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2019年9月 6日 (金)

弟子 素直さ

 今の時代、弟子とは何かといわれれば議論があるだろうけれど、弟子が先生を認め、先生がその人を弟子とすれば弟子だという事にしてのお話し。

 私の歌の先生は、ティーブ釜萢先生かまやつひろしさんの父上
 二世の先生は戦前、歌手として来日。そのまま日本で戦争にも行った。だから日本語よりも英語の方が達者だった。もちろん、日本語が不自由などと云う事はありませんでしたが、本場もんの歌い手です。
 
 最初は私を弟子ともしてくれず、会う度に説教されて、私達は首を垂れるのみで、先生の説教が首の上を飛び回り、終わるのを辛抱強く待っていた位なもの。それは激しい言葉だった。

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右がティーブ釜萢先生。左が私。
青山墓地前にあったレストランで。

 「私達」と書いたけれど、先生には生徒が沢山いた。そんな中で、最後には少し認めてくださったか、たぶん先生最後の飲み友達の様になり、毎晩のように大酒を一緒に飲み、語り合い、弟子となれたような気がします。

 先生の数多い生徒の中で、歌でお金を取れたのは何人かに過ぎません。私とM田とM田とA田とA、思いつくだけでもそのくらいか。それほどに、お金を取るのは難しい世界なのかもしれない。後の人達は、ジャズボーカルが好きで趣味で良いという人達で、まあ、心の底では「いつかジャズボーカリスト」と思っていたにせよです。

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私の最初の宣材。
主に米軍用。
私の十代の終わり。
半世紀も前。

 何故私が弟子になれたかと云えば、自分で云うのはおこがましいけれど、教えに素直だったからとは言えると思う。私にとって、先生は絶対の存在だった。そして、米軍キャンプで歌ったりなんだりと、歌を生業にしたという実績があったからかな。
 
 歌に関して、絶対的存在である先生の言葉と歌を、私は漏らさず聞いて、教えを忠実に守り、真似るべきは真似てきた。それが、この世界で、オーディエンスにもミュージシャンたちにも、無名なのに少し認められる存在になれた所以だと思っている(先生は本物だった。日本には当時、ボーカルで本物と云える歌い手は先生だけ。先生との出逢いこそ、私の人生の最大・最良の出来事だった)。

 この「素直」というのが弟子にとって一番大切な事だと、今、先生とか師匠と云われる立場となった私の、歌と藍染の人生を振り返って思うこと。そして真似るとは「學(まねぶ)」ことだという世阿弥の言葉が理解でき、見習う事の大切さもその分けも、語ることが出来るようになった。

 私の生徒を見ても、素直である事の大切さはつくづくと思う。だからいつも「素直が一番」だと語っている。これは、生徒や弟子に限らない。

 四十年以上藍染めをしている先生(大学で教えているから本当に先生)が、私の所に来た。ご自分では伝統の藍染をなさているつもりで四十年過ぎた。染めて来たものは、芸術的な鑑賞するもの。
 どういうわけか、私と同じものを染めることになり、間に入った人が、私とその方の藍染の染色堅牢度を調べた。結果、私の藍染は全ての基準を満たし、この先生の藍染は、色落ちと色移りなどに問題があった。そこで、何故なんだろう?と訳を知りたくて私の所に来た。その先生は「私以外の藍染をなさる人に会うのは初めてです」とおっしゃる。これにはどうも、恐縮をしました。

 「何故なんだろう?」というのは、私も思ったこと。だから、その方の藍建てと藍染の方法をお聞きしたが、どうもはっきりしない。専門家同士の言葉には、経験という裏付けがあるから、言わなくても分かることや共感があるはずなのだけれど、この方の話の内容にそれが感じられないところがある。つまり、自分の本当のことを私に語っていない。だから、私も本当のことが語れない。語ろうとしても、私の言葉がその方の前にできた壁のようなものに跳ね返される。つまり、その方に私の言葉が入って行かない。
 色落ちがして色移りがする理由と、色落ちが無く色移りしない染め液の作り方と染め方なら、私は語れる。しかし、この先生がそれを私に語らせないのだ。

 最後に私はその方に、「先生、素直が一番ですよ」と申し上げた。しかし、この先生は本当のことを最後まで私に語らなかった。だから私も、本当のことを語れなかった。私はこの方に学ぶことはなかった。だからどうでもよいことだけれど、この方にとっては、藍染をより深く掘り下げる機会を逸したと言えると思う。

 素直が一番。
 

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コメント

私は、今年から気功法をならいだしていますが、素直になることで、色色吸収できると、改めておもいました。
ありがとうございます。

実は、私は、テイーブ釜萢さんの息子さんと学校で同級生だったことがあります。

ムッシュかまやつと言われた歌手です。

彼は、非常に目立たない生徒でした。ただし、お父様の収入が良いためか、お小遣いがみんなより桁違いで、羨望のまとでした。

ある時、ホームルームで、みんながかわいそうな人にお金を集めて寄付しようという話題になり、多くの生徒は賛成する向きがありました。

そのとき、普段は大人しいカマヤツが手を上げていいました。

「そういうの、やめた方がいいんじゃないの?  もしかしたら、そういうお金払えない人がいるかもしれないし……」

当時はまだ日本では戦後の貧しい世の中でした。多額のお小遣いをもらっても、そういう考えに及ぶということは、親御さんの教育が素晴らしいのだと私は、その時思ったものです。

この話を、ご遺族に話す機会もありませんが、テイーブカマヤツとご縁があったということで、お伝えしたくなりました。

西野さん、コメントありがとうございます。
終戦直後のティーブ釜萢先生の稼ぎは相当なもので、ちょっと時間が出来ると飛行機で大阪に遊びに行ったりしていたものだとご本人から聞いています。

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