分かった!っと思うこと
将棋指しは天才の集まりだけれど、その中でも特に優れた天才だけが名人に成れるそうです。
十段、王位、棋王、棋聖、王将などのタイトルを数多く取った米長邦雄は、名人位だけはライバルといわれた中原誠に何度挑戦しても取れず、研鑽に研鑽を重ねて49歳11カ月と云う最年長で名人位を獲得しました。
中原と米長の先輩で、彼らをかわいがり育てた芹沢博文もまた、名人になるだろうといわれた大天才の一人でした。24歳でA級八段となり、当時は負ける気がしなかったと云います。
ところが突然勝てなくなった。A級も二年で降格。もちろん、名人にもなれなかった。
そのあたりを作家の山口瞳は「血涙十番勝負」の中で、「将棋がわかったと思ったとたんに勝てなくなった」と芹沢は云ったと書いています。
《その芹沢博文が、あるとき、激しく泣いた。
芹沢が屋台のオデン屋で飲んでいて、急に涙があふれてきたというのである。
そのとき、芹沢は、突如として、「ああ、俺は、名人にはなれないんだな」という思いがこみあげてきたのだそうだ。》
中原は、芹沢に稽古をつけてもらって強くなり、大名人となった。米長は、芹沢に将棋のさし方を指摘されて強くなり、数多くのタイトルを取り、ついに名人となった。彼ら二人は、将棋を探求した。
しかし、わかったと思った芹沢はついに名人なれず、「八段の上 九段の下」で終わった。
この「わかった」は、芸事全てに通じるように私は思います。
藍染も、「わかった」と思ったとたんに、そこで止まる。藍建ても、染液の維持管理も、藍染も、迷路に迷い込むようにわからなくなる。
だから、わかる藍染の世界、答えのある藍染の世界に行かなければならなくなる。つまりは薬品に頼る。
染の色合いも、追求しなくなるから深みが無いものになる。黒く汚い色でも、「これが藍染だ」と自分で納得してしまう。
芹沢のような大天才でもそうなのですから、我々大凡人は、よくよく気をつけなければならないと私は思います。
私に何を習っても、わかったと思ったとたんに藍がわからなくなるという教訓も、伝えなければならないと思っています。
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コメント
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否定することで自分を肯定することに意味はありません。
投稿: いつもみています | 2019年11月27日 (水) 19時12分
>いつもみていますさん
>
>否定することで自分を肯定することに意味はありません。
何をおっしゃりたいやら。
ご自分だけでお分かりのようですが、何をおっしゃりたいやらさっぱり分かりません。
私の書いていることを「分かった!」と思ったのでしょうか?
投稿: 紺屋 | 2019年11月27日 (水) 20時17分
>いつもみていますさん
This user doesn't have a yahoo.co.jp account (weraus@yahoo.co.jp)ということで
読んでいただいている形跡も確認できましたが、捨てハン、捨てアドレスのようで残念です。
この間の太郎という人もそうでした。
コメントの受付、少し考えさせていただこうかな。
投稿: 紺屋 | 2019年11月27日 (水) 21時27分