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藍染め

2019年7月20日 (土)

【たかが藍染 されど藍染め】目的の喪失

 藍染は実用の物。そういう言わずもがなの本質的な事が分からなくされているのが今。多分、工芸の本質は使う事。例えば織物は着るものであって、飾って見るものではない。

 美術や芸術という概念が明治以降日本に入ってきて、これを利用した商売が、問屋や小売店に生まれた。
 例えば職人を「作家」と呼び、彼らの作ったものを「作家物」などと云って値段を釣り上げて儲けた。

 つい最近までそれが生きていて、京都では「作家」が会社を作り、工房を作り、ビルを建て、それが次々に倒産して今がある。金もうけに走った結果という、自業自得かもしれない。

 それは何も、染織だけではない、工芸全体に言えることで、我々は本質を忘れた。我々とは、作り手もあるが、使い手、消費者の事でもある。

 例えば藍染は、使うものだ。暖簾のように見るものもあるという云う意見もあるだろうが、藍染めが暖簾であったには、日よけや虫よけという理由があった。だから、暖簾は藍染。
 
 美しく見せられるように、簡単に藍建てされて藍染めされている鑑賞用の藍染がある。これを、工芸品という名の美術品にして鑑賞している世界がある。簡単に染められて美しいように見せる藍染めに、本質的な意味があるのだろうか。使えば色落ちして色移りする。

 何のために、その藍染は存在するのだろうか。

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 写真はデニムの生地の藍染。これがいわゆるジーパンになるが、では、ジーパンは何のために存在するのか?

 そういう視点の物づくりが必要なのではないかと、私は考えています。

 

2019年6月14日 (金)

灰汁建て 本建て 地獄建て

 藍を建てるとは、水に溶けない藍を水に溶けるようにして染め液を作ることを言います。それが「藍建て」。建てて染めるから、藍染めを「建て染め」とも言います。

 建てる方法は現在、様々。昔は醗酵で建てていました。醗酵は簡単ではありませんから、藍染めは職人仕事だった。藍染屋を「紺屋(こうや)」と呼びます。

 日本人は綿を栽培し、お蚕を育て、綿糸や絹糸を作ってそれを販売して生活してきた。売れない綿糸などを紺屋に持ち込み、藍染めしてもらって手機で織って、普段着や野良着や布団などの自家用の織物を作っていた。明治の中頃までそれは続き、日本人のほとんどが藍染ばかりを着ていました。だから日本は、青の国だったのです。

 明治30年ころ、日本に化学的に染め液を作る方法(化学建て)が伝来。原料も、石炭から抽出した合成藍(インディゴピュアー)が輸入され、藍草の栽培も、今までの醗酵の藍建ても、瞬く間に滅びました。私の住む栃木県佐野市は、藍草の栽培も藍染も盛んで、藍甕まで作っていましたが、明治39年には藍草の栽培は滅んでいます(町史)。

 しかし、絶滅したわけではなかった。藍染の世界でたった一人の人間国宝である宮城県の千葉あやのさんは、藍草の栽培からご自分でなさり、藍染めをし、手で織り、細々と続けていらした。関東にも滋賀県など近畿にも、千葉さんのように織まではなさらなくても、藍草を育て蒅(すくも)を作り、藍染めをしていた紺屋は残っていました。彼らは今でも、ご自分の藍染を「正藍染」と称して、化学の藍染と区別なさっています。私も同じです。

 正藍染の藍建ては、日本古来の醗酵建てです。化学的に建てた染め液で染めたものを「正藍染」と称したなら、それは、正藍染の偽物です。

 醗酵建ての中でも、蒅(すくも・藍草の葉を醗酵させた藍染の原料)を木灰からとった灰汁だけで建てて染め液を作る事を、「灰汁建て」や「本建て」、または「地獄建て」と呼びます。

 草木染の山崎青樹さんは、《藍建てはむずかしいのである。古くからの手法による藍建ては、灰汁水のみを用いた方法で、それを地獄建てなどといっているが、その方法は困難なのである。》(泰流社「正藍染」p24)と書いていますが、この方法が、私が伝えている藍建てです。

 現代の藍建ては、簡単になりました。醗酵させなくても染め液が出来ますから、誰でもが簡単に藍建てできます。それが、藍染の教室がある所以だし、ワークショップと称して誰でもが簡単に藍染の体験が出来るようにもなっています。しかし、そのほとんどが、本来の藍染ではありません。だから、難しい私達の藍染が誤解され、滅びに向かっているのです。

 しかし、「灰汁建て」と称している紺屋の中にも、灰汁で建てているわけではないものが見えます。石灰を入れたり日本酒を入れたり、麩(ふすま)を入れたりしている藍建ては、灰汁を入れているにしても、灰汁で建てているわけではありません。灰汁を使ってはいるけれど、そのほかの有機物と石灰のアルカリを利用している藍建てであって、灰汁建てではない。「灰汁建て」とは、または「地獄建て」とは、山崎さんのおっしゃるように「灰汁水のみを用いた方法」を言うのです。

 私が伝えている藍建ては、文字通りの「灰汁建て」です。蒅(すくも)を灰汁だけで建てます。これが本来の藍建てですから、紺屋はこの建て方を「本建て」とも言ってきました。本建ての染め液の藍染を、「正藍染」というのです。染め液の寿命は長く、藍の持つ本来の深くて美しい青を染めだし、丈夫で強い藍染めになり、色落ちしないように染められるし、色移りは全くありません。

 灰汁だけで建てるのは、技術だけでは建ちません。蒅(すくも)に灰汁を足せば、醗酵して建つわけではありません。だから、山崎青樹さんは、「困難だ」と云ったのでしょう。私が伝えているのは、藍を建てる心。心を文字であらわすのは、それこそ困難ですから書けません。だから、講習会をしているのです。メールなどで藍建てについて質問してくる方がありますが、伝えることは出来ません。

 もう一つの困難があります。それは、染め液の維持管理。これは、藍建てよりも難しいと言われます。わたしもそう思う。

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生徒たちが建てている200ℓの藍甕の昨日の様子。
六日目になりましたが、濃紺に染まります。
しかし、完全に建っているわけではありません。
ここで油断をすると色が出なくなります。
温度を測っているのですが、既に表面に「藍の華」はありません。
灰汁だけで建てるには、染め液の表面に藍の華が出来るような扱いをしてはいけません。

2019年6月 5日 (水)

藍染の名人上手

 このブログは「紺屋の白袴」ですが、これは「こうやのしらばかま」と読む。辞書を引くと、「医者の不養生」と同じようなこと、「忙しくて自分の物は染められない」という解釈があるはずです。 父はこの言葉を、「白い袴をはいて染めても袴が汚れない名人の仕事のことだ」と云っていました。藍染はこの言葉通り、静かに丁寧に優しく染めるもの。

 戦後の日本の藍染に多大な貢献をなさった、岐阜県郡上八幡の渡辺庄吉さんは、「昔は、カメで糸染めるにも、一銭銅貨(今の十円玉みたいなの)を、浮かして染めるくらいの技術がなけりゃ、上手な染屋といわれなんだんや。というのは、アクにはじきがくるような強さがなければいかんということと、もう一つは、その液が動かんように染めるのが、本当の上手ということや」(泰流社「正藍染」)と語っています。

 「その液が動かんように染めるのが、本当の上手」というくらい、藍染は、静かに丁寧に優しく染めるもの。私は実際に染めながら、そのことを教えています。しかし、そんな事、直ぐに出来るわけじゃない。私だって完璧じゃない。染め液の表面を動かさないように染めることが大切だと知り、それにはどうしたら良いかを考えながら藍染めすることが肝心なのです。


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染めるものが多様になり
伸子が使えないものが多くなった。

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私の知り合いの染め師は、
「藍に気づかれないように、静かに染め物を甕に入れる」と表現しています。
その心持が大切。

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3mの広幅の布染を、染め液の中で天地しています。
つまり、ひっくり返しているわけですが、この程度の動きに抑える努力をする。
泡立ちがあってはいけません。
これを一回で三四度します。
ちなみに、私が名人というわけではありません。

 渡辺庄吉さんは上記したことに続けて、「けど、十円玉が本当に浮くわけはない。浮かした人がどっかにいるように思って、自分はまんだ浮かんから下手や、と思って染めてきたもんなんや。」と語っています。

 全くその通りで、それが藍染の修行というもので、「出来た」「分かった」と思ったとたんに、その人の腕は止まるでしょう。

 私が長い間、自分の建てた染め液に人が触るのを嫌がっていた理由の一つは、人は静かに染めることが出来ないからです。特に、草木染をしている人は染め方が粗い。今は、静かに丁寧に優しく染めることを教えてから、体験をしてもらう事にしています。わたしも、教える努力をしている訳です。

 何故、静かに丁寧に優しく染めなければならないか?それはまたいつか(明日かもしれません)。

(渡辺さんは、昨年の秋にお亡くなりになったと、渡辺さんをよく知る染め師から聞きました。心からお悔やみ申し上げます。合掌)

2019年6月 3日 (月)

正藍冷染(しょうあいひやしぞめ)の事

(2007年の二つの記事をまとめ、写真を加えて編集したものです)

 藍染めで唯一人間国宝に認定されたのは、宮城県栗駒の千葉あやのさんです。時に昭和30年。その手法を「正藍冷染」といいます。
 藍甕ではなく、木樽に建てるのですが、加温出来ませんから、暖かい時期にしか藍染めが出来ません。それが「冷染」という名の由来なのでしょう。
 
 千葉さんは、型紙以外は、すくも作りから藍建て、染めまで、全部ご自分でなさっていたとのことです。たぶん、あの地域ではそのような藍染が随分盛んであったろうけれども、千葉さんだけが残ったのではないかと想像しております。
 
 その藍建ては、すくもを団子状態にして寝かせ(たぶん、灰汁を使うと思います)、それを樽の底に並べて敷いて灰汁に浸し、ゆっくりと醗酵させる方法だと思いますが、これが実に合理的だと、醗酵の専門家がおっしゃっていた。
 
 私が親父殿から離れ、工房もなく放浪していた2000年、佐野市内の廃屋を工房としました。そこは文字通り廃屋で、荒れ果てておりました。

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北側
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南側

 しかし、ありがたいことに、風呂桶と井戸水があったのです。

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中央奥にあるのが風呂桶の藍甕。

 風呂桶を見て、千葉さんの藍建てに思いついた。当時は私には、藍甕もありませんでしたから。
 
 初めてのことなので想像しながらやってみましたが、何とか建った。しかし、そこからが大変。この方法では冬が越せません。千葉さんは藍染で生計を立てていたわけではないそうですから、こういう染めが出来たわけで、私はプロですからこれで食わねばならない。だから、冬も染めなければならない。つまり、温度管理に苦心をいたしました。幸い、今は電気という便利なものがありますから、それを利用した。
 
 最初は、熱帯魚のヒーターを使いましたが、これが蒅(すくも)にやられてすぐに壊れる。安くありませんでしたから、経済的にも困った。そしてたどり着いたのが、キャンプ用のヒーターです。これで助かりました。それでも冬は冷えますから、風呂桶に布団を何重にも着せて、暖を取らせたものです。
 
 そんな思い出もある「正藍冷染」ですが、実は千葉さんの作を見たことがなかった。興味はありますが、機会がなかったのです。
 昨日(2007年11月)、浜松でようやくそれを見ることが出来た。遠鉄百貨店で展示会を開いたとき、昭和30年代に仙台にお住まいになっていたお客様に、千葉あやのさんの型染めのゆかたを見せていただいたのです。ちょうど無形文化財に指定されたときで、仙台から栗駒までバスで行って、千葉さんご本人から買い求めた物だそうです。


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写真でお分かりかどうか、実に良い感じです。
現在の単にきれいなだけのものに慣れた方々に理解されるでしょうか?
はなはだ疑問。
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 一見して、「おや!?」っと思った。私がこういう染めをしたら、商品には出来ないなと。技術的に稚拙で仕事が粗い。
 ところがよくよく見ると、てらいのない、純朴な、千葉さんの生活や生き方や心が表れているような気がしてきた。
 
 そこで、技術的な事をちょっとそのお客様に説明しましたら、「そうなのよ。千葉さんはね、『なかなか難しくてね』と言いながら見せて下さったの」とおっしゃる。
 さもありなん!。

 お電話をし、お伺いする約束をして、仙台から何時間もバスに揺られ、山道を行くと、停車場に千葉さんが待っていてくださったとのこと。
 さもありなん!

 このゆかたには、そういう風情が感じられて、実に良いのです。宮城の山奥で、細々と続いてきた物に光を当てるなど、文化財の仕事も捨てた物じゃないと思いました。

 しかし、手入れが良くない。「洗ったことはありますか?」とお聞きすると、「まだ一度も洗っていないの」とおっしゃる。色は縹色ですが、やはり所々に灰汁が浮き出ている。六十年近く経っているこのゆかたも、洗えば(灰汁抜きすれば)良くなる。洗い方をお教しえしましたが、見違えるように青味を増すことでしょう。
 
 それにしても現在の四角四面の世の中で、てらいのない、純朴な千葉さんの作品が、どれほどの評価を受けるだろうかと思うと、ちょっと懸念があります。事実、呉服関係の方々からは、そういうお話しも聞いております。

2019年6月 2日 (日)

藍染めの誤解について

 インターネット上には、藍染について様々な記述がある。久しぶりに見て回ったけれど、酷いことを書いている人がいる。営業妨害になりそうだから誰がどうとは書かないけれど、こうやって誤解が広がり、誤解を利用してビジネスをするのだなと思う。

 私の弟子の所に、上記した酷いことを書いている染め師の工房で藍染めの体験をしている人たちが来たそうな。その方が印象譚をお書きになっているのを読んだけれど、誤解に気が付き始めているようだ。

①色落ちについて。
「本藍染」と称するその藍染は、使うと色落ちが激しい。正藍染は、濃く染めても色落ちしないように染められる。
②色移りについて。
「本藍染」は色移りする。だから洗濯は他のものとしない。本来、藍染(正藍染)は色移りしない。
③染め液について。
「本藍染」は青っぽい(ママ)。正藍染は茶色っぽい(ママ)。
④臭いについて。「本藍染」はツンとした臭いがするが、正藍染めにはない。
⑤色について。
「本藍染」は勝色という濃い色に染まる(誤解だがとりあえずママ)。正藍染は濃すぎない、きれいでやさしい藍色。
⑥染め液の寿命について。
「本藍染」は、1日置きで菌を休ませるし、それをやっても藍染液の寿命は約3ヶ月。また新たにすくもから藍建てする必要がある。「正藍染」はずっと使える。

 こんな風に整理してくださっている。

 誤解の元のホームページも見てみた。何故こんなことが書けるのだろうかと思う事ばかりだ。例えば④の臭いだけれど、子供は臭いに敏感だから、臭いこの工房の体験会に入れないのだそうな。
 
 しかし、訂正を求めたり、間違っているなどと云うのは余計なエネルギーだからしない。私はコツコツと、本建てを教え広め、このように気づけるような環境づくりをして行くだけだ。


<追記>

 2016年頃から私に、度々藍染めについて尋ねて来る、藍染に興味を持ち始めた人が居た。2018年の今、その人は染め師になり「本藍染体験会」というのをしているそうな。そこでは「座学」と云うのがあって、参加者はこの人の話を約1時間聞くという。たった1・2年の藍染経験者が何を語るのか?と思うが、そんな未熟者の話をありがたく聞く人達が居るらしい。

 日本人に、目利きが少なくなった。だから、アマチュアがプロの領域に簡単に入って来られる時代が今。何が本当か理解できないから、アマチュアが蔓延る。その何がいけないかというと、物ごとに誤解が生じ、それが広まり、物の本質を見失うからだ。

 老子は「敢えてするに勇なれば、則ち殺され、敢えてせざるに勇なれば、則ち活かさる」と言った。だからと云うわけではないが、この人をどうしようという行動に出る気はない。敢えてせざるに勇なろうと思うが、老子は結局「天網恢恢疎にして漏らさず」だといった。
 
 未熟な事も嘘もバレる。修行を放棄した身は先が知れている。世間も人も怖く、甘くはない。この人は遅かれ早かれ、わが身の程を知ることとなろう。

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※写真は灰汁抜き後の液。
 藍染は色落ちしないから青い色は落ちずに茶色の色が落ちる。
この茶味が藍染めした物に入っている。
このように灰汁を抜くと青みが冴える。
これを「あか(灰汁)抜ける」という。

2019年6月 1日 (土)

言霊

 今日も、大阪や栃木県内から講習生が来工。藍建てやら絹糸や毛糸の染め方やらのお話をした。

 自分でいうのもなんだけれど、内容は深い。なぜなら、相手は講習生ながら専門家だからだ。
 短時間で話をしたのだが、もともと持っていた技術の上に「本建て」を知った彼らは、藍の本染め(正藍染)の基本が出来たわけで、だからこそ、私の言葉が理解できる。

 講習会では、蒅(すくも)を灰汁だけで醗酵させる「本建て」を教えているのだけれど、それは道具を持つことに他ならない。それも最良の。
 
 その道具を活かし使うのは、講習生たち自身。

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講習生の染めた正絹の帯揚げと絹糸の藍染

 結果は、講習生たちが出すこと。そこには様々な可能性が秘められているから、使い方も、私のところに来れば伝えることにしている。これが「内容は深い」ということ。

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講習生の染めた原毛の藍染。
染め液に工夫はない。綿を染める染め液でウールも染める。
しかし、染め方はある。

 日本人は「言霊」という。言霊は発声にある。文にあるわけではない。だから講習生たちよ、たまには私のところにおいで。そして、私の言葉を聞くこと。それは言霊。道具をもっても、使い方を知らなければ宝の持ち腐れという事もあるのだ。それは、文で伝わることではない、言霊として伝える事だからだ。

2019年5月27日 (月)

マンゴー栽培と藍染

 私の工房のある町の近くに、群馬県太田市がある。其処で南国の果物・マンゴウを育てている若者がいる。その農園を「やなぎた園」という。
 全くの無農薬栽培。農薬を使っていた頃は、虫との闘い。体が農薬まみれになって悩んでいた時に、漢方農法に出会った。
 今は草もめったに刈らず、生え放題だが、虫の害はない。殺すのではない。虫が来なくなるのだ。虫は下の雑草にたかっている。
 土はフカフカ。ミミズや有益な虫がいっぱい。だから余計な堆肥もいらない。
 
 一番大切なことは、味と収穫量。
 
 評判良くて直ぐに売れ切れるようになった。レストランのシェフなどのプロにも喜ばれている。収穫量は、無農薬にしてから木を増やさずに、今年は1000個は増えるだろうと言う。
 
 その「やなぎた園」がホームページを作った。「やなぎた園について」をクリックするとその下に「お世話になっている専門家の方々」とあって、私が出てくる。
 
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 「やなぎた園」では、マンゴウ栽培に藍染の廃液を利用している。
 
 私の染め液は、手入れをするときに、時々間引くことがある。それが藍の廃液。それを500倍くらいに薄めてマンゴウの木に塗ったり掛けたりすると、病気に強く、虫が寄らず、紫外線を防ぎ、土が豊かになる。
 
 藍染の染め液なら何でもよいというわけではない。石灰を使わず、余計な有機物も使わず、昔ながらの正藍染の染め液ならではの効果があるのだ。
 
 こういう事実が、これからの農業にヒントを与えて呉れるはずなのだけれど、慣行農法の化学肥料と農薬を使い慣れた人たちは、感じる感性に乏しいようで(いわゆる有機農法の人達も同じ)、事実さえ理解できない。漢方農法の星野先生も私も、それに直面してそろそろ30年になる。

2019年5月23日 (木)

醗酵と還元との勘違い

 私の父は、何はともあれ醗酵の藍建てに拘った。そのお陰で、今の私がある。

 父の工房に、少し離れた山間にあった染め織の学校から、生徒たちが大勢、藍染めの糸染めをしに来ていた。1980年代のお話し。主宰していた方は、当時東京の大学などで染め織を指導していた有名な方。

 しかし、お貸しした後、染め場が荒れて、染め液も傷んだので、お断りすることにした。

 その学校は、藍染めが出来なくなったわけで、そこで仕方なく、ハイドロサルファイトを使った化学建てを取り入れて、自分たちで藍染めを始めたと、風の便りに聞こえてきた。

 しばらくして、生徒たちのニュースレターが父の工房に送られてきた。そこに《ハイドロサルファイトを入れると、ブクブクと醗酵が始まり、厳粛な気持ちになった。》と書いてあった。

 これは、一言でいえば「勘違い」に過ぎない。つまり、還元という化学変化を、醗酵と勘違いしているわけだ。藍の醗酵は、こんな短時間には起こらない。蒅(すくも)だって、醗酵させて出来上がるまでに、サザンが九十日から百日掛かるように、染め液も、一週間から二週間、またはそれ以上の時間が掛かって醗酵するように、醗酵は直ぐには起こらない。

 この勘違いが、未だに日本に蔓延っているように、長く藍染めに携わってきた私には思える。

 今までこのブログで述べてきたように、藍を還元させるのは、化学的な還元剤とは限らない。ブドウ糖、水あめ、蜜(廃蜜)なども還元剤と云えるわけで、そこに「化学的なものは一切使わない」という言葉のマジックが隠されている。

 実は、私もブドウ糖を染め液の維持管理に使ったことがある。「人間に使うんだから、藍にもいいんじゃないの」と云って、辞めることになった某病院の点滴用のブドウ糖を持ってきてくれた友人がいたのだ。

 使ってみて驚いたのは、直ぐに染め液が濃くなって藍染めが出来るようになったこと。まるで魔法のようだった。

 しかし、染め物を絞ると、絞り跡がつく、色落ちがする、洗うと色移りがする。こんな経験は初めてだった。
 ひと月ほど経ったら、昨日まで染まっていた甕が、急に染まらなくなった。何をやってもうんともすんとも反応しない。蒅(すくも)を見ると、薄いベージュの色合いもなくなり、まるで砂のようで藍の痕跡もない。これも初めての経験。

 その後「藍染を科学する」という講演会に招待されたとき、講演なさった化学者にお聞きすると、「ブドウ糖や水あめは、還元させて藍を水溶性に変える。作用はハイドロと同じ。だから、色を無理やり蒅から持って行く。だから、色がなくなる」と教えてくださった。

 還元と醗酵との勘違い。これが日本で正されるのは、いつになることか。

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醗酵の藍は写真のように茶色。
染め液が若ければ茶味が濃い。
つまり、こげ茶。
これが青くなるのが藍染め。
化学的な藍染めは、緑色で出てくる。
これについては改めて書く予定。

2019年5月10日 (金)

藍染の色移りと色落ちについて その2

 手元に「染織と生活」№10(1975年 染織と生活社)があります。その130pに、藍染めの摩擦堅牢度について書いてある。「藍染の最大の欠点は、摩擦堅牢度が弱いことである」と。調べてみた結果、濃色の藍染めの摩擦堅牢度は、乾式で三級、湿式で一~二級だった。

 私の藍染めの堅牢度は、ホームページに表示しているけれど、それは濃い綿地二種類ですが、双方とも、乾燥で五級、湿潤で三級です。摩擦堅牢度に、結果的に強い。

 この違いはどこから来るのだろうか。

(その1から続く)

《藍には色移りする性質がありません。その性質を生かした藍建て、染めをすれば、色移りはありません。
だから
 ・藍染めに色移りは無い。
・色落ちは心配ないし、落ちないように染めるのが職人。》
 
 こう以前書いた。
 
 しかし現在、藍染のほとんどが色落ちして色移りする。私の尊敬する永六輔さんは、亡くなる前ラジオで、「藍染は色落ちがして色移りするものだ。それを承知でどうやって着こなすかが粋というもの」と語っていたくらいなもの。
 
 本来、藍染めに色移りする性質は無い。なぜなら、藍(インディゴ)は水溶性ではないからだ。水に溶けないのだから、水で洗って色落ちするはずもない。色落ちしなければ、色移りもしない。これが道理。

Numai2私の工房で染めたバンダナの藍染。
この柄を、糸や輪ゴムや板など、一切道具を使わないでだす。
色が移らない藍染めだからできること。
ある工房で、私が同じことをやったら、無地になった。


 古来藍染は、醗酵という手段で水に溶けない藍(インディゴ)を水に溶かし、布や糸を染め液に浸し藍を付け、その藍を染め液の外に出して酸化させて、元の水に溶けない藍に戻すことによって藍染めをしてきた。だから、色落ちもなく色移りもない。
 
 しかし、藍の醗酵は簡単ではない。手間も掛かるし、辛抱もいるし、勘もいるし、技術もいる。だから、紺屋という専門の職人仕事だった。
 
 それを化学は簡単にした。藍を還元によって簡単に水に溶けるようにした。つまり、還元剤の使用によって、醗酵させなくても、藍を水溶性に変えることが出来るようになった。
 
 この還元剤なるものは、ハイドロサルファイトでもブドウ糖でも水飴でも蜜でも、なんであろうと染物に藍と一緒についている。だから、水で洗うと藍を還元させてまた水に溶かしてしまう。だから色落ちする藍染めになる。そして、他の染め物に藍が染まる。つまり、色移りする。
 私の父は、何でも試すのが好きで、「おい、藍染めを洗った液にハイドロ入れると、藍染めが出来るぞ」と私に語っていたものだ。
 
 色落ちして色移りする藍染めの極端なものは、合成藍(インディゴピュアー)を苛性ソーダとハイドロサルファイトで還元させて染めたもの。代表例が剣道着。洗っても洗っても色落ちがするし、肌も青くなる。
 私の息子も剣道をしていた。白い道着を私が藍染めしたが、色落ちも無ければ汗臭くもならなかった。なぜなら、それが本来の藍染めの特徴だからだ。
 
 本来の醗酵の藍染でも、藍の定着が悪ければはじめ色落ちする場合がある。だから、色落ちしないように染める必要がある。それが、職人の仕事。しかし還元の藍染めは、定着させることが出来ない。だから、何をやっても色落ちする。色落ちが止まるのは、何度も何度も洗った後だ。
 
 醗酵させているつもりの藍染めが、最近見える。それは、醗酵と還元を一緒にしているからなのだが、その話はまたいつか

2019年5月 2日 (木)

一昨年の五月に建てた藍の染め液(色落ちと色移りを書く前に)

 一昨年の五月の講習生たちが建てた染め液が、二年経っても現役で大活躍。今回も皆さん、この甕を使ってガンガン染めています。その内の一コマですが、絹糸を染めているところです。


(動画は写真をクリック

 表面を良くご覧いただきたい。膜が張るのがお分かりだろうか。
 これが、醗酵の印。

 写真のように美しい青色に染まりますが、紺から濃紺にするなら、これを下染めとして、濃い染液に移り、本染めをします。

Photo_87 (写真は一期生の山本有美さんから)

 真に醗酵で建て、維持管理をしっかりして染め方を間違えなければ、染め液の寿命は長いのです。「染め液の寿命は三カ月」という説も散見しますが、それは何かがおかしいという事です。

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