ていただければ、濃くなっても、洗った水に色落ちはありません。下染がしっかりしているからです。

 染めが終わった後、何もせずにふたを閉めていますが、攪拌するようなことはめったにありません。そして見ていただきたいのは、終わった後の染め液の表面の様子。泡一つない。丁寧に染めた証です。

 良い動画だと思います。

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2019年8月30日 (金)

正藍の藍染め

 正藍染は色移りしませんから、色移りする藍染とは、染め方の基本、考え方が違います。

 私の「藍建て講習会」では、正藍染の染め方の基本も伝えていますが、入れて出すだけの藍染に比べれば、ちと面倒かもしれません。手間が掛るから廃れたという一面もあるでしょう。
 しかし、道具を一切使わないで柄が出るという面白い面もありますし、それが、複雑で変わったものにもなる。

 私のホームページの体験ページに、バンダナを藍染めした写真があります。これらは一切道具を使わないで柄出ししています。板も糸も輪ゴムも箸も使いません。手だけです。

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全て道具を使わないで柄出しをしています。
一番右の柄を見て「絞りね」という人がいます。
よく見ていただきたい。
絞ってはいません。

 これを見た講習会卒業生が、枕カバーをその方法で染めたいと、工房まで来ました。写真右から二番目の柄が良いという。

 さて、どうやって出したか覚えていません(;^ω^)。多分こうだろうとやってみたら、たぶん、その通りだったようです。何せ私は、もの凄く多くの柄出しパターンを持っているのです(言い訳😢)。

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 疲れて部屋で休んでいたら、染め場から「出来たよ」と、染めた枕カバーを持ってきた。見たら、しっかり柄が出ています。

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ハンカチとバンダナは、薄地の綿ですから染めやすい。
枕カバーは、それらよりは難しいと思うけれど、よくやりました。
もちろん、手だけの染め。
その分、手が真っ青だ。
板で絞めたきっちりした柄出しも良いけれど、こういう複雑ながらも良いと私は思う。

 手だけです。板も何も使っていません。染め方はある。それを知ると、色移りする藍染めをしている人は、びっくりするでしょう。多分、柄は無くなり、無地になります。

 宮内さん、よくやりました(^O^)/

2019年8月27日 (火)

ホームページと藍建て講習会参加者募集のお知らせ

紺邑ホームページ に手を入れ始めました。

よくお読みいただくと、内容が変わっているのがお分かりと思います(笑)

「藍建て講習会」も、久々にアップしました。

しばらく公募しておりませんでしたので、ご興味ある方はご覧ください。

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2019年8月25日 (日)

建った染液と腑抜けな私

 毎度の事だが、講習会終了後の私は腑抜け。

 それでも午前中、昨日宇都宮に泊まったという愛知県の講習生の一人が来たので、彼女の手を借りて仕上げをした。
 午後の今、腑の中に腹も入っているらしく、飯も食えず、染め場に群馬と千葉からのお客様がいらっしゃるが、お相手も出来ない。ご勘弁の程を。

 昨日の講習会の最終日、小さな甕は仕上げをしたのだが、大きな甕は色は出たにせよ弱く、寝かせることにしたのだ。そしてこの講習生は、一日経った染め液の姿が気になって、宇都宮にいらっしゃるご子息に送ってもらって来たのだとか。

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仕上げをしている講習生。

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一日寝かせることにした300ℓの甕。
今日、最後の仕上げをした姿。
見るべきは「とろみ」。
藍の華は無い。
あってはいけないのだ。

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こちらは45ℓの小甕。
こちらは昨日、仕上げをしておいたもの。
当然、藍の華は無い。

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ティッシュで色を見て見た。
しっかり色が出ているけれど、染め始めるには、あと数日寝かせたほうが良い。

 私が伝えているのは、蒅(すくも)を灰汁だけで建てる「本建て」。これを「地獄建て」ともいう。石灰や日本酒やふすま等は入れない。当然、糖分や蜜も入れない。

 有機物と石灰のアルカリで醗酵させた染液との違いは、色、堅牢度、寿命、染める意味など。

 本建ての染め液で染めたものは、美しく青く、堅牢度が強く、寿命が長く、藍染めに「何故染めるのか?」という意味を持つ。

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右は一昨年5月に建てた甕。
2年3カ月経っている。
今、お客様が糸を染めている。
年を取っているから染め液の表面がベージュいろ。
これが美しい青に変化する。

左は二ヶ月。
本建てとしては、新しい染め液。
だから表面は、紺。

 

藍建て講習会終了 勇気と希望

 8月17日から24日行われた「藍建て講習会」が終了しました。今回は劇的な幕切れとなった。私の長い藍建て人生でも、初めての経験。長く続けていると、色んなことに出会います。

 参加者の皆さん、お疲れさまでした。

 開催中、全国から卒業生達が来てくれて、本建てが本当に行われていることが実感されたことでしょう。これは、はじめの頃にはなかったことで、伝えている私にとってもありがたい。

 特に今回、五島列島の西から秋田・宮城までの東の人達が、自分で染めた藍染めを木枠に入れ、メッセージを添えて持ってきてくださった。これは私に、勇気と希望を与えてくれました。

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 息子が「お父さんの人生を売っているようなものだ」と講習会を表現していますが、無意識だけれどその通りだと思う。だからこそ傷つくこともある。家内は私を「強い」と時折いいます。そう言う面もある。だけど、弱い面もある。

 ここの所、その「弱い」私が顔を出していまして、講習会は、止めるか形を変えて存続させるかという悩みが出てきていたのです。なぜかというと、私が伝えようとしたことが伝わっていない実例があるからです。
 
 この木枠に入れられた藍染は、そんな私に勇気と希望を与えた。続けていると、嫌な事もあるけれど喜びもある。今更、そんなことに気づかせてくれました。

 よって、次回は秋にやります。

2019年8月14日 (水)

正藍染で染まらないものとニットの藍染

 正藍染は、天然繊維なら何でも染まります。綿・麻・毛・絹など。毛(ウール)も綿と同じように染まる。

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私の弟子の染めたウールセーター。
濃紺と紺。
染め方と仕上げ方法はある。

 ところが、化繊は染まらない。または、染まったふりして色が落ちて抜けて行く。

 そう話はするけれど、実際には染めない。なぜなら染まらないことが分かっているから、時間と労力の無駄。
 という当たり前のことをしている贅沢な動画です。

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動画を見るには画像かこちらをクリック

 追記
 あるテキスタイルデザイナーの展示会に行ったとき、久しぶりなのでご挨拶すると、「あそこにポリエステルの藍染があるから見て行って」と云われたことがある。まあ、この方の藍染の理解はそんなものだろうな。とは思った。世界的な人だけれど・・・(-_-;)

 

2019年8月10日 (土)

正藍染 Tシャツの下染

 Tシャツの下染の動画です。

 綿にしろ絹にしろ、Tシャツを無地に斑なく染めるのは非常に難しい。だから動画でも「とても難しい」と云っている。これは染め手の実感。

 藍染め体験行くと簡単に染まるそうだけれど、それは、そういう染め液だってことで、これは本建ての染め液で染める正藍染のお話し。

 この動画の行間に、色々深いことがあるのは、正藍染を染めている人は理解するだろう。

 そう思いながら御覧じろ。

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動画は写真かここをクリック


 追記:斑が気にならない染めをするには、何処か一か所に、絞りなどの柄を入れると、斑が気にならなくなります。だから、世の中に、本染めの無地が無いのです。Tシャツに限らずです。そもそも本染めの藍染が無いか(笑)

2019年8月 8日 (木)

藍染と歴史と

 《伝統の藍建てに出会ったら、是非、自国の歴史を振り返って頂きたいと切に思う。明治維新後、日本に入ってきた社会進化論とイデオロギーに侵されている限り、藍染めの本質を見ることはない。》

 日本人が日本人であるためには「大和心(やまとごころ)」を持たねばならず、それを侵すのが「漢意(からごころ)」。だから、それを排除しなければならないと、本居宣長は言います。
 その思想の上にあるのが「もののあわれ論」であり、「古事記伝」。私が度々言って来た「かむかふ」というのもその一つ。

 藍染めも、日本人は、平安時代のやり方を変えて蒅を発明し、加温の方法を思いついて、現在、私のしている藍建てと藍染になった。

 何故日本人は、蒅を作り出したのか?
 作らなければならなかったのか?
 作り出せたのか?

 それはたぶん、醗酵という言葉も知らない当時の人々の、継承されてきた知恵の発露だったに違いない。そう、歴史は私に語り掛けて来たからこそ、蒅と灰汁だけの藍建てになった。それが、藍染の本質を見る事なのではないかと、私は考えるわけです。

 それを侵したのが、明治の後半に入ってきた化学藍と、そういうものの思想的背景にある社会進化論と歴史を科学としてとらえるイデオロギー。それこそ漢意(からごころ)そのもの。そして、日本の藍は、ほぼ滅ぼされた。

 ヨーロッパをみれば、ウォードの藍染がインド藍に侵され、そしてついに化学藍に侵されて、ほぼ完全に伝統の藍染は滅ぼされた。100年も前の事です。今、そのノウハウは無いという。

 振り返って日本は、真の醗酵の藍染が何とか生き残っているけれど、私をはじめ、数人が継承しているに過ぎなかった。

 だから、私は藍建てを伝えだしたわけだけれど、幸い、私の気づきに気が付き始めた人たちが、それを継承しだしている。
 しかし、漢意の呪縛から逃れられない人もいる。漢意は、藍の本質に近づくことを妨げる。
 だから、「伝統の藍建てに出会ったなら、是非、自国の歴史を振り返って頂きたいと切に思う。」とわたしは言うわけです。

 社会進化論とイデオロギーが何故漢意かということは、随分前に書いたことだけれど、いつかまた改めて紹介したいと思う。

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本居宣長の自画自賛
しき嶋のやまとこゝろを人とはゝ朝日ににほふ山さくら花

2019年8月 7日 (水)

秘すれば花

 世阿弥は「風姿花伝」の中で、「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と書いています。私が藍建てを語り伝えることに、「秘すれば花なんじゃないの」と反対する方もいらっしゃいました。秘するからこそ、花は花としてある。秘さなければ、花として存在し得なくなる。

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 しかし、藍染が滅べば、秘すべき花そのものが無くなるわけですから、それこそ元も子もありません。私が藍建てと藍染を伝えだしたのは、本建ての藍染が滅びに向かっているという自覚があったからです。

 このブログに紹介してきた染め師の渡辺庄吉さんは・・・

 《(紺屋は)秘伝やなんやという、そんなこんなが藍を廃らせてまったと思うんです。》と語っています。それを踏まえて
 《「藍染が廃れようとするときに、全部投げ出したって、もともとやと思っとります。》と(泰流社「正藍染」p112)。だから私も、伝えなければならない。

 問題は、どう伝えるべきかという方法です。

 技術的な事をただ伝えると、物事の表面だけしか伝わらない。
 修行や年季のいることを伝えることは難しいから、技術的な事をとりあえず教える。すると出来るようになる。
 出来るようになったところで、それは単に出来るだけのことで、そこから深く掘り下げ、高みに上る修行、訓練、努力をしなければならない。
 
 難しいのは、この道理を教える事。

 この道理が分からない人は、単に出来るだけで終わる。深い理解も、高みに上った景色も見ることが無い。
 私が「出来る事なんて大したことじゃない」と口を酸っぱくして言っても、そういう人はそれで終わるしかない。これは、資質とこころざしの問題でもある。

 伝えだして3年経ち、「秘すれば花」とはやはり、真実だと思わないわけではない。

2019年8月 6日 (火)

阿波藍と本藍と地藍と

 「阿波藍(あわあい)」とは、阿波の国(徳島県)で作られる蒅(すくも)の事です。蒅とは、藍草の葉を乾燥させ、水を打ち、100日ほどかけて堆肥の様に醗酵させた、藍染めの原料の事。それ以外の何物でもない。それは本来、言わずもがなの当たり前の事。

 「本藍(ほんあい)」とは、阿波藍の事を、阿波の人達自らが称した言葉。つまり、阿波藍こそ本場物の藍(すくも)なんだぞ!という、今で云うところのブランディングをしたわけです。付け加えれば、他からの評価ではありません。阿波の人達の自称です。

 「地藍(じあい)」とは、本藍(阿波藍)に対して、それ以外の蒅(すくも)の事を、阿波の人達が呼んだ言葉。「あれは地藍だ」というのは、「本藍ではない」という事。地藍とは、阿波の人達による蔑称。つまり、「本場物じゃないよ」という、今で云うレッテル張りをしたわけです。

 現在徳島県は、「阿波藍」という言葉を意識的に曖昧に使用して、まるで徳島県が、藍染めの産地・本場であるかのようにふるまっています。昔、自らの藍を「本藍」と称したのと同じ手法です。
 しかし藍染は、沖縄から北海道まで、日本中当たり前のようにあった染です。だから古来、藍染めに産地はありません。藍染めの技術も、絣、絞り、型染、縞、無地など、日本各地で様々に受け継がれて来た。

 例えば、沖縄には琉球紅型。奄美・鹿児島には大島紬。福岡に久留米絣があり、絣は備前、伊予、弓浜と産地が形成されている。絞りは名古屋の有松鳴海、平安の昔から続く京絞り、秋田の浅舞、福岡の甘木など。長板中型や小紋の江戸・東京。縞織の埼玉。結城紬の茨城・栃木などなど。
 綿織物で特に優れた木綿地を「徳岡木綿」と今でもいうけれど、「岡」とは栃木県の真岡だともいわれるし、その他木綿の産地は福島、浜松は遠州、愛知の知多・三河、近畿には河内・和泉など日本中にあり、そこで藍染も盛んに行われてきた。

 徳岡木綿の真岡の近くに、江戸時代からある紺屋(藍染の工房)が現存して今でも江戸時代の趣を残しているし、茨城には北島紺屋(今はない)があって、自分で蒅を作りながら戦後の日本の藍染を支えた。郡上八幡には渡辺庄吉(昨年の10月にお亡くなりになった)さんがあり、藍建てを伝えてくれて来たし、滋賀県では数軒の紺屋が蒅を作りながら藍染をしていました。日本の藍染で唯一の人間国宝である千葉あやのさんも、自分で藍草の栽培から蒅作りから染め、織りまで、全部ご自分でなさっていた。徳島とはなんら関係がありません。阿波藍が無くとも、日本の藍染は続いてきた。

 それが日本の藍染の文化ですが、徳島県は今、藍染は徳島が本場だと言い出して、日本の染めの文化を混乱させ、破壊しつつある。
 もっというと、様々な資料や証言から、戦後の徳島県に藍染が無かったことは明らかです。藍染が無かったのだから藍建てや藍染めの技法もなく、だから藍建ても奇妙なものが伝えられていました。ですから徳島県には、藍染も藍建ての技術の継承もありませんし、戦後わずか作られていた阿波藍を使う事も無かったのです。使って来たのは、全国の紺屋・藍染師たちです。

 このことを、今の人達は知りませんが、よくよく知ってほしいと私は思います。知らないから徳島県の宣伝やブランディングに混乱させられ利用され、下手すると騙されることになる。

 私はこれについては、史料を使って考証もしてきた。 

 (面白いことに、徳島県在住の私の友人の藍農家と染め師によれば、吉野川河北の藍染も、阿波では「地藍」と呼ばれ、差別されてきたようです。)

2019
街中で育っている今年の地元の藍草。
つまり、地藍の元(笑)
阿波藍の衰退が激しい今、
日本各地で藍草の栽培と蒅(すくも)作りが始まっています。


 徳島県が、藍染の産地・本場と言い出したことによって、日本の藍染自体が衰退していることを、染め師として実感し、十年以上、それについて様々に遠慮がちに書いてきた。それが、東京オリンピックのエンブレムに藍色が使われたことによってより、徳島県では気が狂ったように激しくなり、増々日本の藍が衰退している。

 私はそれを憂うわけですが、藍染の日本最古の記述は出雲だし、上記したように、最古の紺屋は栃木県にあり、唯一の人間国宝は宮城県の千葉あやのさん。千葉さんは、徳島とは何ら関係がない。阿波藍が無くとも、日本の藍染の文化は続きますし、事実、続いてきました。しかし阿波藍は、自らを「本藍」と称した程に蒅を大量に作っていた地域ですし、戦後しばらくは日本の藍染を支えてきたところ。是非とも、藍染めなどに狂わされず、藍農家を育て、蒅作りをしていただきたいと、私は願うばかりなのです。それが、日本の藍染の復興隆盛に繋がります。

2019年8月 5日 (月)

染め斑(むら)

 最近、アパレル関係のデザイナーやバイヤーが工房にいらっしゃり、様々に打ち合わせをしています。
 彼らは数年前、わが家で藍染をして、それを自らが着て使い、色の変化、堅牢度などを確かめてきた人達。
 それらを確認したうえで、正藍染を扱いたいとおっしゃる。ありがたいことです。

 ある人は、「わが社の洗濯表示を変えなくても良いのがありがたいです」とおっしゃる。つまり、他の物といっしょに洗っても、色移りが無いという事。それは、自分で染め、自分で使って、経験してきた事ですから。

 染め斑についても問い合わせがあります。私の答えは、「斑が出ないように染めるのが職人の仕事です」と、あるデザイナーの注文の厳しさについて実際のところを語ります。そうすると、彼らは安心する。

 染め斑は、何も藍染めに限った問題じゃありません。どんな染色でもあること。それを無いように染めるのが職人の仕事です。

 こういうことを書くと、自分が苦しくなる。大変になる。努力が要るようになる。
 しかし、そうしようとする行動が、腕を上げさせる。だから職人はそうする。

 「藍染には独特の斑がある」と云い、斑があるのが藍染めの特徴だというのは、ただの甘え。消費者は、それを良く知らなければなりません。

2019年8月 4日 (日)

めんめん街道

 あなたは「めんめん街道」を知っていますか?「めんめん街道」とは、麺の名産地、桐生市、足利市、佐野市、館林市を結ぶ街道のことを言います。

 桐生市は、高松市に匹敵するほどの「うどん」の町。例えばこんなホームページがあるくらいなもの。

うどんの町 桐生》
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 巣鴨で有名なカレーうどんの店のオーナーも、桐生出身だと聞いています。お勧めは「川野屋天神町支店」。
 

 足利市は「蕎麦」の町。蕎麦打ちのバイブルとして名高い本を書いた片倉康雄さんのお店「一茶庵」がある。私の祖父は片倉さんと親しく、私は片倉さんの蕎麦で育った。

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 私の贔屓の店は、第一立花の「九一蕎麦」。某超有名政治家の年越し蕎麦は、この店の物。九一で打った蕎麦を細切りにして、出汁をたっぷりと取ったそばつゆで食わせる。美味!十割蕎麦も細切りで食わせる。
 その他にも、創業100年を超える店もあり、それぞれに個性を競い合っている。
 

 佐野市はご存じ「佐野ラーメン」の町。青竹を使った手打ちを醤油味のスープで食す。チャーシューは茹で豚で柔らかい。土日祝日は、他県ナンバーの車で道路が混みあうほど、ラーメンを食べにいらっしゃる。お店はどかが良いとは、地元だけに言えません。贔屓はある。
 組合もあるようですが、加盟していない有名店もありますのでお気を付けください。元祖は「森田屋総本店」。プロゴルファーの中嶋常幸氏が度々訪れ、ラーメンを二杯食べて行くと言います。

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 館林市も桐生市と同じうどんの町だけれど、こちらは「乾麺」の町。私達地元では、「たてばやし うどん」というコマーシャルで親しい。
 そして「花山うどん」の「鬼ひも川」は、三年連続日本一という偉業を成し遂げている。私も駅前の店に時折入ります。

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 どうぞ、お見知りおきいただき、紺邑に入らしたときにも、是非、「めんめん街道」をお回りください。

 どうも、こういう情報は、地元にとってはとても大切なことで、いい加減に伝えられると困るものだと、地元を愛する私は思い、余計なことを書いてみました。

2019年8月 3日 (土)

動画 本染め

 下染(したぞめ)をしっかりした後、本染めをします。たいら君がまた作りましたので、その動画をご紹介します。

 色の濃淡に関わらず[下染]⇒[本染]という作業を行う。それが強い藍染にする必須の工程の一つです。ですから、藍染は一日で染め上がることはほとんどありません。

 濃く染められる染め液だからと云って、染め物を藍甕に入れて出して酸化させてまた入れて出して酸化させて、という簡単な藍染めでは、強く美しい藍染にはなりません。その間も、様々な事をします。

 この動画の場合は、注文の色に染めたようですが、光の加減か実際よりも薄く見えます。この色は藍色の少し濃いめ。夏から秋にかけて、とても良い色合いです。

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