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2020年3月21日 (土)

尾崎紀世彦さん

 語れば長いことながら、十九で歌の世界に入って思い悩んだことはただ一つ、声を前に出すこと。これだけの為に、一日中練習していた。毎日走り、柔軟をしていた。
 十代の終わりから二十歳前後は、声帯が未熟で、訓練しただけじゃダメだという肉体的な問題もあった。だけど、練習した。だって、仕事だったから。

 仕事にする前の一時期は、「面白い声をしているね」と云われていた。チェット・ベーカーのような、ちょいとハスキーな感じでスタンダードを歌っていたからかもしれない(実は今でも、その方が好き)。人間も暗くて、人と話もせずに、酒とたばこばかりを飲んでした。

 歌が仕事になって、そんな技術的なことに思い悩んでいると、「あぁ、かなわないなあ」という人が私にも出てきた(それまで、私は日本で一番歌が上手いと思っていたのだ)。

 その第一の人が、尾崎紀世彦さん。車に乗って仕事場(米軍キャンプ)に行くとき、初めてラジオから流れてきた尾崎さんの声を聴いて、その余りの凄さに、同じ日本人として絶望的になった。それが、「また逢う日まで」。

 同乗していた人達の一人が、たまたま尾崎さんを良く知っていて、「この人は飛び抜けた人だ」と語り、また、私を絶望させた。

 それから長く歌い続けていると、「人間が違う」という事に気が付いて、絶望からは解き放たれたけれど、尾崎紀世彦さんは、私をこんな思いにさせた唯一の日本人歌手。

 その後、横浜のナイト&デイというナイトクラブに出演したとき、たまたま尾崎さんがお客で来ていて席に呼ばれ、少しお話をさせていただいた。出会いを大切に出来ないのが私の悪い所で、それ一度で終わってしまった。

 何故か夢に尾崎さんが出て来て、朝起きてその声を久々に聴くと、なるほど若かった私が絶望した理由が良く分かった。やはり、凄い。

 根っからハワイアンとカントリーの人で、日本人離れというのは、尾崎さんみたいな人を言うのだろう。

 だから、「人間が違う」(笑)
 だけど、「凄い歌い手だなあ」と心から今でも思う。

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