古代布の事
《独創性とは起源に 戻ることである。》アントニオ・ガウディ
古代布を今に生かそうとしたある人の藍染は、化学建てだった。古代布を生かすと言うなら、その技法も古代に倣わなければならない。それを間違えれば、嘘を伝えることになるのが何故解らないのかと私は思った。その人は亡くなった。
大麻、藤布、しな布、葛布など、古代布と呼ばれるものは縄文時代からあった。その基本的な技法は、日本に連綿と続いていた。それを探ることが、古代布を今に生かそうとする事だと私は考えるが、今は、現代の技法をそれに当てはめようとするから違ったものになってしまう。一例として顕著なのは「灰汁」の使い方。
古代布は、植物を繊維にする時に、古来から灰汁で炊いて硬い繊維を柔らかくして使えるようにしてきた。灰汁は強アルカリ性だ。だから今は、苛性ソーダなどを使う。これが「現代の技法を古代布に当てはめる」という事。結果、繊維の質が変わり、使い勝手が違ってしまう。人類が追い求めて来たものと違うものになる。古代布本来の感触を失うのだ。だから灰汁を使わなければならないが、そうしている人達は少ない。
起源に戻ろうとすると、長い間人類が追い求めて来た感触に出会う。人類の知恵と対話できる。それを基にすることによって創造性が育まれる。
アントニオ・ガウディはこう続けている。
世の中に新しい創造などない、あるのはただ発見である。
創造的たろうとして脇道にそれてはならない。
通常なされていることを観察し、それをよりよくしようと努力すればそれでよい。
「基本的な技法は、日本に連綿と続いていた」と私は書き、その例として灰汁の使い方を書いたけれど、日本でも灰汁を使う古代布を扱う人たちもいる。いや、いたからこそ、技法が今に続いて来た。
新潟県村上市山北地区で行われている「しな布」の繊維を灰汁で煮る「しな煮」。
このように、古代からの技法で古代布を作っている人たちが日本にいる。しかし、冒頭に書いたように、古代を謳い、現代の技法で古代布を扱っている人たちも多い。前者の藍染は正藍染を使うか藍染を扱わない。後者の人々は藍を扱い、その藍染は化学建て。なぜそうなるのかと言へば、現代の技法を古代布に当てはめようとするからだ。もう一つ言えば、現代の技法から古代布を見ているからだ。
藍染めの世界も、灰汁を使うのは絶対だ。灰を扱っていると、縄文の人たちと会話をしているように思われる。それこそ、起源に戻ろうとすること。私はそう考え、生徒たちにも伝えている。
《(神の)「創造」は継続し、創造主は被造物(人間)を利用する。自然の法則に従い作品を作ろうとしてその法則を探求するものは創造主と協働する。模倣者は協働しない。それゆえ、独創性とは起源に戻ることである。》アントニオ・ガウディ
ガウディのこの言葉に出会ったのは、半世紀も昔。その意味に気づいたのは、それから40年後。「私は晩生だ」と、いつぞや書いたことを思い出した。
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