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藍染め

2017年11月23日 (木)

灰汁の取り方

 灰汁について書いていますが、灰汁はどう取るのか。

 私は10ℓに対して1㎏の灰の量を目安にしています。ですから、100ℓの容器で灰汁を取る場合は10㎏の灰を使う。これより少ないのはお勧めできません。多い分には良いと思います。

 次によく質問されるのが、水かお湯どちらで取るかというもの。
 水で取る方もいらっしゃいますが、私は習慣的にお湯で取ります。温度は季節によって変えています。

 そして攪拌。なるべくしつこく激しく行います。

Aku             私が灰汁を取っているところ。今の季節は熱いお湯を使っています。

 そして、最低でも丸々一日寝かせます。
 寝かせる時間は長ければ長いほど良い灰汁が取れます。一週間ほど寝かせると、とても良い灰汁になります。

 寝かせずに、一番灰汁、二番灰汁、三番灰汁・・・と取り分けるのは、良い灰汁になりません。藍建てにも維持管理にも良いことはありません。灰と一緒に寝かせることが肝心です。

「染め液の手入れ」そして 「答え」

 かれこれ十何年も前、藍染について「答えがあると思ってはいけない」と、ある人に云ったことがあります。微生物というのは、「答えを見つけた」と思っても、必ず裏切るからです。それが、醗酵の難しさだと私は思う。

 例えば、灰汁やふすまや貝灰の使い方は、その時々で違う。ある時、私が貝灰を5kgほど足したら染液の調子が良くなった。しかし、これは答えではないのです。その時に、藍が何をどれくらい求めているかを、私が感じていたと云うだけのこと。この「感じる」という気付きは、修行によるのです。これを「勘」といっても良いかもしれません。勘は養うものですから修行が要る。

 答えを求めると、勘は養えません。調子が良くない時に貝灰を5kg入れることを「答え」としてしまうから、5kg入れれば良いと結論付けてしまう。
 しかし、それでも調子が戻らない時がある。それは、染液が別のものを欲しているからです。それを感じ取らなければなりません。
 
 感じ取れなくなるのは、答えがあると思っているからですが、答えがある世界もある。それが、化学です。石灰や苛性ソーダでpHを調整し、染液の量に対して還元剤の量を決める。これは、必ず答え通りになります。考える必要がありませんから、楽です。

 楽をおぼえると、それから抜け出せないのが人間です。それは私の短い67年の人生経験が教えてくれること。ですから、化学建てから本建てに移行するのは、別の修行が要ります。しかし、楽をおぼえると、その修行もできません。

 ある日、私の工房に藍染の世界では著名な方がお見えになった。ドアを入った途端、首をかしげたので、「匂いだな」と直ぐに解かりました。私の工房には、いわゆる藍染の独特の匂いというものがありませんから。
 藍の染液をお見せすると、「これは建ってないね」とおっしゃった。つまり、色が出ていないということです。染液の表面に、藍の華どころか、泡一粒もなかったからでしょう。布を染めて、色があることをお見せしました。

Ai_someeki                         藍の華がない本染めの藍甕

 灰と灰汁もお見せして、私の藍建てと藍染のすべてをお伝えしました。するとその方は、「そんなに私に教えて良いのか」と尋ねましたが、正しいやり方が伝わるなら良いに決まっています。

 それから10年は経ちますが、その方が本建て本染めをしているという話は全く伝わってきません。私はそうなるだろうと思っていました。なぜなら、彼は楽をおぼえた人ですから。

 私が「答えがあると思ってはいけない」と云った人も、同じです。

2017年11月22日 (水)

染め液の手入れ

 長期出張を含め、約一ヶ月以上染め液の様子を見ておりませんでした。その間、撹拌(染め液をかき回すこと)など一度くらいなもの。中には全く撹拌しなかった甕もあります。しかし、各々の藍甕は順調に色を出していてくれました。大勢の人たちが藍染体験をして、また、工房なりの染仕事もこなしながらですから、立派です。

 しかし、限度はある。11月18・19日と、また大勢の人たちが藍染を体験に来られ、ついに200リットルの藍甕から藍の色がなくなる事態となりました。放っておけばまた色が出るということもありますが、今回は久しぶりに手入れをすることにしました。

 手入れとは何をするのかと言うと、染め液の中に生きている微生物を元気にしてやることです。

 その基本は、灰汁(あく)です。灰汁は藍建て(染め液を作る事)だけに使うわけではありません。維持管理も基本は灰汁です。染め液中に灰汁が少なくなれば、微生物は元気をなくすからです。
 今回は、長く寝かせた二番灰汁を加えました。
 次に“ふすま”を良く炊いて適量入れます。
 ふすまとは麦の皮の事ですが、主にミネラル分とわずかなでんぷん質の補給で、これも微生物の餌。やりすぎは良くありません。結局餌にならずにすくもに沈澱していることになるからです。これも適量をひと月に一回が目安です(ふすまだけでは足りないと思ったら、工房によって芋など、加える餌は様々にあることでしょう)。

 その次に貝灰。これもまた微生物の餌ですから、全部食べてしまって染め液中に残ることはありませんが、これまた適量入れます。

 結果は直ぐには現れません。
 水あめやブドウ糖などを加えて直ぐに結果が表れるのは、醗酵ではなく還元させているからです。つまり、微生物の作用ではありません。
 
 そして、結果は染め液によっても違う。
 
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 手入れをして一日置いた、色が無くなってしまった200リットルの藍甕です。

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 まったく無かった藍が、一日でこれだけ出るようになりました。明日はもっと良くなっていることでしょう。

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 これもまた、色が無くなった130リットルの藍甕。
 
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 昨日と比較すれば良いですが、完全に回復したとは言い難い。これも明日になればもっと良くなっていることでしょう。

 藍の染め液にはそれぞれ個性があって、結果もまたそれぞれです。 
 ここで「適量」と私は書きましたが、適量とはどれくらいのことを言うのかというと、これがなかなかに書き表せません。なぜなら、染め液には個性があって適量もそれぞれだからです。
 醗酵を知り、微生物を知り、エサの効用を知り、それぞれの質を考え、さまざまに経験をして行くことで染め液の個性を知ることが出来るようになるわけです。

 それは以前、「答え」と書いたことです。
 

2017年11月20日 (月)

「灰屋」のお話し

 灰について書きましたが、日本人と灰の関係は縄文時代にまで遡ります。それは、土器と縄文人のライフスタイルが語ってきます。

 室町時代には木灰を扱う「灰屋」という商売が成り立っていました。それも、大きな商いだった。それは、藍染や、いわゆる草木染や陶芸に欠かせないものでもありました。

【「灰屋」のお話し】 

 正藍染めにとって、灰汁を使うことは絶対です。その藍建て方法は、室町時代に確立されたと思われます。

 灰と油をあつかう「灰屋」という商売も、室町時代にはありました。特に紺屋(藍染屋)が使う灰を「紺灰(こんばい)」と云いますが、それを室町時代からあつかっていた大店が京都にあって、屋号も「灰屋」。江戸時代初めのその家の主人灰屋紹益(はいやじょうえき)は、井原西鶴が書いた好色一代男の主人公世之介のモデルだというくらいの粋人だった。紹益の家は紺灰をあつかって大儲けをしたと言われています。

Photo(若い人たちにこの話をしたら、井原西鶴も好色一代男も知らなかった。日本の教育はどうなっているんだろうか。)
 
 遠藤周作の最晩年の歴史小説、「反逆」「決戦の時」「男の一生」は、信長の周辺を扱い、その大元は、「武功夜話」という灰屋の物語です。

 「武功夜話」は、今の愛知県にあった灰屋・前野家の歴史を書いたもので、その家の出戻り娘の吉乃に惚れた信長が、足しげく通った家。吉乃は信忠、信雄ともう一人三人の子をもうけます。
 その家にいたのが秀吉。その兄貴分が蜂須賀小六。
 
 この灰屋は、紹益の家同様大きな商いをしていて、信長のスポンサーとなり、彼を支えた。後に阿波藍を栄えさせる蜂須賀公がこの家にいたことも、因縁を感じさせます。

Photo_3(遠藤周作もまた、若い人たちは知らなかった。映画「沈黙」の話をしたら、少し理解したようです。) 

 「武功夜話」に真贋論争があるのは承知していますが、ドラマとして実に面白い。そして、灰屋という商売があったということはわかります。

 灰屋は灰を買い集め、売る。
 灰からは灰汁がとられ、紺屋が醗酵の元に使い、植物染めでは、今でいう媒染材として使った。
 灰汁を取り切った灰は、焼き物やが釉薬として使った。

 「かまどの下の灰までも」という言葉がありますが、その灰も灰屋が買ってくれましたから、家計の支えにもなっていたわけで、日本人の生活は、まったく無駄がありませんでした。

 もう一つわかることがある。それは、「江戸時代に入り、綿の文化が栄えるとともに藍染が盛んになった」と巷間言われていることの勘違いです。
 麻にも絹にも良く染まる藍染は、江戸時代以前からも盛んに染められていたということです。

2017年11月19日 (日)

灰汁を取る木灰について

 私は、藍染にpHは関係ないという立場で長く藍染をしています。事実、私の方法で藍染めをしている人たちの染め液を計った人によれば、pH7.4でも12.4でもちゃんと染まっている(その実例はこのブログで示してきました)。

 それには、良い灰汁を使うという前提がある。灰汁は、染め液の中に生きている微生物のエサですから。良い灰汁を取るためには藍に適した木を選ぶ事。

 先日私に質問してきた方は、灰汁のpHが上がらないからどうしたらいいのかと。よく聞くと、松の灰を使っていた。松は藍の役に立ちません。pH以前の問題です。

 藍に良い木とは、落葉樹や樫などの堅木です。松、杉、檜、藁の灰は藍には使えません。

20171119110634                写真は、現在工房にある桜。

 これらから取った灰を、藍に使えるように大切に保存、または質をより良くする努力をした灰が、藍に適したものになります。灰汁を使えば良いというものではありません。

 これは、古から続く人間の知恵。当たり前のこと。

 ちなみに工房のある佐野市は「小楢(こなら)の里」と言われるくらいですから、私はその小楢や、栗、桜、椚などを使っています。

2017年10月 9日 (月)

佐野の藍

 栃木県佐野市は、昔から藍の産地でした。藍草の栽培から藍染めの原料づくり、それを扱う藍問屋があって紺屋も沢山あった。

 藍草は市内各地(旧安蘇郡を含む)で作られていました。組合もあった。

P1020794        (復活させようとした頃の佐野市内にあった藍畑。小さく始まりました)

 染めの原料を作る人を藍師と言いますが、その代表格が田中正造です。
 品質は、阿波の資料に「佐野の藍は中藍なり」と書かれていて、つまり中っくらいだった。

 藍問屋も数件あって、ある染料店の女性会長とお話をした時、「うちは絶対に藍問屋だった」とおっしゃっていましたが、さもありなん。大店だったことでしょう。

 紺屋は秋山川沿い赤坂町にずらりと並んでいました。それは、つい最近までです。古老によれば、「秋山川は藍を洗う川だった」というくらいなものです。

 もっと言うと、堀込町では藍甕まで作られていて、藍染めに関しては全て、佐野で完結できていたくらいに盛んな土地でした。

 滅びたのは明治39年。それを復活させて新しい産業化を図っているのが「佐野藍復活プロジェクト」です。

2017年10月 8日 (日)

佐野の藍 足利の紺屋

 栃木県佐野市は藍の産地だった。藍農家が沢山あり、藍(すくも)も作っていた。その代表的人物が田中正造。
 
 幕末、彼は父親に反対されながらも藍師(すくもを作る人)となり、3年間で300両の大金をつかみ、それを束脩(学費)として社会という学校に打って出たと自伝にある。
 
 田中正造たちの作った藍(すくも)を買うお客は、もちろん地元にもいたけれど、その多くは足利の紺屋だった(市史)。
 
 織物の産地として足利・桐生は有名だけれど、佐野も同じなのになぜ名が出てこないかというと、足利の組合に属し、下請けのような存在だったから。藍もまた、おなじか。

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※写真は向田邦子の「はめ殺し窓」という短編。
「足利は、タカの実家である。タカは大きな紺屋の娘だった。」

2017年10月 4日 (水)

足利の藍染め

 足利で本染めの藍染めが始まったことは書きましたが、足利の藍染めと言えば「藍愛工房」です。染め師は私の父、大川仁。
 
 父は日本中の百貨店で藍染めの実演をして藍染めを広めた。私の家内は「日本に藍染めを広めたのは父だ」といって憚りません。そして、それなりに有名でもあった。
 
 亡くなったのが平成13年だから、もう16年も経ちます。ですから、若い人は知らないかもしれませんが、当時、足利がテレビで紹介されると、必ず父の藍染めが出ていました。
 
 藍染めは本来醗酵です。醗酵の藍染めは、今でも簡単には出来ません。だから、職人仕事。
 
 父はその「醗酵」にこだわった。そのおかげで今の私の本染めがあるし、それが足利で受け継がれようとしている。私が「ありがたいことだ」という理由です。
  
 実は藍染めは、誰でも簡単にできる方法があります。それが現在、日本中で行われている藍染。
 
 その違いを知ることこそ、藍染めの意味・意義を知ることでもある。
 
Omata 
 写真は藍愛工房のあったところ。この川で藍染めを洗っていました。なぜか、ちと寂しいな。

2017年10月 2日 (月)

阿波藍 「手板法」

 以前、「正藍染」という本をご紹介したけれど、記述全てが信頼に足るというわけではありません。私は藍染に限っては専門家だから、記述の内容が解ることもあるのです。
 
 例えば、草木染めから見た藍染には誤解があるし、現在と同じように、臭いにも色落ちにも色移りにもそれはある。
 昭和52年だからといって、そこに正しい記述があるなんて事は決してありません。
 
Img007 
 それはそれとして、面白いと感じるところを参考にしながら書いてみますと、佐藤平助さんのところに「手板法」というのがある。出来上がったすくもの、質の良し悪しを見る方法です。
 
・まず、少量のすくもを掌にとってみる。
・それにほんのわずかな水を加え、小さなヘラでよく練る。
・その作業の間に、感触、色、ねばりなど、さまざまな角度から染料としての適度を見て行く。
・最後に、そのすくもを手板紙と呼ばれる加賀和紙にすりつけ、日射しにかざして、藍の色相を観察する。
・良質のすくもは赤味をさしていて、手板紙にすりつけると、茶色にしかならない。
・逆に、質の落ちるすくもは青くなる。
 
 書けば簡単だけれど、当然のことながら、経験と熟練、勘が必要となる。
 
 これを書いているルポライターの中谷寿志氏は、「不思議なことだが、赤味のあるすくもほど、鮮やかな藍色に染まり、青いすくもほど藍が落ちやすい」と書いていますが、藍染めの液も、全く同じです。
 
 そして佐藤平助さんはこういった。
 「苦労させた藍がすくもになると、その汁は赤黒い青味になるわの。ほんなすくもは糸を染めて、すぐに水で洗うても、落ちんがの、藍が。ほんでも無理に温度を上げて、日数をけちったすくもは、紙につけると真っ青で美しいが、糸を染めると、水に落ちて染まらんわの。藍に問うんだの、水を食いきったときに。そのとき、藍は答えてくれる。水が多かった、少なかった、というように」。
 
 藍は、作り手の心を現すと、佐藤さんはおっしゃる。作り手が不機嫌なら、出来たすくもも不機嫌だと。母上が亡くなり、心乱れたとき、郡上八幡の渡辺庄吉さんという紺屋さんに「今年のすくもはいつもと違う」と言われたと言います。
 
 渡辺さんは、我々紺屋にとっては大先輩ですが、「すくもを藍甕の中に入れるとき、無造作に放り込んだときと、大切に入れたときとでは、染め上がりが違う」とおっしゃったそうな。
 
 紺屋として、肝に銘じなければいけません。

2017年9月29日 (金)

藍染の移染(色移り)について

 結論を先に言えば、藍染めは本来、色移りしません。色が移るのは、染め液に何か細工をしているからです。

 写真は染め上げた手ぬぐいを、霧吹きを使いながらアイロンがけをしているところです。

Airon1


Airon2

 下に敷いた白い布に色移りしていません。これが本来の藍染め。

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