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ダンナ衆

 閑馬の工房で開かれている「アート街道66展」に、足利の雪輪町にお住まいの方がお見えになった。雪輪町というのは、京都の祇園の様なところで、戦後の一時期は芸者が250人もいたと云うし、その数も祇園と並んでいたらしい。
 そこで遊んでいたのは、足利のダンナ衆と、京都大阪の問屋だ。その中には我が父達も居たわけだが、そのダンナ衆が生きていたのが、この辺りでは足利と桐生だろうし、それが、町の気質を形成しているように思う。

 戦後の桐生に移り住んだのは小説家の坂口安吾だが、彼は「桐生通信」でその気質を「小工業と商業でもつ桐生はおのずから個人的な都市で、したがって商魂もたくましい。ウカウカすれば隣人の目の玉もぬく機敏さが露骨で、むしろ好感がもてるのである」と書き、「町ができた時から東における最も大阪的なところで、今日に至っても全くの小商工業都市で各人腕にヨリをかけ隣人親友を裏切って取引と金勘定に明け暮れしているところだ」とも書いている。桐生とも足利とも親しい私は、その通りだと納得する。

 栃木県県道66号線を、閑馬から桐生に進むと梅田ダム(桐生川ダム)に出る。そこから山に入って行くと、桐生川の美しい渓谷がある。水も綺麗で美味しいところに目をつけた某大手ウイスキーメーカーが、工場を造る計画を立てた。今なら渡りに船で誘致するだろうけれど、当時景気の良かった桐生のダンナ衆達は、「人手が取られる」と言って拒否した。
 足利に、関西の老舗私立大学が関東校を出す計画を立てた。市民の様々なネットワークから生まれた計画だったけれど、やはり、地元の私立校との関係で計画は頓挫した。「桐生通信」に出てくる足利の東京繊維の建物も、旧帝国ホテルと同じように大谷石で作られた、趣もあり由緒正しき日紡の工場も、今は跡形もなく消え、つまらない工業団地とスーパーマーケットになっている。

 その隣の佐野市は、足利や桐生と比べれば地味な土地柄だ。その分、「隣人の目の玉もぬく機敏さが露骨」でもなければ、「各人腕にヨリをかけ隣人親友を裏切って取引と金勘定に明け暮れしているところだ」と言うこともない。そして近隣と合併して町は大きくなり、アウトレットもイオンも出来、高速道路のインターチェンジが二つもあって、佐野ラーメンも有名になり、流通と消費の一大産業都市になりつつある。 
 一方、ダンナ衆の町だった足利と桐生は、不動産業界の人に言わせると「死んだ町」だそうで、そこの土地に手を出す奴は居ないという。

 佐野ラーメンは全国区になっているようで、今年閑馬を訪れてくれた島根の友人でさえ知っていたし、もちろん食べて帰って行った。土日祝祭日になれば、佐野の街中は、県内・外の車で賑わうけれど、それはラーメンを食べに来る人達だ。
 桐生は日本有数のうどんの消費地であり、それは讃岐うどんの高松に匹敵するという。足利は蕎麦の町だし、有名な蕎麦屋もあり、また蕎麦打ちもいた。さて、それを誰が知るだろうか?また、だれがそれを知らしめるだろうかと言えば、「隣人の目の玉もぬく機敏さが露骨」な土地柄だからか、蕎麦屋やうどん屋だけが繁盛することを喜ばないらしく、誰もしようとはしない。

 佐野市は、旧阿蘇郡田沼町と葛生町を合併して大きくなり、他の近隣の町もまた、佐野市との合併を望んでいるから、佐野市という名で益々大きくなって行くことだろう。
 桐生市と足利市は、どの町とも合併の話しが出ることもなく、出たとしても、ウイスキー工場や関西の大学の関東校の計画のように立ち消えて、益々「死んだ町」になって行く。

 「町おこし」と言う言葉が流行った時期がある。いや、今でもあるだろうけれど、それは町が衰退するからこそ出来た言葉であるのかもしれない。衰退している町の「町おこし」は、復興のような物で、大変なエネルギーが必要だろう。
 一方、発展を前提とした町おこしは、そこに未来を見据えた明るさがあるからやりやすいという面がある。そういう目で見れば、佐野は明るいが、足利と桐生は暗いように私には見える。

 ダンナ衆の町の復興は、その気質を変えることが先決だと私は思うが、さて、出来るだろうか。

 その気質が好きか嫌いかを言えば、安吾のように「むしろ好感がもてるのである」と、ダンナ衆の家に育った私としては言いたいところもある。

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