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2019年8月 6日 (火)

阿波藍と本藍と地藍と

 「阿波藍(あわあい)」とは、阿波の国(徳島県)で作られる蒅(すくも)の事です。蒅とは、藍草の葉を乾燥させ、水を打ち、100日ほどかけて堆肥の様に醗酵させた、藍染めの原料の事。それ以外の何物でもない。それは本来、言わずもがなの当たり前の事。

 「本藍(ほんあい)」とは、阿波藍の事を、阿波の人達自らが称した言葉。つまり、阿波藍こそ本場物の藍(すくも)なんだぞ!という、今で云うところのブランディングをしたわけです。付け加えれば、他からの評価ではありません。阿波の人達の自称です。

 「地藍(じあい)」とは、本藍(阿波藍)に対して、それ以外の蒅(すくも)の事を、阿波の人達が呼んだ言葉。「あれは地藍だ」というのは、「本藍ではない」という事。地藍とは、阿波の人達による蔑称。つまり、「本場物じゃないよ」という、今で云うレッテル張りをしたわけです。

 現在徳島県は、「阿波藍」という言葉を意識的に曖昧に使用して、まるで徳島県が、藍染めの産地・本場であるかのようにふるまっています。昔、自らの藍を「本藍」と称したのと同じ手法です。
 しかし藍染は、沖縄から北海道まで、日本中当たり前のようにあった染です。だから古来、藍染めに産地はありません。藍染めの技術も、絣、絞り、型染、縞、無地など、日本各地で様々に受け継がれて来た。

 例えば、沖縄には琉球紅型。奄美・鹿児島には大島紬。福岡に久留米絣があり、絣は備前、伊予、弓浜と産地が形成されている。絞りは名古屋の有松鳴海、平安の昔から続く京絞り、秋田の浅舞、福岡の甘木など。長板中型や小紋の江戸・東京。縞織の埼玉。結城紬の茨城・栃木などなど。
 綿織物で特に優れた木綿地を「徳岡木綿」と今でもいうけれど、「岡」とは栃木県の真岡だともいわれるし、その他木綿の産地は福島、浜松は遠州、愛知の知多・三河、近畿には河内・和泉など日本中にあり、そこで藍染も盛んに行われてきた。

 徳岡木綿の真岡の近くに、江戸時代からある紺屋(藍染の工房)が現存して今でも江戸時代の趣を残しているし、茨城には北島紺屋(今はない)があって、自分で蒅を作りながら戦後の日本の藍染を支えた。郡上八幡には渡辺庄吉(昨年の10月にお亡くなりになった)さんがあり、藍建てを伝えてくれて来たし、滋賀県では数軒の紺屋が蒅を作りながら藍染をしていました。日本の藍染で唯一の人間国宝である千葉あやのさんも、自分で藍草の栽培から蒅作りから染め、織りまで、全部ご自分でなさっていた。徳島とはなんら関係がありません。阿波藍が無くとも、日本の藍染は続いてきた。

 それが日本の藍染の文化ですが、徳島県は今、藍染は徳島が本場だと言い出して、日本の染めの文化を混乱させ、破壊しつつある。
 もっというと、様々な資料や証言から、戦後の徳島県に藍染が無かったことは明らかです。藍染が無かったのだから藍建てや藍染めの技法もなく、だから藍建ても奇妙なものが伝えられていました。ですから徳島県には、藍染も藍建ての技術の継承もありませんし、戦後わずか作られていた阿波藍を使う事も無かったのです。使って来たのは、全国の紺屋・藍染師たちです。

 このことを、今の人達は知りませんが、よくよく知ってほしいと私は思います。知らないから徳島県の宣伝やブランディングに混乱させられ利用され、下手すると騙されることになる。

 私はこれについては、史料を使って考証もしてきた。 

 (面白いことに、徳島県在住の私の友人の藍農家と染め師によれば、吉野川河北の藍染も、阿波では「地藍」と呼ばれ、差別されてきたようです。)

2019
街中で育っている今年の地元の藍草。
つまり、地藍の元(笑)
阿波藍の衰退が激しい今、
日本各地で藍草の栽培と蒅(すくも)作りが始まっています。


 徳島県が、藍染の産地・本場と言い出したことによって、日本の藍染自体が衰退していることを、染め師として実感し、十年以上、それについて様々に遠慮がちに書いてきた。それが、東京オリンピックのエンブレムに藍色が使われたことによってより、徳島県では気が狂ったように激しくなり、増々日本の藍が衰退している。

 私はそれを憂うわけですが、藍染の日本最古の記述は出雲だし、上記したように、最古の紺屋は栃木県にあり、唯一の人間国宝は宮城県の千葉あやのさん。千葉さんは、徳島とは何ら関係がない。阿波藍が無くとも、日本の藍染の文化は続きますし、事実、続いてきました。しかし阿波藍は、自らを「本藍」と称した程に蒅を大量に作っていた地域ですし、戦後しばらくは日本の藍染を支えてきたところ。是非とも、藍染めなどに狂わされず、藍農家を育て、蒅作りをしていただきたいと、私は願うばかりなのです。それが、日本の藍染の復興隆盛に繋がります。

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コメント

昨年2月、今年の5月の講習会に参加しそびれた阿部です。
悔しい思いで、次の講習会を待ちわびております。
新潟でひとりで藍畑を広めつづけて、3年目になり沈殿藍や生葉染めを試行錯誤でやってきました。昨夏、ネットで得た情報から、プラスティックの衣装ケースで蒅作りもしてみたしたが、はたしてこれが蒅と言えるのか?自分では判断できません。
今年はもっと本格的な蒅作りに挑戦したいのですが、やり方がわかりません。
蒅は徳島の専門職人しか作る事ができないと、いう風評に疑問をもっていましたので、先生のコラムに、ますます自分でなんとか作ってみたいという気になりました。今はひたすら乾燥葉を作っています。
次の講習会はいつの予定ですか?絶対に参加させていただきたいと思います。先月知人の紹介で台湾の藍職人を訪ねて
きました。彼女は沖縄藍の沈殿藍でやっていますが、先生のことは噂で知っていて、いつか見学させていただきたいと言っていました。

阿部さん、伝統として続いてきたものを、独学でやるのは大変です。我々の藍づくりも、徳島から学びました。徳島失くして私たちの藍はありません。

しかし、藍建ても藍染も、徳島から学んだものは皆無です。なぜなら、徳島には藍建ても藍染も、そのノウハウが無いからです。これが事実。
罪深いのは、ある振りをしているところ。無かったらなかったなりに、謙虚に学べばよかったのに、もう遅いでしょう。

沖縄も台湾も沈殿藍ですが、これを醗酵させて昔ながらの藍建てをする困難さは、たぶん、彼ら自身がよくわかっていると思います。

講習会は、現在のやり方は終了の予定。
秋から、新しく始めます。

返信ありがとうございました。
秋以降の新しい講習会を楽しみにしております。

阿部昭子さん
講習会の概要をホームページに書きました。
ご参考までに。
http://www.kon-yu.jp/course.html

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