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文化・芸術

2015年8月31日 (月)

日本の麻の文化

 朝、ふらりと女性がご来工。

 糸にする前の麻を、藍染なさりたいとのこと。

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 麻を糸にするわけですが、その技術が日本にない。

 いや、お一人しかいないという。

 日本に、麻布の文化がほとんどなくなって久しいのです。

 それを復活させようとする方々が那須にいらっしゃるそうで、長野から通っているのだそうです。

  

 麻と藍は、切っても切り離せない文化。だから、藍染をしにいらした。

 それにしても、大麻取締法は天下の悪法で、日本の文化と伝統を壊しています。

 日本を占領したGHQの、日本を壊す政策はまだまだある。

 すべてを変えなくては、「日本を取り戻す!」事にはなりますまい。



 藍はGHQの政策に関係なく、ほぼ滅びた状態です。

 「そんなことはない。藍染はお土産品にだってある」というのは、それはそういう藍染。

 日本の伝統文化としての藍染は、滅びへむかう文化。

 何とかしたいというお話になりました。

2015年3月16日 (月)

藍染と草木染めと結城紬

 栃木県小山市は、結城紬の産地です。デザインをし、糸を紬ぎ、括り、染、機を織る。その伝統工芸士たちが住んでいるところ。
 なぜ小山市が結城紬の産地かといえば、小山と結城は兄弟みたいなところで、明治になって、たまたま行政区分が違ってしまっただけだからなのです。
 
 結城紬は、私の知る範囲ですが、これほど手間のかかる工芸品はありません(国指定重要無形文化財に指定されていますが、団体指定ですから、いわゆる人間国宝はいません)。職人として、私は心から尊敬しています。

 今回、小山市のギャラリーで行われた二人展に、結城紬の染屋さんがお出でになった。お話させていただくと、藍染もなさっているし、その染め方は灰汁建ての本染め。
 
 職人の世界は、嘘はすぐにバレます。バレても分からない振りをするくらいの優しさはあるけれど、そういう人とは深い話はしません。いや、出来ません。

 この方は、本物だと思った。私より年下だから言わせてもらえば、たいした染屋さんです。ご自分がいなくなれば、本当の藍染が結城の世界で継承できなくなるという危機感をお持ちだ。それで、私に会いに来てくださった。
 
 こう言う人が栃木県に居らしたことに、驚くと同時に安心もしました。これからお互いに情報を交換しながら、正藍の存続に寄与して行きたいと思います。
 
 数日後、今度は結城市から、織元がご夫妻で来てくださった。ギャラリーのご主人によれば、有名な方らしい。染屋さんから「いい人に出会った」と聞いて入らしたという。その染屋さんに、草木染めも頼んでいるとか。これには少々驚きました。
 
 藍染は本染めですから問題ないとしても、草木染めの場合は、染色堅牢度の問題がある。たとえ染まったとしても、着ているうちに色が消えてしまえば、そんなものが天下の結城紬としての商品になるわけがありません。現在の草木染めには、その問題があるのです。私が「染色堅牢度の問題はありませんか?」とお聞きすると、「そうなの。草木染には染色堅牢度の問題があるの」と、すぐに反応なさった。
 
 この方がある展示会に行き、草木染めがあったので、そこの方とお話をした。そして、私と同じように、「染色堅牢度の問題はありませんか?」と聞くと、その人は、「堅牢度を気にするような方は相手にしません」とおっしゃったそうな。

 現在は、そういう時代です。作り手も使い手も、みんなアマチュアになってしまった。

 そう私が言うと、「そうなんですよ」と意気投合いたしました。ということは、小山の染屋さんの草木染めは、染色堅牢度のしっかりした草木染めだということ。すばらしいと思います。こういう方との出会いは、数少ないけれどありがたい。

 私などがいうのも憚るけれど、伝統ある工芸を受け継いでいる本物は、ものづくりの心持ちが明確です。 

 今回の展示会は、素晴らしい刺激をいただくことができました。
 お誘いくださった筒井さんとギャラリーのご主人に、感謝。

2012年3月 9日 (金)

R293美術展

雨で染めがままならないために、午後意を決して、佐野市文化会館展示室で開催中の「R293美術展」に家内と二人で行って参りました。

お目当ては、田村真澄さんの作品。

「R293」というのはパンフレットによれば、「美術展のタイトルにあるR293は、北関東を横断する国道293号線(日光へ向かう区間を日光例幣使街道と呼び、栃木県足利市から茨城県日立市を結ぶ国道。)を示すもので、同国道の沿線上で活躍する芸術家に因み名付けたものです」。とありますが、少し我々(アート街道66)と似ていると言えなくもありませんね。

 
受付で300円の入場料を支払うと、それ以上のパンフレットを頂きました。こんな凄いものを作ることは、私たちにはとても出来ません。

受付の人が、「今日は田沼先生が入らしています」とおっしゃった。

作家達が交代で出ているらしいのですが、偶々今日が田沼さんの当番だった。

会場に入って挨拶すると、他に人が誰もいなかったので、久しぶりに会う家内と二人でキャッキャと大騒ぎ。

私は、会場内の作品を見て回りましたが、田沼さんの作品が見あたりません。

騒いでいる二人の所に行って、「ところで田沼さんの作品は何所にあるの?」と聞くと、別の展示室でした。

 
入って行くと、そこは別世界。

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何と云いましょうか、「ザ・田沼真澄ワールド」かな。

大作を初めて拝見しましたが、日本人ならではの感性に溢れ、もの凄いエネルギーも感じるし、沢山の人に見て頂きたいとつくづく思いました。

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(作者の了解を得て、ご紹介しています)

タピストリーだと思いますが、私の写真では、作品のすばらしさは伝えられるわけもありません。

3月31日まで開催されていますので、是非ご覧になって頂きたいと思います。


「R293美術展2012」公演概要

公演日
2012年3月1日(木)~31日(土)
開演
10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:3月5日(月)、12日(月)、19日(月)、21日(水)、26日(月)
会場
佐野市文化会館 展示室
観覧料
一般 300円/高校生以下 無料
チケット発売
好評発売中
お問い合せ

佐野市文化会館  tel. 0283-24-7211(9時~22時/休館日:月曜日)

2011年12月13日 (火)

早池峰神楽公演 実行委員会

東北の大震災は、たぶん我々日本人に何かを気づかせているのだと思います。

それは、今風に言えばアイデンティティ。日本人としての自己への気付きではないか。
 

難しい話しはともかく、我々日本人は独自の歴史を持っています。

それは、伝統として今に続いている。

藍染も然り!の筈ですが、今のそれは、余りにも本質から離れすぎている。

伝統という名を借りたまがい物が、まかり通る世の中が今でしょう。

そろそろ本質に目を向けなきゃいけないよと、震災は教えてくれているのではないか。

そして、被災地援助の在り方も、今後は考えなければいけないのではないかと思っています。

 
東北は神楽が生活の中に息づいている。それも、今回初めて知ることが出来た。

神楽は、国造りと神を教えてくれています。

 
その代表が、早池峰神楽ですが、私たちはせめて、地元にご紹介したいと思った。

これが始まりとなって、日本中の神楽や祭りが復活することも祈りつつ、13日の午後一杯を掛けて実行委員会を開きました。

 
開催日は来年の6月2日3日に決定。

場所は、佐野市と足利市です。


足利市と佐野市は、古い歴史を持つ町で、早池峰神楽の方が新しいときたもんだ。

楽しいことが起こりそうな予感が致します。

2011年11月14日 (月)

早池峰神楽

今回の旅の目的の一つは、「早池峰神楽」を見ることでした。

私は普段から、「日本人は戦後、神々を疎かにしてきた」なんて生意気を言っておりますが、そのくせ神楽を知らなかった。

いつぞやNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で、広島県安芸高田市の神楽が紹介されて、神楽のすばらしさを確認。

日本の神楽を代表するような「早池峰神楽」とはどのようなものか、興味津々行って参りました。

 
 
早池峰神楽とは、「岳神楽(たけかぐら)」と「大償神楽(おおつぐない)」の二つの神楽座の総称です。

今回は、「大償神楽」の単独公演。
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「災害復興支援神楽の日」とありますが、毎月開かれているそうな。

開演が11:00でしたので、午後1時くらいには終わるのだろうと思っていたら、なんとプログラムでは、閉演が午後3時頃となっている。

大槌でセーブイワテのイベントを手伝っている高橋隊長と中澤隊員とは、「2時過ぎに大槌町で会いましょう」なんて事になっていましたが無理なので、この日の大槌行きはあきらめました。
 

さて開演。

なるほど、幕が張ってあるけれど開くわけではなく、幕を掻き揚げて演者が登場してくる。
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撮影禁止だから、お見せ出来ないのが残念ですが、その時の足の仕草が、何かを表現している。

それを見るのに適した場所に、我々は座ることが出来たわけだ。

  
私は舞は解らないけれど、音とリズムには多少なりとも敏感に生きてきた。

驚いたのは太鼓。

何とも云えない響きとリズムに、聞き惚れてしまいました。

 
演目が四つ終わって昼休みをはさみ、午後の部が開演。

今度の太鼓の音が、まるっきり違う。

見ると、たたいている方が替わっていました。

どうにもこうにも、リズムの乱れが気になってしょうがない。

舞は素晴らしいのは解るけれど、そちらが気になってどうにも眠気さえ襲うしまつ。

ところが、「狐とり」という狂言の段になると、この太鼓の人が味なセリフを語る。やはり、役割はあるのだなと思いましたね。
 
 
狂言で笑い転げた後、「天照五穀(あまてらすごこく)」という演目が始まった。日本の農業の始まりの物語です。

四人の舞い手が出て来たのですが、その中のお一人の所作が全く違う。

太鼓のリズムも気にならないどころか、その乱れさえも舞が吸収してしまっている。

音も舞いも一体となった舞台となり、私は引きつけられてしまいました。

 
そして、最後の「権現舞(ごんげんまい)」が始まった。

獅子頭に神を移して、神楽の最後に必ず行われる舞い。権現とは神の仮の姿であり、その霊験によって悪魔調伏、無病息災、五穀豊穣など、あらゆる災いを退散・調伏させ、人々の安泰を祈祷するという舞いです。

舞い始めた方を見ると、午前の部で太鼓を叩き、「天照五穀」で私が引きつけられてしまった方でした。

見ている内に、不思議なことに私の目から大粒の涙があふれ出てきて止まらなくなった。私がボロボロと泣いている。

感動とも違う、不思議な体験をさせていただきました。

終わりに、権現様の体内くぐりと云うものもさせていただき、私は生まれ変わった。と云うことになるのだそうです。

 
この舞い手は佐々木さんという方で、御歳80歳。

矍鑠たるなんて言葉さえ当てはまらない程の、舞と太鼓でした。文字通り、神技というものでしょう。

帰り際に表にいると、その佐々木さんがいらしてご挨拶させていただきました。

お会いすればやはりご老人ですが、来年、足利市と佐野市で神楽を演じていただくことになりそうなので、その会場である鑁阿寺が足利氏ゆかりのお寺であり、佐野には坂上田村麻呂の話がある旨をお伝えすると、「これはご縁ですなぁ」と。私が涙した話しをすると「やはり、魂ということでしょう」とおっしゃった。

 
 
来年の5月の終わりか6月の初め、足利市と佐野市で「早池峰神楽」公演を企画しております。

私も、心して関わり合わねばなりません。


2011年10月25日 (火)

賑わいの山と早池峰神楽

工房のある佐野市閑馬町は、市街地からだいぶ離れた山間部にありますが、ここのところ、毎日来客があって、にぎやかに暮らしています。
 

日曜日は、千葉の梨農家の中村一家が、ブログをご覧になって支援物資を届けてくださった。

椎茸農家の星野さん家にお連れすると、同じ農家どうして話が弾みましたね。

中村さんは、市川市の市街地の中で農園をなさっている。

それも、除草剤も殺虫剤も使わない農法だそうで、安全でおいしい。

だから、出荷せずに、家の直売で成り立ってしまう。

苦節十何年たち、「私も紺邑の作務衣を注文できるようになりました」と、一着作ることになりました。

 
 
火曜日の今日、岩手県盛岡市から、SAVE IWATEの寺井代表がお見えになった。

足利と佐野に、早池峰神楽をお呼びしようと計画していて、その打ち合わせです。

8月の終わりに、初老三人組と家内や娘たちが岩手に行き、この神楽に出会って感動して帰ってきた。

AKG(足利着物ガールズ)代表の木村さんは、この神楽に長くお付き合いしてほれ込んでいる。

みんなの意見で、呼びたいという事になったのです。

そこで、寺井さんが講演で足利にいらした機会に、会合を持つことにしたと、こういうわけです。

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写真奥左手から、寺井さん、木村さん、宮大工の杉本さん、家内に初老三人組の中澤隊員、高橋隊長、佐野市から花飾り作家の遠藤さんと、天命鋳物師を代表する若林御夫妻という顔ぶれ。

第一回の会合ですから、これから皆さんと縁を繋いで行くことになります。

 

早池峰神楽(はやちねかぐら)は国の重要無形民族文化財でユネスコの無形文化財指定でもある。

これほどのものを、佐野・足利市民にお見せできるというのは、望外の喜びでもあります。

来年の春から初夏にかけての時期を考えております。

2010年12月19日 (日)

物作りの佐野

この夏、「アート街道66展」というイベントを致しました。

佐野市田沼地区に住む、15名の作家達が閑馬に集まった。

 
それを主体にして、来年の2月10日から14日まで、東武宇都宮百貨店でイベントをしていただくことになりました。

ふと気がついて、何も旧田沼地区にかぎらず、佐野市全体から見てみたら面白いと思った。

そこでイベントの題名を、「アート街道66展 佐野に集まる作家達」としてみました。

 
各方面にご協力いただいて、佐野で物作りをなさっている方々を捜しましたら、沢山いらっしゃる。

お声掛けしたら、皆さん出展してくださることになり、ちょいと面白くなって参りました。

担当の酒見君には、後ほど名簿をお出ししますから、待っててね。

 
元々佐野は、鋳物、鍛冶屋、陶芸、織物、藍と藍染、染色、武者絵、土鈴、人形細工、木工などの伝統的なものも盛んで、最近では、硝子細工、パッチワーク、トンボ玉などもあります。

第一回目ですから、一堂に会すことが出来るかどうか分かりませんが、佐野は思ったよりも面白い町ですよ。

それを、我々自身が知らなかった。

渡瀬通信の野村さんは、「足利では決して出来ません」とおっしゃっていますが、物作りをしている人たちがこんなに集まれるのも、佐野ならではのことだと思います。
 

佐野市は、こういってはなんですがちょっと地味目の町。

そして皆さん、仲が良いですね。

たとえば県の集まりがあって、栃木県中から集まるとき、車で乗り合わせて来るのは、佐野の人たちくらいなものだと言われるそうです。

 
そんな気質だから、まとまりもある。

だから、我々も集まりやすいのだと、少し気がつきましたね。

2008年10月27日 (月)

怖い使い手

 渋谷四日目。私に取りましては、約二ヶ月ぶりの百貨店催事です。一日一日が色々あって、まだ四日目かという印象。

 久しぶりに職人達と会いますと、中身が濃いし様々に刺激を受けます。

 お客様にも勉強させられておりますが、工芸品の使い手として職人の間で良く知られているSさんとKさんがお見えになった。
 お二人は、「私達は、使える良い物を買わせていただいています」とおっしゃる。正しく、実用の美、他力の美の世界です。

 こういう方の目に適う物を作るというのは、作り手と使い手の切磋琢磨だと私は思うし気も引き締まる。

 もちろんお二人は、紺邑の藍染を着て下さっているわけですが、ある江戸時代から続いている紺屋にそれを着て行くと、「藍染でこんな色が出るのか」と感心されたとのこと。また、「紺邑さんのを着ていると、藍染に見られないときがありますね」ともおっしゃる。

 こういう、客観的な評価を聞かせていただくのも、催事ならではのことです。

 このお二人は一年に一度、東北に職人というか作り手を訪ねる旅をなさる。
 昨年は、銀細工の名人、進藤さんの工房にお出でになったそうな。

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日本の銀細工を代表する人、進藤春雄さん。

 Kさんが、紺邑の藍染の上に進藤さんの銀細工のブローチをなさっていたのですが、紺邑の青によく似合う。
 「何故か、進藤さんの銀細工は、紺邑さんの藍染に合いますね。ほかの藍染では駄目だし、他の銀細工でもだめ」とおっしゃいますが、さもありなんと私は思う。私は進藤さんの作る物が大好きだし、尊敬していますので、こういうお話しは励みになります。
 
 Sさん達の目は、工芸品を自分が使えるかどうかという視点で見ている。
 その目に適わなければ、お買い求めいただけません。
 それは彼らの好みでもあるから、我々職人が口出すことではありませんが、作る品物でお答えすることにしています。

2008年9月15日 (月)

新潟県村上市 「灰の文化」

旅に出ていますと、テレビも新聞も見ません。
帰って来て、カミサンと世相を話すと、私は何も知らない。
そこで、「たまには、テレビも新聞も見なさい!」と説教されるから、ここのところ、見るようにしております。

久しぶりに「遠くへ行きたい」という番組を見ましたら、新潟県の村上市が出て参りました。
我々工芸の仲間では堆朱、食うものではが有名ですね。
皇太子妃雅子様のご実家のあるところでもある。
そして、人知れずですが、我が祖母のふるさと。
ですから我が家には、村上堆朱が沢山あった。
これが年を逐う事に艶を増して、得も言わぬ色になってゆくのですね。

我が家のルーツを追って、唯一度ですが、村上市を家族で訪れたことがあります。
祖母の旧姓は中村。
村上藩の家老の家柄で、祖母は明治の時代に、横浜の神学校に通ったクリスチャン。
伝道師となり、我がふるさとの教会に来て祖父と知り合い結婚。
そして父が生まれ、私が生まれ、我が子達が今生きているわけです。
ですから、村上市がテレビで紹介されていると、他人事ではありませんから、一生懸命見てしまいました。

漁港が紹介されていましたが、山の木が豊かだから海も豊かなのだと、漁師が話をしている。
「さもありなん」と頷いていると、今度は山の中の村が出てきた。
驚いたことに、「灰汁笹巻き」という、木灰の灰汁を使う食べ物があった。
鍋で湯を沸かし、そこに楢の木などの木灰を入れて灰汁を採り、餅米を笹に入れた物を灰汁に入れて何時間も炊くのだそうですが、出来上がりはそれこそ黄金色の灰汁の色。
美しい保存食ですが、ミネラルたっぷりで身体に良いでしょうね。

今度は「しな布」が出てきた。
これも「しな織り」として、我々工芸の世界には親しい物です。
しな布は、シナノキなどの樹皮から糸を作り、織り上げて作る。
樹皮は堅いから、柔らかくして裂きやすくするために、木灰の灰汁で良く煮込む。
ここにも「灰汁」が使われておりますが、まさしく「灰の文化」が息づいておりますね。

しな布は、くず布、上布などと共に、日本の古布を代表する物ですが、こういう作業工程を見ますと、やはり日本は灰の分化なのだと思いました。
それが未だに続いている。
もちろん、藍染めも、細々とですが続いている。

テレビもたまには良いですね。

2008年7月 2日 (水)

日本橋通信08/7vol.1 久留米絣と人間国宝

日本橋初日。

 

朝、4時には起床。
それから、名古屋のDM作り。
七時前の電車で日本橋へ。
九時に到着。
なんとか準備も整え、開店。
十時過ぎには三女が来て、私と新井さんと三人体制で販売です。

 

開店と同時に沢山のお客様が会場に溢れ、隣のレジが忙しく動き出した。
紺邑も順調。

 

ところが、お買い求め頂いた商品に付けるリーフレット、紺邑の紹介文が見あたらない。
仕方なく、名詞をお渡しした。

受注伝票が無い!
仕方なく、三越の伝票だけで対応。

実演するハンカチがない!
これは、代用する物が無いので、実演できない。

急遽、カミサンに持ってきてもらうことに。

2時半からほんの一瞬、四人体制となったが、それがちょうど良いほどのお客様の数で、担当の金子さんが、「一週間分のお客さんが来ちゃったんじゃないの!?」なんて言うほどの賑わい。

 

ところが、カミサンが帰った四時頃から、パタリと人の出が止まってしまった。
成績も、これではたいしたこと無いという、どうにも困った事態となった。

そんなとき、名古屋から何故か岡村さんが、紺邑の藍染めをお召しになって来店。
日帰りなさるという慌ただしさでしたが、ちょうど私も暇になったので、広い会場をご案内しました。
オンセの高江さんも、久留米絣の省ちゃんもいますからね。
途中、企画会社の小山さんと出会い、紹介すると、「ブログで存じ上げています」だって。

 

岡村さんもお帰りになり、六時を過ぎましたが、動きがない。

 

これでも成績としては、他のどんな百貨店でも立派な物なのですが、ここでは満足できる物じゃありません。
困ったなと思っていたら、横浜の深澤さんがひょいと現れ、閉店の8時までご滞在。
その間、 ボツボツと売れて、何とか恥ずかしくもない成績を収めることが出来ました。
ちょっとした百貨店の一週間分だから、ものすごいと思うのですが、三越本店ではこれで普通ですから困ったものだ。

 

 
途中、倉員さんが私の所にいらした。
指が言うことを聞かなくなったので、職人を廃業し、これが最後の催事。
それでも淡々とお仕事をなさっている。

 

何故来たかというと、私が「久留米絣に人間国宝は居ない」と言っているからです。
どうも、それが納得できないらしい。
昔、催事で人間国宝と一緒に仕事をしたとおっしゃるし、ネットにも新聞にも、Mさんと言う人が人間国宝として出ていると言うことを、私に伝えたいらしい。

 

久留米絣は団体指定ですから、個人としての所謂「人間国宝」はいません。
しかし、昭和32年、国指定重要無形文化財に指定されたときは、代表者として6名認定され、その内の一人がMさん。
「正藍染」の千葉あやのさんは人間国宝だけれど、Mさんは団体の代表者の一人で立場が違う。
こういうことは一般には解らないし、宣伝する方は無闇に肩書きを利用するから、世間は誤解するのですな。

 

因みに久留米絣は、昭和51年に国指定重要無形文化財の保持団体として認定され、代表者の認定はその時点で解除されております。
だからといって、Mさんの仕事が認められなかったと言う訳じゃない。
良い仕事だということは、なにも文化庁だけが決めるわけではありませんからね。

 

 
さて、その重要無形文化財久留米絣技術保持者会会員の省ちゃんが、宴会をやろうと誘いに来た。
メンバーを聞くと、断るわけにはいかない。
「しょうがねぇーな!」と言いつつ、ホテルを取って泊まり込みで宴会をし、酔っぱらってまたブログを書けず、またこんな時間(朝5時)に起きて書いております。

 

これからどうしましょ!?

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