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経済・政治・国際

2015年7月 8日 (水)

祖父の市長選

 祖父は昭和30年、足利市長選挙に立候補しました。私が4歳の時で、これが選挙初体験。
 家族が選挙戦に夢中で、私が行方不明になったと大騒ぎをしたらしいけれど、その時の私の記憶に残る風景は、織姫神社の鳥居と逆さ川と足利市は西宮の風景。

 この選挙は妙で、対立候補の木村浅七氏(名誉市民・名市長として名高い)の選挙事務所には、英三の長兄で、地元自民党の大立者だった元県議会議長の大川信介が陣取り、片や英三の事務所には、父仁の友人だった木村浅七氏のご子息が毎日来ていたというものだし、そもそも木村さんと英三も仲が良かった。

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 当時を知る人は、「面白い選挙だった」と今でも言いますが、投票率も91.45%と、その成果が表れています。いろいろと思惑のあった選挙だと聞いていますが、これを機に、社会党の国会議員も生まれ、父も市議会議員となった。

 ちなみに自民党の木村さんも社会党の英三も、この選挙は共に無所属候補でした。木村さんは、このほかの選挙は自民党からの立候補です。

 この選挙を機に、祖父は故郷小俣町に帰り、トーションレースを創業することになります。

 

2013年11月27日 (水)

「さのまる」の経済効果

 ゆるキャラグランプリで「さのまる」が日本一になった話は書きました。

 第二位は浜松市の「出世大名家康くん」だった。
 そして私は浜松市に居た。
 
 浜松では、「出世大名家康くん」が日本一になった時の経済効果を、嘘か真かしらねども、800億円と見込んでいたといいます。
 政令指定都市の大きな町ですから、そういうこともあるのかもしれません。ですから、かなりショックの様子が見えます。
 
 それほどに経済効果があるのなら、「さのまる」も狙わない手はありません。
 そういう計画はあるのでしょうか。
 
 
 
 ゆるキャラといえば「くまもん」です。
 どこへ行っても人気者らしい。
 熊本空港を降りると、くまモンの旗がたなびき、くまモンのホームページまであるしグッズも売られている。
 
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 くまモンは、グッズを作るのは自由だそうです。
 ホームページへも、申請があれば載せてくれるのだそうな。
 
 我々の世界では、九州展などの物産展が百貨店で開かれると、くまモンが現れて大人気らしい。つまりは行動力もある。そして、仕草がかわいいと皆さんおっしゃる。それがまた、人気なのだとか。

 私には理解できませんが、家内たち女性群は、私が「さのまる」は嫌いだというと「あら!?かわいいじゃないのよ」と責める。
 もちろん私は言い負かされますが、それならば利用しない手はないと思いますが、もう手立ては出来ているのだと思いますけどね。

2013年5月23日 (木)

名古屋三越「夏の職人展」2日目 株価のお話し

株価が上がり、その為か景気が良くなる兆候を浜松で感じましてね、そうしたら隣の「なるみ」が、「名古屋はもっと良いですよ」と体験から話してくれました。

トヨタの牙城ですから「そりゃそうだろう」と少し期待して参りましたが、初日はイマイチの感じ。

2日目の今日は、鳴海の言葉を実感させていただいた良い日となりました。

これが続くと良いな!っと思ったら、株価が急落というニュースが入ってきた。

それでも1万4千円台ですから、立派なものです。

何が原因かを語る術を私は持ちませんが、「中国の景況感、悪化鮮明 製造業指数50割る」なんて言うニュースもその一つだろうという話しもある。

これが民主党政権時代だったらと思うと、寒気がします。

 
さて、私は株をやりません。

性に合わないのと、その原資を持たないことが大きな理由。 
 
興味はあるので、株価の変動は見ておりますが、こんな急落があるとやって無くて良かったと思うし、上がればやっていれば良かったと思う。
 
 
こういうこと(株価急落)は、時折あるらしい。

株価暴落のメカニズム」なんていう記事を見つけましたが、それに寄れば、「株価暴落があった時、急速に株価が下がった所が、前後での株価最安値であることがしばしばです。リーマン・ショックの場合には翌年3月に2番底を経験していますが、仮に1番底付近で株を買ったとしても、中長期で持てば大きく儲かったでしょう」とある。

「へぇー、そんなものかね」という感想ですが、ちょいと株価を注視してみようかと思います。
 
 
書いたように中国の景気が原因の一つだという話しもありますが、私は以前から、かの国の景気は当てにならないと思っておりますので、こんなもんだろうと思う。

それに対応する政策を政府には期待していますが、安倍政権で良かったとつくづく思いますね。
 
 

2013年4月22日 (月)

役人と政治家の役割 そして認識 と云うお話し。

今日は疲れて身体が動きませんので、午前中はお休み。
 
午後は、足利に行ったり市役所に行ったり来客があったりで、忙しく働かせていただきました。
 
 
きのう、弟子の山田君に、政治と行政の話しをしました。
 
「お役人は能動的に動こうとせず、責任も取ろうとしないものだ」と言ったら、「それは困りますねぇ」と言うから、「違うよ」と。
 
「善悪で捉えるから良いの悪いのと云う話しになる。お役人はそういう物だという認識が、我々には必要なんだぞ」と。
 
「お役人はそういう物だと認識すれば、どう動かしたら良いかが解る。だから政治家が必要なんだ。政治家は辞めることが出来るが、お役人は一生涯役所で働きたいだろ。だから、政治家が責任を取って役人を使うようにするんだ。それが政治家の役割だ。何か政策を実行しようとするとき、政治家が責任を取る姿勢をしっかりと示せば、役人は意気に感じて働いてくれる物だ」と。
 
 
そして午後、ある政治家とお会いしましたので、同じ事を語らせていただいたら、「その通りです」とおっしゃった。

こういう政治家は信用できます。
 
そして、これからの農林業について、エネルギー問題・環境問題について熱く語り合いました。
 
別れ際に、「私はお役に立ちたいと思っています」と言ってくださった。
 
 
私も大人になりましたので、一市民として、地元にお役に立てるように、少し動こうと思います。

2012年11月22日 (木)

世相雑感

最近の百貨店の売り上げは、全体的によろしくないというニュースがありますが、それは、何処も同じ秋の夕暮れだ。

日本経済新聞にも「10月の百貨店売上高、6カ月連続減少 前半に冬物衣料が苦戦」という記事が出ています。

 
この不況は、リーマンショック以来長い。

私は政治不況だと思っておりまして、つまりは民主党不況だと。

我々零細企業には切実ですが、何せ規模も声も小さいですから、政府に届くわけもなく、歯がゆい思いをしておりました。

先の総選挙の時、「民主党を選ぶことは、不況と混乱を選ぶことだ」と、既に来店客数が減りだした百貨店で仲間に熱弁を振るったものですが、これまた力及ばずだった。

 
リーマンショックで株価は一時、7千円台前半まで落ち込んだ。

麻生さんは、矢継ぎ早の経済政策で、それを直ぐに1万円台に戻したことなど、国民は理解しようともせず、今はお忘れでしょうね。

麻生首相は当時、「この不況は100年に一度。全治3年」と云っておりましたが、彼が政権をそのまま担っていれば、今頃は不況から脱出していたでありましょうが、死んだ子の歳を数えるほどに虚しいことだ。


ようやく解散総選挙となりました。

政治不況、つまり民主党不況からようやく脱出する機会が訪れた。

 
私は仲間内に、「解散と同時に円安・株高に向かい、総選挙で安倍政権が実現すれば、今の不況から180°変わって景気が良くなる」と、予言をしております。

安倍さんは、復活の兆しもない頃から金融緩和を主張し続けてきたことを私は知っていましたので、そのわけも説明しましたが、その通りになりつつあります。


民主党政権は、反安倍・麻生・自民という、当時の空気を作り出したマスコミに影響された国民によって作られたものですから、責任は民主党にあるわけではなく、国民にあります。

安倍さんの金融緩和発言に、そのマスコミと与党民主党が反発している。

彼らの云うとおりにして、この不況と混乱があるのですから、今度は逆の選択を国民にはしていただきたいけれど、果たしてどうなりますことやら。

2011年12月22日 (木)

電力料金値上げ

どうも時事ネタで恐縮ですが、東京電力が2012年4月から工場やオフィスなど電力の大口契約者向けの電気料金を値上げすると発表したらしい。
「対象は契約電力50キロ・ワット以上の約24万件で、東電の販売電力量の約6割を占める。値上げ幅は1月に決めるが、約2割となる見通しだ。東電による電気料金の本格値上げは、石油危機後の1980年以来」(読売23日)ということです。
 

福島原発事故による被害補償は、遅れていたり少なかったりで十分ではないようです。

茨城の石原さんの会社への保証は、8万円だった。

「酷い」という印象だけれど、東電には力がない。
 
 
11月には、原子力損害賠償法に基づく国の補償金1200億円と支援機構を通じた約8900億円の計約1兆円の資金援助が認められたその上に、12月になって「東京電力が政府に対し、福島第一原子力発電所事故の賠償金支払いのために6000億円規模の追加支援を年内に要請する方向で調整に入った」(読売23日)という。

つまりは、こんな力しかない東電に、事故の補償を国と国民はさせていると言うことです。

国が率先して賠償を請け負えば、被災者や被害者はもっと救われるでしょうに、世論もみな、東電タタキばかりだ。

 
世界は金融危機の真っ直中で、日本も不況だ。

そこに、電力料金の値上げと増税が重なる。

重税と経費増で、企業が海外に逃げ出せば雇用が減る。

雇用が減れば消費が減る。

その上に、年金問題があるわけで、日本はどうなるというのか。

 
今更ながら、この政府を選んだ国民には、猛省を促したい。


2011年12月19日 (月)

金正日死す。

金正日死亡のニュースは、ちょっと驚いた。
 

 

朝鮮半島は、何世紀もの間超極貧の国だった。

 

だから、西郷隆盛は心配したわけで、日本にとってはのど元のナイフの様な国だから、西欧列強に犯されれば日本が危うくなる。

 

特に北朝鮮が少し豊かだったのは、日本の植民地時代くらいなもの。

 

北朝鮮の人々にとっては、貧しいことが常態だから、たぶん東欧やアラブ諸国のような革命的な変化は望むべくもないだろう。

 

 
朝鮮は、職人を大切にしない。つまり、物づくりの国ではない。

 

だから、百済の昔から、工人は日本に逃げて来た。

 

日本は職人を大切にする、物づくりの国。

 

ここがかの国との決定的な違い。

 

 
では、朝鮮半島で大切にされたのはだれかと言えば、役人と軍人と警察。

 

典型的な、律令国家としての歴史だ。
 
だから今でも、儒教が生きる。

 

日本に儒教はなく、儒学が栄えた。

 

孔子廟がどこにあるか。

 

足利と長崎と湯島にと、数えるほどだ。

 

 
日本にも、律令制度を取り入れた時代があった。

 

しかし聖徳太子は、「和らぎを持って貴しとなせ」と説き、法家の思想を取り入れなかった。

 

だから、朝鮮半島のような警察国家になることは決してなかった。
 

 

そして言葉も、漢字だけに頼らず、独自にカナを発明。

 

かの国はどうかと言えば、ハングルの発明は遅い。

 

そして、今のようにハングルが庶民に広まったのは、極々最近のことだけれど、そんなことは歴史の話題にもなっていないだろう。
 

 

変わらなくては、あの国民の貧しさは救えない。

 

だが、変えようとする力は、国民にない。

 

そう思うけれど、さて、如何に。

2011年11月28日 (月)

「国想い 夢紡ぎ」

元北朝鮮拉致問題担当大臣の中山恭子参議院議員から、著書が送られて参りました。

国想い 夢紡ぎ
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帯には「文化のプラットホーム 日本 世界中の文化が輝き、あふれ、交流する『場』を目指して」とあります。

 
中山先生は、我々伝統工芸に携わる者を大切にしてくださる。それは、故中川昭一さんも同じだった。

笑顔も話し方も姿形も美しい方。そして、オーラが凄い。

私は神秘主義者じゃありませんから、美輪明宏さんの言うようなものじゃないけれど、オーラというのは存在感と言っても良いかと想います。

最初、目の前に立たれたときは、何事が起こったのかと想ったくらいですから。

まあ、元々ファンだったというのもありましょうね。

家内から、旅先の私のところに送られてきて、一気に読了いたしました。


ここには、我々伝統工芸に携わる者にとっては、「夢」が書いてあります。

それを政治家が政策提言として書いているわけですから、実現性のある「希望」となる。

これほどの理解者は、得難い存在だと感じました。

 
「仕事が解らなくなったら、答えは歴史に聞く」とは、天命鋳物の若林さんとの共感ですが、多分、伝統工芸と正直に携わっている人達には共通することだろうと想う。

私は、古代の人とでも、藍染という共通体験によって会話が出来ます。

しかし、文明に毒された化学建ての藍染をしている人達は、出来ません。何故なら、共通の体験を持たないからです。カセーソーダだ還元剤だなどと言ったところで、昔の人達は存在すら知りませんからね。

それは、言葉の問題にもある。

現在は、歴史の中の人々と語りあえるような教育をしておりません。

日本の一大特徴は、歴史を振り返る文化を持っていたことだし、そのために、教育が充実していた。

だからこそ、植民地にもならず、西欧から見れば極東の小さな小さな島国が、世界に冠たる大国になり得たのでしょう。

 
しかし、戦後の日本は、経済成長だけを目指し、それを忘れて来た。

その弊害が出始めている。

3月に起きた東日本大震災は大変な被害をもたらしたけれど、日本にとってなにが大切かと言うことを思い起こす良い機会だとも想います。

 
こういう事が、私の常々の主張なのですが、それを政治家が書いてくださった。

ありがたいと、文字通り、拝読いたしました。


 

2011年11月19日 (土)

寺澤芳男講演会

11月17日午後1時半から、佐野商工会議所3階で、寺澤芳男講演会がありました。
 
題して「日本の未来」。そして「~震災後の日本について~」という副題が付いていた。
 
 
前日、携帯電話に寺澤からの着信履歴があった。
 
たぶん、私に迎えに着て欲しいのだろうと思って電話をし、東京まで送り迎えをすることにしました。

車中、一生懸命スピーチを考えている。

「日本の未来なんて、ボタンを押せば答えが出て来る様なものは無いよな」などと言いながら、悩んでおりました。

まあ、講演を頼まれ、演題まで決められていたのですから、たいへんだなと同情はしたけれど、私が口を出すことではないので黙っておりました。
  
 
佐野商工会議所に到着すると、会頭始め、主だった方々が全員揃って迎えてくださった。

私も皆さんを存じ上げていたけれど、運転手の身ですから、おとなしくしておりました。


講演が始まりましたが、たどたどしい日本語で佐野のために一生懸命話しをしている。

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講演というものは、話をしている人の背景が分からなければ内容を理解できません。

聞いている内に、「こりゃ、誤解を生じるな」と思った。

何故なら、誰でも語れる様な内容だからです。中には「こんな話なら、自分でも出来る」と思う人が出て来るだろうなと。

 
案の定、終わった後の反応にそう言うものがありました。

理解できない人はたぶん、なんにたいしても、見る目も聞く耳も持てない人でしょうね。

そう言う人が多ければ多いほど、佐野市の不幸だし、未来は暗いと思います。

2011年8月29日 (月)

日本新党

野田佳彦氏が民主党党首に選出され、内閣総理大臣に就任する事が決まったようですね。

それにしても、日本新党結成当時、だれが野田首相を想像しただろうか。

 

野田氏は日本新党から新進党へ。そして民主党へ。

当時の栃木二区の元日本新党国会議員は、新進党に行く振りをして自民党へ行き、大臣は経験したが、およそ総理大臣にはほど遠いだろうな。

そのほかの元日本新党国会議員達も、海江田万里、枝野幸男、中田宏、小沢鋭仁、河村たかし、前原誠司、樽床伸二、小池百合子と、今となっては多士済々とも云えるが、総理大臣になるには器が違う。それは、野田さんだとて同じだとは思う。

 

日本新党としては、参議院議員選挙の方が先だった。

その元参議院議員から、彼のパーティへの招待状が来たけれど、昨日のことで行けなかった。

それでも多分、彼とは死ぬまで付き合うことになるが、彼の人生もまた、日本新党結成によって大きく変化したことも事実だし、そこに私が絡んでいる。

そして、栃木県の方々にも、特に佐野市の方々には、大変ご面倒をお掛けした。

 

そんなわけで、私は野田氏に期待しているわけではないけれど、感慨だけは深いものがあるな。

 
 
当時、なんやかやで、日本新党と深くお付き合いした。

「平成維新の会」なんて云うのもあった。

この辺りは詳しく書けないけれど、そうだったことは事実。

 

鹿野道彦氏とも多生の縁があって、彼の秘書のOさんと付き合いがあったので、私が30前の若い頃、一度だけ3時間ほど酒を飲んだことがあった。

「面白い!」といって私の話を聞いてくださったけれど、何を話したのか一切覚えていないのは残念。

 

これまた感慨深いけれど、この党首選が日本のためになるかどうかは、ひとえに野田さんに掛かってきた。

政治は人がするのだと云うことを、民主党政権は我々国民に身をもって教えてくれています。

教わっているはずの国民が、分かっているかどうかは知りませんけれどね。

 

でも、今の若い人達は、「日本新党」を知っているだろうか?