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日記・コラム・つぶやき

2020年6月21日 (日)

千客万来

 紺邑は、3月に入るとボチボチお客様がお見えになるのがいつもの常。今年は新型コロナ騒ぎで、全くどなたもお見えにならない状況が続いていました。

 ようやく移動の自粛が解除されてから初めての土・日曜日。数多くのお客様がお見えになるようになった。「千客万来」とは大げさにしても、今までに比べたら夢のようです。


 それにしても、日本人は健気。自粛要請に素直に従う。それが、新型コロナウイルス被害の拡大を抑えた一番の要因のように思えるほどです。

 皆様、どうぞご遠慮なく安心してお越しください。栃木県は結局、新型コロナウイルスに侵されなかったといっても良いところですから。

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2020年6月20日 (土)

常識

 SNSは、正しい情報も誤った情報も、どちらも勝手に流す事が出来る。では、情報が正しいか正しくないかを判断するにはどうしたらいいのだろうか?と、ふと考えることがある。それは多分、常識からものを見る目が必要なんだろうと思う。この場合の常識とは、本来の意味の常識のこと。それさえ言葉の混乱があって、「私の常識」だの「常識を覆す」などと云われる。「私」という個人的な事や、覆されるようなものじゃないから「常識」というはずなのだが。

 染めの世界に、椿の灰伝説がある。ある染色家が「椿の葉っぱの部分の灰が一番良い」と書いている。これを見て直ぐに分かるのは、この人は木を燃やしたことも無く、灰を扱った事も無いなという事。それは、木を燃やして灰を作れば直ぐに分かる。木の葉から染に使う灰なんて取れやしません。これが常識です。

Photo_20200620161102
植物染めに使う灰は、色を決める為。
藍染に使う灰は、醗
酵させるため。
用途は違うが、良い灰を作ることで良い灰
汁が取れる。
だから、灰汁の取り方はとても大切なのだ。

Photo_20200620161101これが一番灰汁。
空の雲が映る程に透明で美しい。
美しい灰汁から美しい染めが出来る。
だから灰汁の取り方を覚え
なければならないのだ。

 藍建ても藍染も同じで、醗酵させて建てていると、醗酵ではない藍建てが分かる。醗酵で建てた事のない人は、醗酵の藍建ては分からない。これも常識。

 しかし世の中には、分かってもいない事を分かっているように言う人が居る。そして、その言葉に惑わされる人も。それを「賢しら」と日本語で云うのだけれど、それも死語になりつつある。それは「キザ」と表現しても良いかもしれない。

 もっともらしいキザな言葉には要注意ですが、そういう事を言いたがる人がいて、それを真に受ける人が居て、そういう人やものが持て囃されるから困ったっものだ。たとえその人が人間国宝だとしても・・・。

2020年3月28日 (土)

学問

 私は、ちょいと事情があって、学問が出来なかった。「19才から働きづめだった」というと、「そんな話は初めて聞いた。イメージが壊れるから、そんなこと話さないで」と、私の歌の世界の、元後援会長のような女性に言われたものだが、それが事実。

 それを埋め合わせてくれたのが、読書体験。時間があれば、本をむさぼるように読んでいた。

 つまり、私には学問がない。

 学問がないと、理解力に乏しくなるのか、読書経験が、なかなか理解までたどり着かなかった。二十歳前後に読んだものが、齢50にして理解できたものが沢山ある。そこから糸が解れるように、様々のことが見えてきた。
 その間30年、私は何をしていたのだろうかと思った。私には学問がないから、理解に30年も掛かったのではないかと。

 学問をするところは大学だから、これから入り直すか、通信教育でもうけるか、はたまた放送大学に入学してみようかと、本気で考えた。そして、ラジオで放送大学の授業を本気で聞いた。様々な大学の資料も取り寄せた。

 その上で、「はて、学問とは何だろうか?」と考えてしまった。どれを見ても聞いても、ピンと来ないし、面白くない。よくよく考え、今の「学問」の質に気付いた。

 そんなときに、私に勇気を与えてくれたのが、本居宣長の「うひやまぶみ」の一節。

《詮ずるところ学問は、ただ年月長く倦ず怠らずして、励みつとむるぞ肝要にて、学びやうは、如何ようにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、いかほど学びかたよくても、怠りて努めざれば、功なし》と宣長は書き

《されば才のともしきや、学ぶ事の晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづれて止むことなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし、全て思ひづくをるるは、学問に大いにきらふ事ぞかし》と、学問の無い私を励ましてくれた。

 さて、この宣長の文章はいわば古文で、現代人には親しくないけれど、これをどう読むか。それも、宣長は教えてくれている。

《いづれの書をよむとても、初心のほどは、かたはしより文議を解せんとはずべからず、まづ大抵にさらさらとみて、他の書にうつり、これやかれやと読みては又さきに読みたる書へ立ちかへりつゝ、幾遍も読む内には、始めに聞えざりし事も、そろそろと聞ゆるやうになりゆくもの也》と。これは、私がしてきた読書体験そのものでもあった。

 「うひやまぶみ」というのは、本居宣長が、弟子達に頼まれて、学問について、その学び様について書いたものらしい。「うひ」とは「初」。つまり「初めて」ということ。「やまぶみ」とは「山踏」で山に分け入る事。つまり、学問という山に分け入る初心者に向けての、本居宣長の助言のようなもの。どうも、好んで書いたものでは無いらしいが、そんなことはどうでも良い。


《されば才のともしきや、学ぶ事の晩きや、暇のなきやによりて、思ひくづれて止むことなかれ》という言葉だけでも、ありがたい。

2020年3月27日 (金)

ゴッドハンド

 「湖畔の宿」は胸の痛みだが、私は肩の痛みに耐えかねていた。昨年の12月からだ。未だに横になって寝られていない。

 それでも少しずつ良くなって、耐えかねる程でもなくなっていたが、昨日から今日にかけては、ちょいと酷い痛みになっていた。
 もう耐えられなくなって那須の林先生に連絡。わざわざ来ていただくのを遠慮していたのだけれど、もうダメだとSOSを発信。今日、治療をしていただいた。


 林先生は、那須高原で「那須・林療術院」をなさっている、なんていうのか整体師というのか、そういう人。私はゴッドハンドとお呼びしている。

 2014年2月14日、足利市でバレンタインコンサートなるものをしたとき、私の体調は自分史上最悪で、声などでない状態だった。その時、何故か那須から林先生が来てくださった。

 私はどういう方かも存じ上げず、ただ「具合が悪い」とこぼすと、ピアノの前に座ら去れ、ヒョイヒョイと5分ほど身体を触られたらあら不思議、声が出るようになって、二時間以上のステージをこなすことが出来た。

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 それ以来のお付き合い。

 今日、お陰様で痛みが無い。先生がお帰りになった後、久々の爆睡。今、ボーっとしながら書いている。感謝してもしきれないな。



2020年3月21日 (土)

尾崎紀世彦さん

 語れば長いことながら、十九で歌の世界に入って思い悩んだことはただ一つ、声を前に出すこと。これだけの為に、一日中練習していた。毎日走り、柔軟をしていた。
 十代の終わりから二十歳前後は、声帯が未熟で、訓練しただけじゃダメだという肉体的な問題もあった。だけど、練習した。だって、仕事だったから。

 仕事にする前の一時期は、「面白い声をしているね」と云われていた。チェット・ベーカーのような、ちょいとハスキーな感じでスタンダードを歌っていたからかもしれない(実は今でも、その方が好き)。人間も暗くて、人と話もせずに、酒とたばこばかりを飲んでした。

 歌が仕事になって、そんな技術的なことに思い悩んでいると、「あぁ、かなわないなあ」という人が私にも出てきた(それまで、私は日本で一番歌が上手いと思っていたのだ)。

 その第一の人が、尾崎紀世彦さん。車に乗って仕事場(米軍キャンプ)に行くとき、初めてラジオから流れてきた尾崎さんの声を聴いて、その余りの凄さに、同じ日本人として絶望的になった。それが、「また逢う日まで」。

 同乗していた人達の一人が、たまたま尾崎さんを良く知っていて、「この人は飛び抜けた人だ」と語り、また、私を絶望させた。

 それから長く歌い続けていると、「人間が違う」という事に気が付いて、絶望からは解き放たれたけれど、尾崎紀世彦さんは、私をこんな思いにさせた唯一の日本人歌手。

 その後、横浜のナイト&デイというナイトクラブに出演したとき、たまたま尾崎さんがお客で来ていて席に呼ばれ、少しお話をさせていただいた。出会いを大切に出来ないのが私の悪い所で、それ一度で終わってしまった。

 何故か夢に尾崎さんが出て来て、朝起きてその声を久々に聴くと、なるほど若かった私が絶望した理由が良く分かった。やはり、凄い。

 根っからハワイアンとカントリーの人で、日本人離れというのは、尾崎さんみたいな人を言うのだろう。

 だから、「人間が違う」(笑)
 だけど、「凄い歌い手だなあ」と心から今でも思う。

2020年2月 2日 (日)

年頭所感

 気が付けば、この一ヶ月何も書いておりません。実は肩の痛みで床に横たわる事が出来ず、椅子に座って寝ておりまして睡眠が取れていませんでした。その為か、この二ヶ月ほど頭が回らず、ぼーーーっと過ごしておりました。ただでさへ無い頭が働かないのですから、ブログも書きようがありません。
 
 痛みは耐えられない程でしたが、病院から頂いた有名な強い痛み止めは効かず、漢方の星野先生調合の痛み止めだけが効いてくれまして、何とか過ごせた二ヶ月でした。

 つい最近、地元の針治療院に行ってみました。酷い腰痛がそこの治療で消えたという、ご近所の口コミです。先生が変わった人で、医学博士の肩書を持つ鍼灸師。とっ散らかった治療室で治療してもらいましたが、劇的と言って良いほど症状は好転しました。「気に入ったら週に一度くらいいらっしゃい」とおっしゃるので、来週早々にまた伺います。治療費を尋ねると、信じられない程の金額。もちろん、安い!

 そんな事があって夕べ、二ヶ月ぶりくらいに、ちゃんと睡眠が取れた感じがします。その分、無い頭が少し回るようになったようで、ブログも書く気になった。

 二ヶ月は、今の私にとってはとても長い時間で、昨年の1月29日の検査で新しい病が発見されて、普通なら生きて年越し出来るはずもなかったからです。針治療の先生には正直に申し上げたのですが、文字通り目が点になって、少し考え込んでいた様子でした。何故私が生きているのかが不思議らしく、どんな治療をしているのかとお訪ねだった。お話しすると、納得なさったようだ。その病に影響がないように治療をして下さった。これも出逢いか。 

 昨年の検査で医師から余命も告げられました。「一年生きたら宝くじがあったようなものだと思ってください」とも言われた。それは、他の病院の専門医にも同じことを言われました。ちょうど一年生きましたから、宝くじが当たったようなものだ。

 なぜ生きているのか、皆さん色々おっしゃってくださいますが、もちろん、痛みと同じように漢方の星野先生のお陰だけれど、私は「神が死なせてくれないのだ」と思っています。まあ、生きている内は、生かされている役割を果たそうとは思います。

 旧正月を迎え、明日の節分を前にして、年頭所感なり。

2020年1月 1日 (水)

新年快樂

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

2019年11月29日 (金)

お相撲の事(日馬富士と朝青龍のことから)

 昨日、モンゴルと、それも白鵬の父上と親しいという方が工房にお見えになった。そこで暫しお相撲のことなどを。

 10年ほど前、朝青龍が相撲を辞めさせられました。そして2017年の11月には、日馬富士も辞めさせられた。その時、相撲協会の八角理事長は記者会見で・・・

 《日馬富士は、肉体と精神の力を振り絞って、長年にわたり土俵を務めてくれました。とくに本年の9月場所では、3横綱が次々と休場する中、一人横綱として土俵を守り、優勝を果たしました。その日馬富士が、このような形で土俵を去ることは、日本相撲協会としましても大変な損失であり、非常に残念です。》

 こう述べた。横綱は横綱を知るという事か。

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日馬富士

 一方世評は、モンゴル出身力士たちの集まりを糾弾した。「集まるな!」と。

 今の相撲界の隆盛の基礎を作った春日野親方(元横綱栃錦)は、横綱の孤独を語っています。横綱の地位というものは、横綱でなければわからない事があるという。
 幸い栃錦は、同時代に吉葉山、千代の山、鏡里など、弱くて問題はあったけれど仲間がいたから、彼らと人知れず会って、孤独を癒していたと言います。
 
 《晴れがましくはなやかに見える横綱も、内心はつねに緊張感をもちつづけて孤独なもの、そういう機微がかようのは横綱同士だけなので、話も大いにはずんで、ずいぶんにぎやかな会になったものです》と語っています(昭和36年中央公論社発行「栃錦一代」)。

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 同じように、故郷を離れ、異国で相撲を取っていたモンゴル人たちの孤独もあったに違いない。彼らの集まりを糾弾する人たちは、そこに思いを馳せることもしない。朝青龍は高校生の時に来日し、記者会見でも「水も違う、言葉も違う」と語っていましたが、異国での生活の孤独はいかばかりかと思います。たまたま、私の業界の後輩が横綱の相談相手でしたが、そんな孤独を語っておりました。

 さて朝青龍は、長年一人横綱を張ってきた。栃錦の言葉を当てはめれば、その孤独は想像を絶する。だからこそ彼は、日馬富士に同情を寄せるのだと私は思う。その朝青龍もまた、引退を余儀なくされた。若干29歳の時(それを「神」というのは安易で勝手です)。

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朝青龍と日馬富士(夕刊フジから)

 それにしても現代の日本人は四角四面で粋じゃない。粋な日本人は、広い心をもって相撲を楽しんだ。つまりは、今の人たちは野暮だってことです。

 そもそも彼らは相撲を勘違いしている。元横綱貴乃花は、国技だ相撲道だなんて言ったけれど、相撲はそんなきれいなものじゃない。「土俵に金が落ちている」というのが、相撲取りのモチベーションだったのはつい最近のことだし、谷町なんて云うのがいて、相撲取りは、ある意味でたかり集団でもある。ある意味興行の世界。その善悪を問うたところでしかないこと。そういう世界なんですから。

 双葉山の連勝記録が話題になった。いや、今でもなっている。それを聞いた元横綱太刀山は、「こんなに連勝が話題になるのなら、負けてやらなければよかった」と言った。56連勝の次の取り組みを八百長(それも酒をもらっただけ)で負け、それから43連勝。負けてなければ100連勝だったんです。

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太刀山

 ちなみに太刀山は、横綱になってから3敗しかしていない。たぶん、史上最強の横綱です。それを破った一人、横綱栃木山は栃木県出身。頭が剥げてきて髷が結えなくなって引退(諸説あり)。つまり強いまま引退。引退後の明治神宮での奉納相撲大会で優勝したほどに強かった(昔の相撲は、逸話がいっぱいあって面白い)。

 弱い方で云えば、大砲(おおづつ)という横綱は、「横綱は負けちゃいけない」と言われて、3年6場所で7勝3敗1預25引分だった。25の引き分けでも許されたわけです、引き分けをうまい具合に使ったのも相撲。それはメンツの問題。

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大砲(おおづつ)

 昔の日本人は、相撲はそんなものだと知って粋に許し、相撲を楽しんだ。
 相撲も人間社会も、四角四面の正義を振りかざしてばかりいるつまらないものになりました。

2019年11月21日 (木)

見習う事

 今、微生物を研究している人達が遠くからいらっしゃいました。藍染は微生物の世界。藍は染料ではない。これを理解しないと本来の藍染が理解できない。染料と考える人は藍染の本質を外します。
 
 私の話を聞かなければ理解できない事だから、遠くからいらっしゃったわけだけれど、私は微生物の世界を言語化して説明できるまで修行をした。私の発する言葉には、年季が入っているのです。

 2008年に書いた記事の中で、私はこう書いている。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

NHKで「新日本紀行」をやっていました。
山形県は天童の、将棋の駒作りの職人が出てきた。
漆を使った手描きの人は、もう二人しかいないという。
35才の男性がそれを継ごうと修行を始め、弟子に入った。
師匠以外の、もう一人の手描き職人の仕事を見学に行くという設定が出てきた。

その弟子が、もう一人の職人に漆について何か質問すると、「あのね、説明できない。漆というのは毎日違うから」と答えていらした。
修行を重ねて、感じるしかないと言うことらしい。
藍染も同じです。

こういう事が、分析に頼る現代では解り難い事なのでしょう。

何でも、言葉や数字で説明できると思っている。
だから、気楽に質問をする。
答えがあると思うから、質問できるんです。
答えがないと解るのも、修行を重ねてのこと。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 漆の職人が質問に、「説明できない」と語ったのはその通りでしょう。職人仕事はそういうもので、だから「見習う」ことが必要だった。
 
 「見習う」とは読んで字のごとく、見て習う事。職人仕事を言語化することの困難がそこにある。仕事を言葉で説明できないのです。だから弟子は師匠の仕事を見習い、修行をした。世阿弥は「學」と書いて「まねぶ」、つまりマネをするとしています。
 
 正藍染に関しては、そんなことをしていたら滅びる。私の生命も覚束ない。だから私は、仕事を言葉にする修行をしました。そこに「藍建て講習会」が成立しているのです。
 
 生徒と弟子だけは、分かってくれるだろうと思っています。

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講習会を始める前
私の修行のために藍建て講習会をした。
彼らはいわば、0期生。
もちろん、無料でした。

2019年11月20日 (水)

読書の楽しみ

 某大学の教授に「大川さんは読書家だから」と言われながらご著書を頂いたことがある。読書家かどうかは人の評価だから何とも言えませんが、その気が無いとも言えません。教授も我が家にいらして私の読んでいる本をご覧になっていますし、本の始末に困る程ではある。

 さて、年を取ると読む物も変わる。新しいのは読めなくなり、古いものばかり。小説も然りで、坂口安吾、志賀直哉なんぞを読み、今、堀辰雄を紐解き始めた。

 凡そは随筆を徒然なるままに読むのが一番。自分に合わないものは無理して読みませんが。紹介したように、寺田虎彦なんてのを読んでいる。

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 そんな中、古典ほど私を楽しませてくれるものはありません。やはり、随筆が良い。徒然草や枕草子や方丈記やらなんやらを、それこそ徒然なるがままに読む。人生を何度も生きたような気になるのが、病持ちには堪らなくありがたいことなのです。

 「海舟語録」というのを読みだしました。言わずと知れた勝海舟の語録ですが、「氷川清話」と比べても面白い。並行してもう一冊「一外交官の見た明治維新」。こちらはアーネスト・サトウの書いたもの。これも、幕末から明治維新を知る手立てになるでしょう。

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 読書はボチボチです。あっちを読みこっちを読みながら。それで良いのだと、本居宣長先生は書いていますし、正宗白鳥の読書法もそうだったらしいし。

 なんにつけても、ボチボチだ。

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