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2019年11月13日 (水)

足利の蕎麦

 《先日、群馬県高崎市から入らしたお客様と蕎麦の話になり、「蕎麦は足利です」と申し上げたらご存じなかった。足利は蕎麦のうまい街だが、それを主張する人がいないから誰も知らない。

 そんな足利で生まれ育った私には、佐野で満足できる蕎麦屋になかなか出会わない。そこそこ食える蕎麦屋が、最近、店仕舞をした。そこで、新しい店を開拓しようと、近くの蕎麦屋に行って来た。午後一時過ぎだったが満席で、カウンターの隅に座る。

 「もりそば」を注文。

 一口頂いたら、もちもちしていて、蕎麦を食している気がしない。不味くはなかったので完食したが、どうも後味が良くない。私は蕎麦の味を忘れたのだろうか?と疑心暗鬼となっている。

 近々に、足利にそばを食べに行って、自分を確かめようと思う。》
 

 フェースブックでこのように、「私は蕎麦の味を忘れてしまったのか?」と疑心暗鬼となったお話しをしました。そこで、自分を確認に、足利に蕎麦を食しに行ってまいりました。 
 
 友人の歯科医が、「九一で蕎麦がきを食してきたけれど、『店主が今年の新蕎麦は美味いと言ってましたよ。 』」と教えてくれたので、いつもの九一蕎麦へ。 
 
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 本当のことを言うと、私は他の店でも足利なら良かったし、久しぶりに「一茶庵」でも行こうと思っていたのですが、外食嫌いの家内が九一の蕎麦が殊の外好きだというのが、九一へ行った最大の理由なのです。家内は暖かい蕎麦が好きで、九一は麺とお汁が絶妙だと云います。
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 私はいわゆる十割蕎麦と天ぷら。家内(写真向こう側)は天ぷら蕎麦。

 九一は読んで字のごとく九一なんですが、数限定で十割を出しています。私は、他所では十割は頂きません。麺は太めだし、つなぎを使っていない分切れやすいからです。ところが九一の十割は、九一と同じように細切りで出すし、ぼそぼそと切れる事もなく蕎麦を楽しめる。
 一口食しただけで、「あぁ、蕎麦だなあ」と感じ、自分に自信を取り戻せました。行って良かったと、心から思います。
 
 もう一つ九一に行く理由が天ぷらです。上天のエビは巨大で、これが良いのですが、野菜の揚げ具合も絶妙。これも、昔からだ。
 
 お昼時に行ったので、お客様がひっきりなしでしたが、それほど待たされることもない、プロの仕事を見せてもらいました。店主の茂呂君とも少し話も出来た。ごちそうさまでした。
 
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 九一の蕎麦は、酒を飲んだ後が絶妙で、ここに勝るものはない位なものですが、さて、今後、酒と九一の蕎麦を楽しめる機会が、我が人生に訪れることがあるかな。
 
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足利の蕎麦、頑張ってます。

2014年7月28日 (月)

閑馬のお祭り

旧栃木県安蘇郡閑馬町、現栃木県佐野市閑馬町の「夜祭り」は、その昔は屋台が十台も並び、夏の土・日曜日の二日間にわたって行われ、近郊近在からも人が集まり、それはそれは盛大だったとか。
神楽もあって、日比谷の全国大会へ出演した写真が、私たちの町内の会館に飾ってあります。
一昨年まで、それを止めていました。
屋台を出して日干しして、みんなで会館で飲み食いするのがお祭りの代わりになっていた。



閑馬は、私たちのようなよそ者が大勢住んでいるところで、それも若い人たちが多く、子供たちも居る。
閑馬小学校が未だに単式でいられるのは、その為です(近くの小学校は皆複式です)。
そういう若い人達から、子供たちに祭りの経験をさせてあげたいと、復活の声が細々と上がっていました。



町内の世話役が、当番制で回って来る。
私の番が来たら、それを皆さんに持ち掛けようと思っていました。
そして、年寄には面倒をかけないという約束も取り付けた。



一昨年、その当番が私に回って来て、祭りの最後に「お祭りの復活」の話を持ちかけたら、もう大騒ぎになって、その場で各家庭に埋もれていた半纏まで持ってくる騒ぎで盛り上がった。
年寄は何もしなくてよい約束ですから、私はそれでお役御免。



昨年、私たちの町内だけで一回目が行われ、今年は隣の町内が参加して、示現神社でめでたくお祭りが賑やかに行われたらしい。
なんで「らしい」と書くかというと、私は「道の駅 はが」に行っていて参加できなかったからです。

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それに、現役で年寄なんですから、勘弁です。



ちなみに、家内は参加。

みなさん藪蚊に刺されて大変だったらしいけれど、全身藍染めの家内は、一か所も差されませんでしたとさ。

2014年5月15日 (木)

「暮らしまるごと展」準備

明日から始まります「暮らしまるごと展」の準備の一日でした。

体験型のイベントですから、見て聞くだけの、そん所そこらにあるイベントとはわけが違います!

今回は、サイクリングで閑馬の山里を楽しめます。

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谷中実行委員長!

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16日から18日までです。

是非、お運びくださいませ。

 

地旅での参加は、大変お得ですよ。

https://jitabi.ne.jp/products/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A1%97%E9%81%9366%E3%80%80%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97%E3%83%BB%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%94%E3%81%A8%E5%B1%95/

沢一つ向こう、野上の「南山焼き」では、「器まるごと展」が開催されます。

17日と18日の二日間です。

梯子でお楽しみください。

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2014年4月19日 (土)

「道の駅はが」

私が頭の上がらない人から電話があって、「ちょっと話があるから出てこないか」と。

この人がいたから、関東全ての「職人の技展」という百貨店催事はあるんですが、もう、知る人はいませんね。

あるのが当たり前のように、しかれたレールの上を走っている。

 
それで、片道70㎞ほど離れている「道の駅はが」まで行ってきました。
 
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ここで藍染教室をやれとの仰せですから、「ハイ」とお返事してきました。
 
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この売り場で、紺邑の品の常設が決まっちゃった。
 
まあ、仕方ありません。
 
 
頑張ります。

2014年4月14日 (月)

閑馬「示現神社」

「どこの神社にお参りしても良いけれど、先ずは氏神様にご挨拶をしなさい」とどなたかに云われまして、紺邑から歩いて数分の「示現神社」にお参りして参りました。

お参りというよりも、ご挨拶かな。

P1030255_3すがすがしい空気が漂っています。

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一説によると、和歌の神様。

そういえば、近くには人丸(ひとまろ)神社もある。

これは柿本人麻呂の事だろうけれども、こういう素養が、この地域にはあったのかもしれません。

P1030253_2山々も、若葉が萌え出し始めました。

P1030258_2_2紺邑のある沢も、若葉が一杯です。

 

2014年4月13日 (日)

佐野市の飛駒

佐野市の66%が山間部だそうですが、それは、安蘇郡が合併したからです。

旧安蘇郡田沼町に、紺邑のある閑馬はありますが、その北西10㎞ほどのところに、「飛駒(ひこま)」があります

ここがまた良いところで、私たちは飛駒に工房を捜し、閑馬に落ち着いたという経緯もあるのです。

そこに、「根古屋(ねごや)」という、佐野の出城のあった所があり、今は「根古谷森林公園」となっています。

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桜が真っ盛り。

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ログハウスがあって、宿泊もできます。

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広場では、 家族が寛いでいました。

バーベキューかな。

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飛駒は楮の取れたところで、和紙の産地でした。

ここでは、紙すき体験もできます(土日のみ)。

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そば処ですから、当然、蕎麦屋がある。

近くには、カフェブロッサムというログハウスのレストランもあって、見どころ食べどころがたくさんあります。

紺邑から車で10分くらい。

その間、信号があったかな?

 

 

ここは、私の母方の里。

祖母の生まれ育ったところなのです。

 

2014年3月10日 (月)

林業体験

紺邑のある閑馬には、「閑馬上区里山を守る会」というのがあります。椎茸農家の星野さん達が中心になって、活発に活動している。

9日の日曜日、林業体験のイベントがあったので、参加してきました。

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それこそ老若男女が数十人と集まり、 中には東京からのご夫婦もいらっしゃいました。

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私達のグループは、星野会長のご指導を受けるという幸運に恵まれました。

さすが木を切る大ベテランで、的確に教えていただき、大変勉強になりました。

藍染めをやっていますと、森林の大切さが嫌と言うほど感じさせられます。また、日本人が森を大切にしてきた意味もわかる。

中川昭一さんが農林大臣の頃、立ち話ですが「森林の再生無くして日本の再生はありません」と、生意気なことをしゃべったことがありますが、それほどに、里山は守らなくてはなりません。

その意味でも、「閑馬上区里山を守る会」は意義深い活動だし、大勢の人たちが賛同し参加しているのも、心強い限りです。

ここはカタクリの自然な群生地でもある。遊歩道も整備して、皆さんに楽しんでもらおうという試みもあるそうで、将来が楽しみです。

2013年10月21日 (月)

鈴木神社と「お代官様」

 テレビの人気ドラマ「水戸黄門」は終わったけれど、あの番組はイデオロギーに犯されておりましたですね。権力は悪で、弱い者を虐めるなんてドラマで、その権力者を、弱者の味方である権力者の黄門様が懲らしめる物語で、それが痛快だったから流行ったんでしょう。
 権力者の象徴が、お代官様。弱者のそれが民百姓達という構図だったように思います。

 江戸時代にお代官様はいたわけだけれど、彼らは民百姓の敵だった分けじゃない。幕府や藩主との間に立って仕事をしてきた人たちです。

 その代表的存在が、天草の鈴木代官です。
 天草の民百姓が重税に喘ぎ苦しんでいるのを、文字通り命を賭して救ったお代官様。
 そして天草の人々は「鈴木様」と慕い、お祭りし、鈴木神社があります。

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 静かで美しい神社です。
 広い境内が余りに手入れが行き届いているので、宮司に「大変でしょう」とお聞きすると、「なに、この村落の人たちと一緒に手入れをするのが楽しくて、最初に声掛けしたときは50人くらい集まったけれど、今では90人以上の人たちが集まってくれるようになりました」とおっしゃった。

 民百姓を守った鈴木様が、今に生きているようなお話しです。

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 昨日までお祭りだったようで、その名残りがありますが、社殿を大掃除したばかりらしく、美しい風情でした。

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 松の後ろにソテツという、南国ならではの景色。

 

 「海の幸カレーという、天草ならではのカレーがありますから、そこに行きましょう」と、信号なしの道を20分程掛けて連れて行っていただいた。

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 如何にも海の幸カレー。
 香りも味も海の幸で、結構なものでした。

 帰りは海辺をドライブ。
 これは景色が結構!

 結構尽くめで天草を堪能させていただきました。

  
 
 さて、私の生まれ故郷の足利に、小林代官と云う人がいました。
 この人は、「逆さっ川」といって、平野から山に向かう川を作り灌漑に勤めた。
 代官という存在は、水戸黄門の世界とは違うと、我々は知らなけりゃなりません。

 この小林代官の子孫が、田山花袋の「田舎教師」のモデルになったといわれる小林秀三です。その子孫の小林さんは、私は生まれたときから存じ上げておりますが、足利の人は小林代官を知るや知らずや。

2013年8月 4日 (日)

桐生祭り 八木節

 8月4日日曜日、染め仕事が一段落して、所用で桐生に行きましたら「桐生祭り」の真っ最中で、盛んな人出で賑わっていました。

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 八木節は足利の八木宿が発祥だと、しきりに足利の人たちが強調するのは、本場が桐生に取られてしまったからで、このお祭りの八木節は、各通り々(謂わば町内)で行われる盛大なものです。足利で云えば、通り1丁目から7丁目までが八木節ばかりになるという位で、足利と桐生では、誰が何と云おうとスケールが違います。
 我が故郷の小俣の人たちも、駆け付けて出演しているに違いありません。

 その上、屋台が出ている。
 
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 それも、大きくて各々歴史のあるもので、この辺りのお祭りとしては出色です。子供の頃は、毎年行っていたものですが、久しぶりにこの祭りに出会って、昔を思い出してしまいました。
 足利の花火大会と一日必ずぶつかりますが、こちらは三日間ですから、是非一度、参加なさることをお勧めしたい。
 
 
 足利も桐生も、旦那衆の街。この祭りも花火大会も、その歴史を色濃く残していますが、そんな話しはまたにしましょう。だって、長くなりますから(笑)
 
 

2013年8月 3日 (土)

足利花火大会

8月3日(土)は、栃木県足利市の花火大会。毎年8月の第一土曜日開催ときまっています。

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「わたらせサマーフェスタ」とあるけれど、私はその昔実行委員の一人で、前夜祭のプロデュースをしていましたが、そんなお話しはいつかするときがくるかもしれません。

明治36年に始まり、戦争による中断もあったでしょうが、110年の歴史を持ち、ことし99回目という、日本を代表する花火大会だと思います。

大げさなようですが、長い歴史の持つ独特のノウハウがあるのです。
 

第一に打ち上げの間の取り方にそれがあって、見るものを飽きさせません。

そして、日本で一番観客席と花火が近い。その臨場感もたまりません。

東京のある花火大会を見た人が、物足りなく感じる程です。

 
足利市は、日本の小京都と云われます。佐野市も同じ。

全国の小京都の人たちの親睦会がありまして、その会長が私の父でした。

随分昔ですが、全国から小京都の人たちが、足利の花火大会に来たことがあります。

皆さんそれぞれ古都ですから、自慢の花火大会がある。

たとえば大分県日田市の人は、「うちの花火大会はすごいよ。四方の山に音がこだまして、それはそれは幻想的なんだよ」と、私に自慢していらした。

花火大会が終わると一言、「ここはすごい!」と、感嘆していらっしゃいました。

人知れずですが、世界的な企業の人も来て、桟敷で花火を見物していたこともある。

足利出身の人が、接待に使っていたのです。
 

今は知りません。

私は実行委員でもなければ、足利市民でもない。

久しく、見ていないのです。

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