見習う事
今、微生物を研究している人達が遠くからいらっしゃいました。藍染は微生物の世界。藍は染料ではない。これを理解しないと本来の藍染が理解できない。染料と考える人は藍染の本質を外します。
私の話を聞かなければ理解できない事だから、遠くからいらっしゃったわけだけれど、私は微生物の世界を言語化して説明できるまで修行をした。私の発する言葉には、年季が入っているのです。
2008年に書いた記事の中で、私はこう書いている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
NHKで「新日本紀行」をやっていました。
山形県は天童の、将棋の駒作りの職人が出てきた。
漆を使った手描きの人は、もう二人しかいないという。
35才の男性がそれを継ごうと修行を始め、弟子に入った。
師匠以外の、もう一人の手描き職人の仕事を見学に行くという設定が出てきた。
その弟子が、もう一人の職人に漆について何か質問すると、「あのね、説明できない。漆というのは毎日違うから」と答えていらした。
修行を重ねて、感じるしかないと言うことらしい。
藍染も同じです。
こういう事が、分析に頼る現代では解り難い事なのでしょう。
何でも、言葉や数字で説明できると思っている。
だから、気楽に質問をする。
答えがあると思うから、質問できるんです。
答えがないと解るのも、修行を重ねてのこと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
漆の職人が質問に、「説明できない」と語ったのはその通りでしょう。職人仕事はそういうもので、だから「見習う」ことが必要だった。
「見習う」とは読んで字のごとく、見て習う事。職人仕事を言語化することの困難がそこにある。仕事を言葉で説明できないのです。だから弟子は師匠の仕事を見習い、修行をした。世阿弥は「學」と書いて「まねぶ」、つまりマネをするとしています。
正藍染に関しては、そんなことをしていたら滅びる。私の生命も覚束ない。だから私は、仕事を言葉にする修行をしました。そこに「藍建て講習会」が成立しているのです。
生徒と弟子だけは、分かってくれるだろうと思っています。
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