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2020年6月28日 (日)

紅花染めの事

 長く長く気になっていたこと、それが紅花染め。技術的な事ではない。今の紅花染めがどうして在るかということについて。

 私は若い頃、所用があって毎月の様に山形県に行っていた。滞在先で山形新聞を手に取り、そこで、米沢の元教師の鈴木さんという方が、紅花染めを復活なさったことを知った。「うちの親父の藍染のような人が居るんだなあ」と思った。だから、紅花染めは、米沢の鈴木さんなくして語れないはずなのに、今、鈴木さんのお名前と功績、歴史を語る人が居ないのはどういうわけなんだろうか?これが、気になっていたこと。

 私の周りに紅花染めをなさる方が増え、日本には昔から紅花染が伝わっていたかのようなので、彼らに鈴木さんのお話しをしようと思うけれど、上記したようなことくらいしかわからず、語る材料を持たなかった。

 意を決して、いや、暇を持て余して、いや、たまたま一人になったので、調べてみることにした。

 こんな文章があった。

Photo_20200628104401
日本家政学会研究発表要旨集
第36回(1984) B被服 B109「江戸時代の紅花染について」
鈴木紅花研米沢紅花資料館 鈴木孝男

 これをお書きになった「鈴木紅花研究所」の鈴木孝男さんが、私の探していた鈴木さんに違いない。そう思った。そこで、ネットで「紅花 鈴木孝男」で検索すると、別の鈴木孝男さんが出て来て、紅花染めを復活なさった鈴木孝男さんがなかなか見つからない。ちょっと苦労をして探したのが家政学会のものだが、「これでは肝心の鈴木孝男さんの功績が分からなくなるな」と、余計なことも考えた。

 もう少し探してみたら、紅花染をなさっている方のブログに、鈴木孝男さんについての記述を見つけた。

 【「紅花染め教室」(1) 紅花うんちく】

 《私にとって、紅花といえば鈴木孝男の名が思いうかぶ。紅花を今日あらしめた人である。(今「鈴木孝男 紅花」で検索すると最初に全く別人が出てきて驚いた。河北町で紅花染めをやっている人で、私にとっての「鈴木孝男」とは同姓同名の別人。)今でこそ山形と言えば紅花だが、戦後ずっと紅花は忘れられた花だった。》

 どういう方が書いているのかわかりづらいブログですが、とても参考になったし面白かった。
 この中で、鈴木孝男さんの昭和50年代の自歴が紹介されています。ご興味ある方はご覧いただきたい。

 この方のブルグの次のページ「紅花染め教室」(2)には、《山形における紅花生産の役割は紅花餅出荷までで、実際の染めを行うのは京に届いてからのことだったが、その染めの技術もすっかり忘れられていた。それを苦心惨憺の末復活させたのが米沢の中学教師鈴木孝男(昭和2年生)だった。》という記述がある。おっしゃる通りだろう。

 長い間気になっていたことがようやく書けた。紅花染は、山形県米沢市の元中学校教員鈴木孝男さんが復活させたものだと。紅花染にしろ藍染にしろ、こういった人知れずの努力で、継承、または復活がなされたのだと。このブログの作者に、感謝。

 

 このブログはとても勉強になった。特に・・・

◎紅花の染め方
 紅花には、水に溶ける多量の黄色の色素(サフロールイエロー)と、水には溶けないがアルカリに溶ける少量の紅色の色素(カルタミン)の二つが含まれています。黄色の色素は絹には染まりますが、綿や麻などの植物繊維には染まりません。一方紅色の色素は両方に染めつきます。そのため絹を染めると、黄と紅の色素の案配でいろんな色が出ますが、綿や麻を染めるといわゆる紅色一色で、濃さの違いだけです。

 ようやく紅花染の一部が理解できた。

 因みに、鹿児島県にある「山形屋」という会社は、鹿児島に山形の人が紅花を売りに行って始めたのだとか。

 

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