紺邑のホームページ

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職人

2016年11月23日 (水)

永六輔の「職人」と 白洲正子の「ほんもの」

 旅先で久しぶりに大きな本屋に入り、およそ二時間、本を物色しましたが、驚いたことに知らない本と著者ばかり。本屋が、私の知らない世界になっていた。

 その中に、私もよく知る永六輔の追悼特集という平積みのコーナーがあって、そこに「職人」という新書があったので手にとって見てみました。面白かったら買ってみようと。

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 永六輔という人を、私は天才だと思っています。放送作家として、作詞家として。
 しかし、職人の立場で見ると実に邪魔な人で、職人仕事について誤ったことを伝えてきた。特に、藍染は。

 「さて、この本はどうかな?」と、藍染について書いているところを読んでみた。

 「藍染の青には様々な色があって、それが職人によって違うから困る」なんていう、もっともらしい職人の言葉が紹介されている。「だからどうなんだ」ということが何も書いていません。

 「本物の藍染と、偽物の藍染の区別がつかないから困る」ということも書いてある。そりゃそうで、永さんは合成藍で染めている会社のコマーシャルをしていた人で、ほんものを知りません。
 あるときラジオで「藍染は色が落ちて色移りします。それを承知で着なければならない」なんてことを言っていたくらいなものです。

 一事が万事で、他の職人仕事についても推して知るべしでしょう。
 
 
 
 二時間本屋にいて、ようやく見つけたのが、「ほんもの」という白洲正子さんの本。

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 私は、小林秀雄を読んできた。だから、青山二郎も今日出海も永井龍男も川上徹太郎も読者として存じていますし、彼らの交遊がどんなだったかも知っていますから面白く、それこそ「巻を措く能わず」で一気に読んでしまいました。ここにはそれこそ、「ほんもの」が書いてあります。
 白洲正子さんには、「美は匠にあり」という本もあります。そこの藍染に関する記述は間違っているけれど、それは言葉が違うだけで本質を見ていると職人の私は思う。

  

 私は最近、「(日本人は)本物を見る目がない。文化が育たない。噓や見かけがまかり通る社会になってしまった」と、某所に書きました。

 そこには、永六輔のような人の、薄っぺらなものの見方が関係していると思っています。「だからどうなんだ」という考察がない。つまり、考えがなく批評になっていない。
 エピソードをもっともらしく紹介するなど、誰でも出来ます。しかし、「だからどうなんだ」と書くことは、手間がかかるし面倒です。それを永さんは省いてなさらなかった。
 職人仕事は、手間をかけて面倒を厭いません。だから、永さんには職人仕事がわからなかった。

 戦後の日本の問題は、批評の精神の欠如だと思っています。なんでも簡単にわかってしまう。「ほんもの」を知るには、白洲正子さんのような批評の精神が必要だと私は思います。
 
 

2014年10月20日 (月)

トンボ玉

日本の蜻蛉玉は、江戸時代に途絶え、大阪の藤村英雄氏が復活させたものです。なにせ大阪には「玉造」なんてところがあるくらいですから。

それを受け継ぐ藤村広樹さん。

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正倉院に蜻蛉玉がありますが、それを復元するには昔からの技法を復元しなくてはならなかった。

広樹さんの祖父英雄氏は、それを再現し、藤村家はそれを守り続けています。これを、「古法窯づくり」と呼びます。

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このボロボロになった窯がそれで、炭火を使い、ガラスを溶かして顔料を混ぜ、色ガラスから作っています。仕入れるのは原料のクリスタルガラスだけで、後はすべて自分で作っている。こんな面倒をやっているのは、日本では藤村家だけでしょう。

火力は、炭の量で決め、灰を使って玉を冷まします。

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熱いですから、扇風機は欠かせませんが、この実演ができるのは名古屋まで。

それより東の百貨店では出来ませんから、宇都宮に毎年来ていただいても、栃木県民にお見せできないのが残念です。



藤村英雄氏の再現した「小桜トンボ」は、それはそれは見事なもので、天明鋳物の若林さんにお見せしたら、何かヒントを得たような様子でした。

広樹さんの父上真澄氏は、大阪の伝統工芸士の上に現代の名工で黄綬褒章受章者。まあ、そういう人はこの業界に当たり前のようにいらっしゃるにしても、広樹さんから見ればなかなかに大きな壁でしょう。

自分も大きくなって来はしましたが、それは身体。

ますます修行をして、藤村広樹ここにありとなってもらいたいものです。

ん?なっているかな。

2014年10月17日 (金)

萩焼

大阪で、久しぶりに萩焼の森田夫妻に会っています。

萩焼らしい萩焼を作ろうとしている人たちです。

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何年か前、釉薬の話になって、灰汁をとったあとの灰を送ったことがありました。

それを釉薬にした萩焼を頂いちゃった。

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左は酸化、右は還元。何か、藍染のようなお話です。

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いつもは樫の木の灰を使っているとのこと。

私の灰は楢灰ですが、少し柔らかさがあるような気がします。

   

それにしても、私が灰を分けた人で、初めて釉薬にしてものづくりをしてくれた人たちです。

日本人は木を使って生きて来た。

それを燃やした灰から灰汁をとり、染屋が色だしに使い、紺屋は染液を作ることに使った。

灰汁をとり終わった灰は、焼き物屋が釉薬に使って来た。

こういう、究極のリサイクル文化を持っていたのが日本です。つい最近の1970年代初めまでは、そんな文化が残っていました。

それを見習ったのがドイツだけれど、今日本人はドイツに学ぼうとしている。

日本人が日本を知りません。

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宇都宮に一度お呼びしたけれど、さすがに萩からでは経費が嵩む。無理は言えません。

昔からの萩焼にこだわる焼き物を、一度でも栃木の人たちに紹介できただけでも良しとしましょう。

その内、また来てくださるとうれしいな。

2013年7月27日 (土)

職人達

東武宇都宮百貨店に、全国から職人が集まっていますが、一部紹介します。

先ずは山口県から「赤間硯」

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岡山の手打ち刃物

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東京の帆布製品

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秋田名物大舘曲げわっぱ

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日本で唯一と云って良いと思いますが、プロのビーズ細工。千葉からです。

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青森のアケビ細工

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東京の組子細工。
 
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福井から越前竹人形

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静岡から、下駄。

それぞれに物語がありますが、是非、直接お話しをしていただくと面白いと思います。

2013年2月13日 (水)

烏山和紙 福田弘平先生逝く

今朝、何気なく家内が「福田弘平先生が亡くなったんですってよ」という。

驚いて調べてみたら、1月19日にお亡くなりになったそうです。

栃木県の手仕事会の大先輩で、お世話になったし、足利にもよく足を運んでいただいたものです。

政治が好きで、烏山町長もお努めになったけれど、そのころからお付き合いが遠のいておりました。

  

烏山に工芸村を作ろうという動きがありました。

わが両親は、老後をそこで暮らそうとしまして、そのプロジェクトに私も参加して計画立案に関わり合った。

その頃はしょっちゅう烏山に行きまして会議し、視察旅行にも行った。

福田先生は心臓に持病をお持ちだったから、一緒に風呂に入ってもいつも腰湯。

体型を見ると、さもありなんでありました。

烏山和紙は千数百年の歴史があると言われますが、今は福田製紙所一軒だけのようです。

「入江侍従長から、歌会始で使う和紙を考えておいて欲しいといわれてね、奈良時代にすいた和紙が今も使われているんだけれど、そろそろ切れるという話しだった」と私に教えてくださった。
 
 

政治の世界だけではなく、我々下野の工芸の存続発展にも大きな力を発揮されたリーダーでありました。

思い出は尽きませんが、ご冥福を心からお祈りいたします。

お世話になりました。

合掌

2012年10月 8日 (月)

ガラス細工

藤沢でご一緒している斉藤恵子さんは、吹きガラスをなさっている。

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担当の今野君も、「美しいガラスですね」と、喜んでいます。

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小物もあって、この世界の歴史を感じさせます。
 

良い人と知り合うことが出来ましたが、紹介してくださったのはシルバージュエリー作家の田原かおりさん。

斉藤さんは、田原さんの武蔵美の後輩なんだそうです。

田原さんに、感謝<(_ _)>



「炎の中より生まれた透明な器たち、激しく静かに語りかけてくるglassに魅せられて日々創作に励んでいます。作品は手作りなので、形や大きさが少しずつ違いますが、一つ一つ心をこめて創り上げました。あなたの生活に一刻の潤いをもたらすことを願って。」斉藤恵子(リーフレットより)

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一つ一つに特徴のある作品群です。

2012年5月27日 (日)

桶屋の松っちゃん

先ずは、このキリリとした姿を見ていただきたい。
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囲碁将棋盤の最高級品は、宮崎県日向地方の榧(カヤ)の柾目のもの。
それを扱う老舗が、松川碁盤店
写真は当主の松川高士氏。
私が「氏」と付ける風格を、感じさせます。
囲碁4級の私が見ても、それはそれは美しい碁盤を作ります。

世はバブルが崩壊した頃、松川氏から嘆き節が出はじめた。
毎日のように「売れない、売れない」と言う。
世はITの時代。
囲碁を打つ人達はネットを利用し始め、碁盤が必要なくなった。
そして嘆き節は続き、遂に私たちは、氏をマッチャンと呼ぶようになった。

この写真を見ていただきたい。
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松川氏から鋭さが消えている。

マッチャンは、木を扱う専門家。
見る目は確かだし、扱う腕もある。
宮崎には榧だけでなく、宮崎杉、霧島杉という優れた材料がある。
これに目を付けたマッチャンは、遂にそれらを利用して漬け物桶を作った。
なんと一本を切り抜いて桶を作るという、何処にもない独自の漬け物桶です。

様々な特徴があるけれど、先ずは漬け物が暖まることがない。
杉材の特徴で、気化熱で中の温度を下げる効果があるために、夏でも冷蔵庫に入れなくて済む。
そして何より、漬け物が美味しい。

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写真中央にビールが何故あるかというと、この漬け物桶に入れておくだけでビールが冷えるという実演をしているのです。

これが好評を博し、以前は碁盤の端に置いてあった桶が、今や碁盤を追い出し、中央に鎮座ましますようになった。
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(左隅にちょこんとあるのが碁盤。立っているのは、最近まぶしくなくなったアケビ細工の古川(こがわ)さん)

以前は、レジに行くマッチャンの姿を滅多に見ることがなかったのに、最近はしょっちゅう通うようになった。売れているんです。
「大川君の前を通ると悪いから、ぐるっと回ってレジに行ってるよ。これでも気を遣っているだぜ」。なんて言う台詞も吐くようになった。

これも企業努力ですね。

碁盤に目を入れることを「目を盛る」と言い、日本刀で盛る事を「太刀盛り」と言います。
碁盤を扱う松川氏は、日本刀を持つ。
だからその目は、最初の写真の様に鋭い。

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その手を包丁に替えて、松川氏はマッチャンとなった。


この漬け物桶は、ネットショップでも扱っています。
美味しい漬け物を作りたい方には、お勧めです。
ホームページをお訪ね下さい。

2012年4月12日 (木)

和傘

和傘の職人、古内清司さん。

一緒に仕事をしたのは、かれこれ20年近く前の話し。
その間一度、仙台三越に会いに来てくださっているので、何年ぶりになるだろうか。

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和傘とは洋傘に対する名称で、それ以前は「からかさ」と言われていました。
野口雨情作詞の童謡「雨降りお月さん」では、♪一人で傘(からかさ) さしてゆく♪と「傘」とかいて「からかさ」と読ませている。

日本の傘は、「源氏物語絵巻」や「一遍上人絵伝」にも描かれているらしく、日本古来より使われていたもの。

 
山形和傘は、嘉永二年(1849年)に、遠州浜松より転封された水野家が、徒歩衆(かちしゅう・下級武士)に傘作りを奨励したことが始まりで、200年ほどの歴史があります。

明治維新以降は、その人達が傘作りで生計をたてるようになり、業者も増えて、最盛期には山形近郊で百軒を超え、東北一の産地となりました。

しかし、洋傘の普及とともに業者も減り、今では古内家ただ一軒となってしまっています。

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古内家オリジナルの「浮世絵傘」。傘骨が46本で長さは2尺。

古内さんは、私が知る職人の中で一番真面目な人。「似合わないけど、良いですねぇ」と言ったら、「遊びが足りませんか?」ですって。遊びもまた、似合わないな。

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右が「番傘」です。傘骨は52本。
 
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名入れも出来ます。

白いですが、使っている内に色が出てくる。
「こんな風に」と古内さんが見せてくださっていますが、写真では上手く伝わりません。
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その他にも、蛇の目傘、日傘、舞傘(日本舞踊に使われるもの)、朱傘(神社、寺院、茶道などで使用する大きな傘)、ミニ傘などをお作りになっています。

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写真はミニ傘と傘福(吊し雛用)で、インテリアとしてもとても良いものですが、しっかり傘として作られています。


インターネットも何もやっていない、全くのアナログの人ですので、ホームページなどあろうはずもありません。

せめて、連絡先でも書いておきます。

古内和傘店
山形市東原町1-4-10
℡023(623)2052


2011年10月 4日 (火)

伝えると云うこと(独り言)

工芸の技術を伝えるというのは、精神という面倒な物が付いている。

だから、難しい。

口で説明できるような物じゃないから、見習い、感じ取らなくてはならない。

見て感じるには、素質と感性が必要だ。今風に言えば適性というやつ。

これがなければ、十年・二十年修業しようが、結局は伝わらない。

 
例えば大工。

弟子にはいると、親方は敵性を見る。そして、無いと分かれば辞めさせ、他の仕事を紹介する。それには、親方の弟子を見る目が必要となる。

その点、私は親方としての敵性がないとつくづく感じている。

 
ここ何年かに比べて、会社としての紺邑は今、成績がよろしい。

それは、藍の建て方(灰汁の使い方)、維持管理方法、染め方、色具合、デザインを変えたからです。

昨年の今と今年の紺邑は、まるで違う工房になった。

 
神様は見ている。

ここ数年は、私の努力が足りなかった。

つくづく感じる昨今であります。

 

2011年9月20日 (火)

刃物屋の引退

大阪の堺と言えば刃物の産地で、「堺の打ち刃物」と云えば昔から名が通っているし、私もこのブログで、本焼について紹介させていただいております。

そんな堺の刃物屋さんで、古い付き合いの「カモシタ」というお店があります。

大阪の近鉄百貨店上本町店で「職人の技展」が始まったとき、その草創に尽力したのも、「カモシタ」の立花さんという人だった。

代表の藤村さんを陰で支え、売れもしなかった催事を大きくし、それが日本中で今開かれている「職人展」の大元になっているのです。
 
「カモシタ」は、現在の「職人展」の存在の、大功労者の一人です。
 
  

催事の売上が上がり始めると、出展したい連中や、影響力を持ちたい連中から様々な動きが出て来て、「カモシタ」の立花さんや、その他の草創に力を尽くした大阪の人達は、はじかれてしまった。

はじかれた人達の傷は、今でも深い。

はじいた人達はそれに気付きもせず、草創の努力に目を向けることも知ることもせず、催事がどうだ、業者がどうだと理屈をこねる。

そう言う人達へは、神がちゃんと報いを与えているように、昨今、私は感じております。

 

今回の町田小田急は、紺邑と中島洋傘の二人展でしたが、実はその側で、「カモシタ」も出展しておりました。

「カモシタ」と小田急の付き合いは、もう何十年にもなる。

その28年間を担当していたのが、私とも古い付き合いの熊本さんだ。

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ここのところ会う度に、「もう、身体がボロボロです」とおっしゃっていたけれど、遂に、この町田小田急を最後に引退なさることになった。

今日が、熊本さん現役最後の日となりました。

 

朝礼の最後に、担当の高坂君が、「皆さんと長い付き合いだったカモシタの熊本さんが、今日で引退なさいます」と云って、社員一同からの記念品が渡されるというハプニング演出があった。

あいさつを求められた熊本さんは、暫し言葉に詰まりながらも、「私の人生で最良の日となりました」と語った。

彼と百貨店の人達とが、いままで素晴らしい関係を築いてきたことが分かりますね。

 

熊本さんは、とにかくよく働きます。

朝早く出勤して、お客様から預かった刃物の研ぎを始め、閉店後も消灯ギリギリまで研いでいる。

営業中はもちろん研ぎっぱなしで、中島さんも「あんなにまじめに働く刃物屋さんに初めて会いました」と云うくらいなものです。

 
 
熊本さんが引退した後のカモシタには、溝口さんという後継者がいる。

この人もまた、先輩の後ろ姿を見ているせいか、本当によく働きます。

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研ぎは手研ぎで、けっしてグラインダーなどを使うことはない。

研ぎだけで一人前になるには、相当時間が掛かるとは、熊本さんの言。

そう言えば、堺の本焼の職人が、「鍛冶屋は鍛冶屋の、研ぎ屋は研ぎ屋の本文を尽くしていけば、堺の刃物はまだまだ大丈夫だ」と語っていたのを想い出しました。

 

熊本さんには、長い間ご苦労様でした。


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