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日記・コラム・つぶやき

2018年12月17日 (月)

色と美と感動

 今日は「感動」と言う話を講習生にした。教えたのではない。色彩の「美」と「心の動き」について、私の考えを話しただけだ。そこには、藍染の色も、いわゆる草木染の色も含まれるはずだと。

 「感動」が人を変える力を持つことは、藍染めに関わった経験が教えてくれる。それは、工芸や芸術の存在する意味と言えるものでは無いか。意味も無ければ、人類はそういう物を継承していないだろうし追及もしてこなかったろう。では、その心の動きを分析で分かることが出来るのだろうか。その量を測ることが出来るだろうか。そこに、心理学という科学の問題があるように私は思って来た。

 その辺りを深く考察しているのが小林秀雄だ。彼はこう述べている。

 《心理学が非常に発達し、その自負するところに従えば、人心の無意識の暗い世界も次々に明るみに致される様子であるが、だが、そういう探求が、人心に関する私たちの根本的な生活態度を変えるはずがない。変えるような力は、心理学の仮説に、あろうとも思えない。私達は、人の心はわからぬもの、と永遠に繰返すであろう。》

 そして、「何故か。」と続くのだが、私も経験からそう思う。
 そこで小林は、こう続ける。

 《未経験者は措くとして、人の心はわからぬものという経験者の感慨は、努力次第で、いずれわかる時も来るというような、楽天的な、曖昧な意を含んでいない。》

 人間の世界に「色」があり、「美しい色」があり、そこに「美」という普遍性があるから感動するのではないか。藍染めも草木染めも然りと、私は思う。そう言う話しをした。

  色には美しくないものもある。汚い色もあるはずだ。人はそれに、感動することがあるのだろうか。もしあるとして、その感動とは何なのか。それを心理学でわかり計ることが出来るとは、私の経験は、ないという。では現在、汚い色を美しいと言い、感動したともいう人たちがいるとして、それは何故だというのだろうか。

2018年12月 2日 (日)

日本の森林の管理

 明治の初め、日本に国力はなく、容易に西欧列強の植民地化の動きに飲み込まれる恐れがある頃、内村鑑三は「山に木を植えよ」と言った。人口3千万人の江戸時代から、明治に入って人口を増やし、そのエネルギー源を賄わなければならなかった。
 昭和になると大東亜戦争が起こり、日本はエネルギー不足となる。そこで、木を植えるべき山の木を切って補った。
 
 終戦後、日本は物不足となり、エネルギー源として、建材などの材木としての木が不足した。そこで、山に速成の杉の木を植えて対応した。その内、広葉樹林の伐採跡地等への針葉樹の植栽を「拡大造林」という。これらの造林は、主に森林所有者など自らによって、公共事業(造林関係補助事業)として実施された(林野庁)。
 その結果としての今日、山林を見れば杉ばかり。特に紅葉の季節はそれがはっきりする。

20181128122946            工房の近くにあるダムの山々。杉の緑の中に、わずかに広葉樹がある。
  
 広葉樹林帯には、落ち葉の体積による腐葉土が作られ、山は水をためる天然のダムを形成してきた。
 腐葉土は、微生物の力を借りて醗酵をしている。その微生物だけが、鉄分を水溶性に変え、それを含んだ水を河川に注ぐ。
 その水は海の湾に流れ込み、鉄分は海藻を育て、海藻はプランクトンを育て、それを食べに小さな魚が繁殖し、又それを食べに中型の魚が、大型の魚が住む様になり、貝などの生き物も繁殖して豊かな海を形成してきたのが日本。貝塚や漁業林などの存在がそれを物語っている。
   
 その広葉樹林帯に「拡大造林」として速成の杉の木が植えられ、腐葉土は無くなり、森は水をためる力を失い、大雨が降るとそのまま河川に水が入り、度々洪水の被害が起こるようになった。
 腐葉土がない為に山の水に鉄分が含まれなくなり、海は豊かさを失い、日本の海は磯焼けさえ起こしている。
 
 明治時代、内村鑑三は「木を植えろ」と言ったが、今は木を切らねばならない。伐採して森林の植生を変えなければ、洪水の被害は続き、海も豊かにならない。自明の理のようだが、これがなかなかに難しい。
 
 第一に、日本人が木を使わなくなった。建材などに使ったとしても、安い外材に頼り、日本の木は、切れば切るほど赤字になるから切らないし使わない。木を燃やしてエネルギー源にすることもない。藍染も木灰を使わずに苛性ソーダや石灰に頼る。植物染めは金属などの媒染材だ。
 次に、木を切って山の整備をしようとしても、持ち主が遠方だったり分からないことがある。日本は独裁国家ではないから、そういう山の木は、持ち主の承諾なしでは伐りたくても切れない。だから、山は荒れ果てたままに放置されてきた。
 
20181128123015                        ダムの上流も同じ。
 
 今年の4月、「森林経営管理法」が施行され、上記した問題が少し改善されるようになった。山や木々と親しく接していれば、この法律が有意義だとわかる。しかし、中には「日本の山が丸裸にされる」だのなんだのと、良く知りもせずに語る人達も見えるが、私は、良い兆しが見えてきたと思っている。
 
 この法律を施行するための予算付けが、来年から始まる。私も長年温めてきた構想を、それによって実現してみたいと思っている。木こりなど林業に携わるスタッフも揃い、事業計画を書くまでになってきた。簡単に言えば、山の掃除だ。木を伐り、木を燃やし、灰を使う藍染は、その役割を少し担うことが出来るのだ。
 
 
  
 追記
 腐葉土の微生物が、鉄分を水溶性にするという働きに着目した新日本製鉄が、「鉄を利用した海の森づくり」をしています。腐葉土により鉄分を海に供給することによって、海を再生しようという試みです。
 <鉄を利用した海の森づくり>
http://www.nssmc.com/csr/env/circulation/sea.html
 
<新日鉄の海の森づくり>
http://www.nssmc.com/company/publications/monthly-nsc/pdf/2010_11_203_03_06.pdf

2018年11月30日 (金)

近況雑感

 妹とその亭主が久しぶりに来て、色々あった我が家の昔話を語ると、二人は何も知らないという。そこで少し話をしたが、自分の人生を振り返ってみると、まあ、色々あることあること。

 私は19才の頃から歌を歌っていたけれど、それは米軍基地内のクラブのショーでだった。グアムに行ってくれと言われて小さな島の基地すべてを回り、退役黒人兵におんぼろのキャデラックのオープンで、当時観光地化もされていなかった島中を案内してもらったこともある。
 
 私には妙な予知能力のようなものがあると言う話は以前書いたけれど、その時、日本兵が島に住んでいて出て来るなと、島内をドライブしながら何故か思った。
 
 

親父に「グアムには日本兵が隠れている気がする」と語ったのは帰って来たその年の暮れ。年が明けたら、私の予見通りに横井庄一さんが出てきた。
 
 
親父が「お前が言ったとおりだったなぁ」と驚いていたけれど、そのおやじの死について、今日は妹夫婦に少し話が出来た。

 
驚いた様子だったけれど、我々も老人だ。知っても良いだろう。

2018年11月29日 (木)

寄付集めの広告

 インターネットを覗くと、またぞろ寄付集めの広告を見る。なんで広告を打つのか、その神経が私には理解できない。

 私のボランティアの始まりは、青少年赤十字団(JRC)に入団して、高校の時に団議長などを務めたことに始まる。そんなことは偉いことじゃなくて勝手な事だけれど、それ以来色々やった。

 やらなかったことはただ一つ、お金集め。赤い羽根を含めて寄付を募ること。理由は、使い道が明確でないことに他人様の金を集められないというただ一点。金を使えないなら別のことをすればいいのだから、色々やった。

 広告を打つには制作費やらなにやらと経費が掛かる。ホームページの制作だって同じ。それをボランティアですれば全てが寄付に回る。ボランティアや人を救うための寄付集めなら、そうするのが当たり前だと私は思う。経費が掛かるなら節約する。例えば事務所を持たなければならないなら、金のなるべくかからないところにする。ちっちゃなアパートの一室で何が悪い。港区青山のビルを借りるなんてのは以ての外だ。

 寄付をするのは勝手で自己責任だから、するなと云うわけじゃない。しかし、人に勧めるものじゃない。それが、私が言いたいこと。

 私は広告代理店のようなこともやったからよくわかるが、寄付金で広告費が出るなんてのはおいしい仕事。そんなことに他人様の善意を利用することは、私には出来ません。

 という、長い独り言なり。

 
 追伸
 私はJRCだったけれど、日本赤十字の寄付金対応は素晴らしいと思う。そのかわり、ホームページの報告もそっけないほど金が掛かっていない。それでいいのだ。

<義援金は ”全額” 被災された方々へ>
http://www.jrc.or.jp/contribute/gienkin/?fbclid=IwAR2tEz92y4uvk5_H8bq14x1LkQOmYYJVUjWzwFfd90xB0HBsLPQNz0TFZKM

2018年11月25日 (日)

足利のソースカツ重

 最近、大腸の調子が劇的に良くなってきたと思い込んだ。そこで、横浜の「揚子江」には行けなくとも、足利なら良いだろうと、お昼を食べに、息子と二人で出張ってきた。
 

 場所は「きよ水」。通り2丁目、足利のど真ん中。

 

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 ソースかつ丼と言えば桐生の「志多美屋」で、それも「相生支店」が良いと私が言ったら、わざわざ相生に行った友人が、「私は足利の『きよ水』の方が合う」とFBに書いたので、いつか行こうと思っていた小料理屋さん。いかにも足利らしい、落ち着いた良い雰囲気のお店。
 入った途端に、「ソースカツ重がお勧めですよ」と女将さん。こちらも直ぐに、「それをお願いします」ととんとん拍子。


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  感想を云へば、美味かったなぁ。

 肉(ヒレ)も良し、上げ具合もこれ以上は無いというほどにカラッと揚げられて、ご飯も炊きたてで、お味噌汁はしっかりと出汁がとられていて三つ葉も良い香りで、漬物はぬか漬けの上物で、その上に素晴らしいのはお茶が美味しかった。ただ、ソースが少し甘い。それが良いという人が多いらしいけれど、それは好みの問題ですから、云う事なしの美味しいカツ重でした。吉谷さん。

 さて帰り道、足利に行って食事をとるのは無理だという事態になって、苦しみながら帰宅。それから今まで苦しんだ。夜になってもう大丈夫だけれど、まだ早かったな。もう少しだな。

2018年11月20日 (火)

淡路島の弟子と「芭蕉」と

 淡路島で、藍草の栽培、すくもづくり、藍建て(本建て)、藍染め(正藍染め)を一貫してしている五期生の根岸君が来工。私の元気そうな様子を喜んでくれた。

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 五期は、昨年の4月の終わり、手術直後に開催された。癌のステージ4と言われ、死ぬ覚悟で臨んだ講習会でしたから、他の講習会とは趣が異なります。私の言葉は、いわば遺言だった。

 小さな染め場にマイクを持ち込まなければ、私の声は聞こえなかったくらいに弱弱しく、終始車椅子にすわり、疲れると2階で休むという体たらく。体重は46㎏で骨川筋衛門。生気もなく、死相が現れていただろうと思う。

 講習会の最後に、私は力を振り絞って講話をした。内容は今と変わらないだろうけれど、そんな状態で遺言をしているようなものだったから、みんな泣いていました。
 あれから1年半経って、ちゃんと話せる私を初めて見て、「あぁ、先生はこんな声をしているんだなぁ」と思ったらしい。無理もない。

 2期生の齋藤さんが付き合ってくれたけれど、話の流れで桐生市の「芭蕉」というレストランで夕食。



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 その雰囲気はクリエイターにはたまらないもの。フルーティストの赤木りえを連れて行ったときは「1日中ここで作曲していたい」と言わしめた。デニムの齋藤さんも、相当刺激を受けたことだろう。

 5期生の皆さん、私はこんなに元気になりました。

2018年8月 3日 (金)

天職

 《天職という言葉がある。若し天という言葉を、自分の職業に対していよいよ深まって行く意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。今日天職という様な言葉がもはや陳腐に聞こえるのは、今日では様々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を身附けることが大変困難になったので、多くの人が職業のなかに人間の目的を発見する事を諦めて了ったからです。これは悲しむべき事であります。》小林秀雄 昭和24年10月「私の人生観」
 
 私の生まれる前の年の小林秀雄の講演の中の言葉だけれど、この頃から「人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を身附けることが大変困難」になっていたとすれば、やはり悲しむべき事。これは、今に続く戦後問題だろう。
 
 昨日入らしたお客様にもお話ししたこと。
 
 小林秀雄は「職業を探求していると、職業の秘密が現れてくる。それは公開したくないというものではなく、公開が不可能なもの、人には通じようもないもの」と語っています。小林はそれを「あらゆる専門家の特権」と言い、「生きる流儀の感得」だと語る。その上で「天職」を語った。
  
 藍染めについて沢山語ったけれど、こういうこともあるのだとご承知おきください、ということだったんだろうと思う。

2018年7月 3日 (火)

サッカーW杯

 本田と山口の選手交代は、負けに行ったようなものだとは終わってすぐに書いたけれど、カペッロがこんなことを言っている。

《「私が日本代表監督なら、本田の首根っこに掴みかかって怒っていただろう。もうすぐ94分(で延長戦間近だった)。本田がコーナーキックを蹴ると、そのままクルトワがキャッチして数秒後にはカウンターアタックに移った。彼はボールをキープしてホイッスルを待たなければならなかった。純粋に無責任だ」と本田のコーナーキックを糾弾した。》と。

 全くおっしゃる通り。

 コーナーキックを取ったフリーキックも直接狙ったもの。ゴールキーパの質を考えれば、無茶な事だったけれど、彼は自分のことしか考えていない。そんな選手のいるチームに、勝利の女神がほほ笑むはずもない。

 日本のサッカーメディアやサッカーファンやサポーターには、こういう当たり前の視点が欠けている。

 本田投入は、4年前のブラジルワールドカップの失敗を再現しただけだ。それを「良くやった」だの「惜しかった」だの「感動した」だの言っているから、日本のサッカーは向上しない。

 本田は、この敗戦の戦犯。彼を試合に出場させた監督も同じです。

 悔しがっている選手たちの身になれば、この二人は許せるはずはないけれど、日本人はそれに気が付かず、気が付いても言えず、また、低迷して行くのだろうか。

 不幸中の幸いは、本田が日本代表を去るだろうという事。これだけだ。

2018年7月 1日 (日)

日本のサッカー雑感 その3

 1968年、日本は厳しい予選を勝ち抜き、メキシコオリンピックに出場した。この動画の日韓戦だけでなく、フィリピン戦などは、エース杉山は左腕を痛めて包帯で釣りながら決勝点を挙げた。

 メキシコオリンピック サッカー一次リーグ

 日本のグループBは、ナイジェリア、ブラジル、スペインという強豪国揃いの中、予選を突破。

 準々決勝はフランスに勝ち、準決勝はハンガリーに破れ、最後は地元メキシコと三位決定戦に臨んだ。

 日本優勢の中、終了近くになると、日本の健闘を称え、地元メキシコの観衆が皆日本を応援しだした。今でもある「ニッポン チャチャチャ」という手拍子は、この時のメキシコ人の応援から始まった。

 結果はメキシコに勝ち、堂々の銅メダル獲得。そして、この時から始まった最初のフェアープレー賞も日本が獲得した。

 「君たちのやったことの結果が出たのだ。メダルとかそういうことじゃない。やったことの結果が出たんだ。だから銅を取れた。」と言われたと、7点を取って得点王になった釜本は言う。

 選手達は表彰式後、宿舎に帰ると、体を震わせ高熱を発して全員倒れてしまった。クラマーはそれを「サムライを見た」といった。体力と精神力を使い果たしていたのだ。

 だから、日本代表はサムライと呼ばれる。
 日本代表の「サムライ」とは、こういうことを言うのだ。

2018年6月30日 (土)

日本のサッカー 雑感その2

 「過去を知らないで、何故未来を語ることが出来るのか。そう若い人たちに言いたい」トニー・ベネット

【日本のサッカー 雑感その2】

 本来の日本サッカーの曙は、戦前のベルリンオリンピックで優勝候補のスウェーデンを破ったことだった。これで日本のサッカー文化が始まると思った矢先に、戦争がはじまり、予定されていた東京オリンピックは中止された。 
 再び日本でサッカーが思い起こされるには、戦後の東京オリンピックまで待たなければならなかったという長い道のりがある。

 そしてメキシコオリンピックで銅メダルを取るという偉業がなされた。

 何故日本サッカーが今に生き延びてきたか。勿論、サッカーに携わった人々の熱意があったからだろうが、何故彼らに熱意があったかと言えば、ベルリンオリンピックの選手たちの奮闘や努力があって、そこに感動があったからに違いない。

 日本人は過去を振り返って生きてきたが、現代の日本人は振り返ろうともしない。だから、今、何故サッカーが日本にあるかということも知らない。そこに、数々の感動があったことも。

 事やモノにある大切なことは何か?
 「大切な事」とは、万物に通じるものだと私は思う。子育てにも、もちろん藍染めにも、サッカーにも、諸々にだ。

 対ポーランド戦の戦い方が罪深いのは、この「大切なこと」を失ったことだ。日本に今サッカーがあるという理由、先人たちの築いてきた歴史を、感動を失ったことだ。それこそ「大切な事」ではないか。

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